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他人と自己に関する考察

私たちは他人を他人だと思っている。ある意味それは正しい。他人は自分ではない。でも、他人をどう捉えるかということを考えると、他人と自分の境界線は非常に曖昧になってくる。また、その意味において、私たちは自分が他人に投げかけたものが、必ずしも自分に対して発せられたものとして返ってくるという期待ができない。

私たちは隔絶されているが、いわゆるマインドフルネスによって隔絶は減るだろう。

問題は問題があることではなく、問題を見続けること、解決しようとしすぎることにある。

今すぐ、ここで、目の前にあること、思い込みや過去の経験からくる不安や安易な楽観にとらわれることなく、感じることに注意を向けることで、すべてと繋がった感覚を得られる。

他人とも、自分のあれこれを横に置き、相手の物語に入り込まず、目の前の相手を感じることで、隔絶はなくなり、境界は立ち現れる。

どうこうしようとしないこと。

追記
ちっぽけな一人の人間が必死にどうこうするから世界が保たれているわけではない。それ以前にどうこうする必要があると、自らが既にその前提を認めていることをわかっていることは非常に重要である。選択は任されている。選択には事実認定が前段階として不可欠である。どうこうしなければならない世界を作っているという意味では世界はその努力に適って保たれているが、それが自分の望む世界かどうかといえば違うだろう。
落ち着いて、目の前の相手を受け入れるということが、一番無理がない。
それで既に相手は相手だし、自分は安心して相手との違いを楽しめるし、安心して楽しんでいるという意味では感覚的な隔絶はない。

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