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【映画】《後編》『森の学校』で昭和に生きた春馬君を観よう

《前編》では、『森の学校』に出てくる大人たちについて書きました。
春馬君演じる雅雄少年と関わる大人たちが、実に魅力的な人たちなのが、この作品の大きな特徴でもあります。

前編はこちら↓

この《後編》では、春馬君の演じた雅雄少年について書いてみたいと思います。
雅雄少年を演じる春馬君、ほんとに全力投球の演技で可愛い。
見所満載です。

子役時代の最初にして唯一の主演作

子役っていつまで?と考える時、私の判断基準は「声変わり前まで」です。
男子はわかりやすいですが、女子にも声変わりがあります。
女子でもよく歌を歌ったりしてる子は気づくと思いますが、話し声はあまり変わらないので、目立たないだけでして。

男子は明らかに声が変わるのでわかりやすいのですが、春馬君の場合は映画で言うと、ちょうど「キャッチ ア ウェーブ』の頃が、まさに声変わり真っ最中。
その2つ前の映画がこの『森の学校』です。つまり、初主演にして、子役時代の唯一の主演作、という事になります。
その意味でも、非常に貴重な映画だと言えます。

そもそも、子役時代に主演映画がある役者さんは非常に少ない。春馬君の場合は、4歳でレッスンを受け始めてから撮影時の年齢で、7年目の映画主演になりますが、キャリアとしては充分だけど、当時はまだ、無名の子役だった春馬君。
所属していたのは、地方の小さな事務所だったのに、オーディションで選ばれたというから、まさに実力で得た役という事になるのでしょうか。本当に「持ってる」というか、役者になる星の下に生まれて来たんだなぁと改めて思います。

「声変わり前までが子役」とは書きましたが、ビジュアル的に言えば、子供子供しているのはやはり小学生のうちが旬。
特に、春馬君の場合は、子供の頃から背が高く、中学生になる頃には、見た目の「子供っぽさ」は抜けて、ビジュアル的には早めに「青年」として完成していきます。その意味でも『森の学校』は、春馬君の子役時代の、とりわけ小学生時代の集大成ともいえる全てが詰まっている作品なのです。

また、大人の俳優になってからの春馬君を知ってから、『森の学校』に触れる事で、そこに表現者三浦春馬の、キラキラする原石が沢山散りばめられているの発見するのも楽しい。

「小さくても春馬君」

鑑賞中、このフレーズがなんども頭に浮かぶ作品。
地方住みの無名子役を抜擢した監督さんの先見の明たるや!
というわけで、「小さくても春馬君」の演技、私のお気に入りシーンをご紹介したいと思います。

走り回る雅雄少年

映画を見始めて、まず最初に思った事は、「雅雄少年、とにかくよく走り回る子!」という事でした。

小学生のやんちゃな男子が、走り回るのは昭和も現代も当たり前っちゃー当たり前ですが、草履や下駄など、普段履き慣れない履き物でも、容赦なく野山を駆け回る春馬君。
ちょっとした事だけど、これ簡単なようでいて、意外と難しい。ハロウィンの仮装や七五三で、草履を履いて上手に歩けない子供は沢山います。今時の子供だったら、案外出来ない子が多いんじゃないでしょうか。

実は、よく見ると、仲間役の子供の中に、履き物が合わず足を引きずっている子もいます。運動靴を履かせてもらってる子はまだいいのですが、草履の子はきっと大変な撮影だったんだと思います。春馬君はシーンによって、履き物が変わっても、まったく動作に支障を生じていない。草履や下駄でも、運動靴の時と同じように、砂利や草の生えた土の地面を、ガンガン走り回る。これぞ、昭和の子供!

後々、キンキーブーツを履いて華麗に舞台で踊る事になる役者の器が、この時もうすでに垣間見えるのです。
春馬君は履き物を選ばない役者なんです。子供の頃から。

それにしても、春馬君、映像作品では、走る役多くない?
私が観てる作品がたまたまなのかな。

イライラする雅雄少年

走り回るシーンが「動」なら、熱を出して療養しているシーンは「静」。。。なのかなと思いきや、寝込んでばかりの自分に、最も腹を立てているのは、他でもない、雅雄少年自身なのです。ここは、毎度イライラした表情で演じられています。まったく「静」ではない(笑)

いわゆる、病弱な子供の「ひ弱な感じ」はこれっぽっちもない雅雄少年。
だから、お母さんの心配をよそに、お父さんはなにも心配していなかったのかもしれません。
「この子は、本来は元気な子なんだ」という事が、お父さんの落ち着いた様子と、雅雄の布団の上でもやんちゃで尖った性格丸出しの演技から、描かれています。
実際、河合雅雄さんは現在97歳でご健在。心配ばかりしていたお母様も、きっと天国で安心しておられる事でしょう。

さて、この、布団の上でイライラするシーンは、本当に面白いシーンばかりです。雅雄にだけ用意される豪華な食事を弟がつまみ食いするわ、友達が見舞いにと持ってくる品はユニークだわ、雅雄は、寝込んでいても、周囲の人に愛されているなぁとほっこりします。

