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自分の良さを本当に受け入れているのか

私は、自分の弱さや至らなさを受け止めるのが得意だ。
弱さを認め、至らなさを認め、より良くなろうと努力する。

でも
気付いた。

自分の強みや良さを、受け入れてない節がある。

人から言われることはだいたい受け入れない(笑)
優しいね←それは優しさじゃない
まめだよね←ただの癖
頭の回転速いね←そんなん言うのはアナタだけです

褒められても1ミリも受け取らない。

自分では思ってないから。

じゃ、自分の良さは?と言われて
あれ、堂々と言えることがない。

かと言って自己肯定感は高いと思っている。
自己有用感もちゃんとある。

私の身体のメンテナンスをお願いしてる方に
施術後に言われた。

「私なんてって思ってるでしょ?」

はて?そんなこと思ってないですけど?え?
ってなったのに
何故か身体の底はブルブルしてました。

それからというものの、
無意識に私なんてって思っている自分を
認識できるようになり、
それを思った瞬間の自分を現行犯逮捕できるようになった。

そして、なんでか知らないけど、
今日、ふと。ホントに降ってきたように。

自分の強みや良さ、これだっていうこと認識して、

ここに書き記しておこうと思いました。
でも、誰かにとって何かになる、きっかけになる、そんな記事になってくれたらな、とも思います。

私の強みは、学ぼうとすること。
よくお勉強します。
ホントに、自分の時間とお金使って勉強する。

今まで、そんなのは全否定でした。

私うっかり間違えて、総理大臣やノーベル賞出してる高校に進学しちゃったんですよね。 
たまたま本番で運が良くて点数取っちゃった。 
高校では全くついてけなくて、0点2回やったし、
2科目で1ついたし。

もう大変なおバカでした。

なんとか卒業できたけど、お勉強に対する、無意識下の劣等感。
努力しても結果出なきゃ意味ないじゃん。

私なんかより、みんな凄い勉強してる。 

いや、実際そうだったけどね。 
でも、なんで自分の頑張りを人と比べる必要があったのかなって思います。

今では、
思春期保健とバスケと旅行業と体育(教育)を勉強してる人って周りにいなくて。
そう、自分が勉強すべき分野が掛け算になることで、もう競争相手すらもいなくなるのに
なぜ、勉強したかどうかの比較を他者とする必要があるのか。
その比較ってまったく意味ないということに気づけて、自分のなかで、学びたい→学びがあった
それだけで充分、「学んでる人」になるやんけ。

って思いました。

次に、私の強みは「身体感覚が鋭い」ことです。

私は体育の道に進んだけど、
「身体能力」に劣等感を抱いてました。
「身体能力」である、速く走る、長く走る、高く跳ぶ、重いもの動かす

そゆ能力は並みしかなくて。

だから、運動できるって言いたくない自分がいました。

だけど、身体能力と身体感覚って別もの。

身体感覚はあるって言えるじゃんってふと思った。

例えば、
「身体の調子」に敏感だったり
自分の身体がどうなっているのかの認知がちゃんとできたり
あとは、人の身体の動きを捉えられる

見てりゃ誰でもそうだろう

って思ってた。

捉えられない人は
ちゃんと見てない人だと思ってた。

だから、見本示してんのに、違うことやる人に対して腹を立ててた。
できないのはしょうがない
でも、違うことをやるって、それ、見てないからでしょ!!ってイライラする。

でも、それも1つの長けていることなんだと気付いて
だから、みんな私が動きの話をすると、
へーすごいね!
ってリアクションしてくれるんだとわかった。

いやいや、今同じもの見てたやん??ってずっと思っていたけど。

なんでわかるの?って聞かれたら
見てるからだよ?と答えてた。
違うんだね。

なので、私、人の動きのマネ得意なんです。
これは誰のシュートフォームでしょう?クイズが
得意です。

あと、やってもらったストレッチやマッサージを
他者に再現可能。

立ち姿で身体能力をだいたい見極めることができる

ダンス見てても上手にできる、すごい人と並の人
何が違うの?の問にスラスラと、ほら、ここが違う。こうだから、こうできる。
っていう解答を瞬時に出せる。

それって誰でもできるじゃん。
て思ってたから、受け入れられなくて
使おうともしていなかった。

まず、自分を活かして、この世に貢献するならば、
自分の強みや良さを受け入れていくことだろうと思う。

私、飛躍します。


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