それでも、ひとりイライラする雅雄少年。
ほっこりなシーンでのイライラの演技は、加減が難しいところですが、シーンの雰囲気を保ちながら、観てる人が、くすっと笑えるイライラ感の出し方が本当に上手い。

病床にあっても、勉強の事をくどくど言ってくる鬱陶しいおばあちゃんが見舞いに来るシーンでは、雅雄少年のイライラ感もMAXなのですが、それでもクスッと笑えてしまう。
春馬君の変顔もどきの膨れっ面をうまく利用している演出もいいし、春馬君が真面目に演じれば演じるほど、笑える。コメディとは、本来こういうもの。大好きなシーンです。

やんちゃする雅雄少年

仲間といる時の雅雄少年は、元気いっぱい、ガキ大将で悪戯っ子。

自分の家にもあるのに、わざわざ、ひとの家のスモモを盗んで食べたりします。
子供にありがちな愉快犯です。スモモが食べたいというより、大人の目を盗んで、スモモを盗むスリルが楽しくてやってる。

このシーンの春馬くん、どっかで見たぞ!と思ったら、ファンの方ならご存知の「ワル馬」の表情そのものです。「ワル馬」の名付け親は、『せかほし』のJUJUさんなのかなぁ。そのへん定かじゃありませんが、「ワル馬」の始まりは間違いなく『森の学校』の雅雄です。「ちびワル馬」だけど(笑
「ワル馬@せかほし」の春馬君も楽しそうだったけど、雅雄少年も楽しそうでいいシーンです。
ところで、このシーン、いくつスモモ食べたんだろ。
春馬君は毎回食べられるけど、演出上、食べられない順番にいた子達の必死な羨ましそうな演技は、リアルだったりして(笑

喧嘩する雅雄少年

やんちゃしてるシーンのもうひとつのパターンは、喧嘩のシーン。
これはもう、やりすぎ感満載のぶっ飛んだ演出です。
昭和のヤンキー用語で言うところの「メンチを切る」演技も、春馬君が必死すぎで微笑ましい。きっと、監督さんに言われた通りに、真面目に必死に演じたら、ああなっちゃった、という全力の「昭和メンチ切り」。しかもドアップ。

本来、気持ちの優しい春馬君の中に、あのキャラクターがいるとは思えず、むりくり作ってる感じを楽しむシーンかなと。
目ヂカラで相手を威圧する演技は、『天外者』でもありましたが、大人になってからの春馬君は、ちゃんと気持ちから落とし込んで、演技として表現できるようになっています。だからこそ、この時の雅雄少年の漫画のような「メンチ切り」は、その原点。ファン必見のレアなシーンだと思います。

喧嘩のアクションシーンは、振り付けもあるとは思いますが、春馬君はこの頃から身体のキレは抜群。
子役全体の中で、決して大柄ではない春馬君が見劣りしていないのは、振り付けやカメラワークの力だけでなく、やはり「キレ」なんだろうと思います。

キレキレのアクションに必要なのは、動体視力と空間認知能力と運動神経の3点セット。
この3点セットを駆使して、相手の動きを察知して0.0001秒くらい早く動き出すと、余裕を持って身体を大きく使えて、キレよく見える。

実際の格闘技と違って、撮影では、決められた動きをするので、論理的にはできるはずなんですが、子役にそんな事、言葉で説明したりしないだろうから、おそらくそこは感覚でやってるんだろうと思います。だからこそ、子役の場合は、アクション上手い子とそうでない子は、はっきりと差が画面に現れてしまう。
予定調和にならず、一種の予知能力に見せかけるアクションという芸は、大人でも一筋縄ではいかないのです。ましてや、子供をや、です。

春馬君は、ダンスにしろアクションにしろ、身体能力が高いとよく言われていたけど、それは、おそらくこの三拍子が揃っているからなのだろうと思います。それは子役ゆえに感覚だけで演じているであろう『森の学校』の喧嘩のシーンを見ると、「やっぱりね」と確認できるわけです。

ジェントルマンな雅雄少年

どのシーンをとっても、全力投球の演技の春馬君。
緩急の「急」の演技が上手いのは、生真面目な子役によくある事ではあります。
が、本当に表現力が問われるのは、「緩」の方の演技。これは、人生経験が少なく、表現力の引き出しが少ない子役には、非常に難しい。
ほとんどのケースでは、監督さんの言う通りに動き、言う通りのテンポでセリフを言っているだけなのではないかと思います。

しかし、そこは「小さくても春馬君」。

東京から来たワケアリ転校生の美代子ちゃんが、なかなかクラスに馴染めず、寂しそうにしている。
兄弟が沢山いて、大家族で日々賑やかに暮らしていても、身体が弱い事で、どこかで寂しい思いをしている雅雄少年は、なんとなくその様子を見ているだけで、孤独がわかるのです。

なので、さりげなく優しくする。
美代子ちゃんの嫌いな毛虫を、さっと拾って見えないところにしまったりする、ジェントルマンぶり。
その時の、照れたようなドヤ顔でかっこつける演技は、昭和の田舎のやんちゃ坊主の体でありながら、もはや『君に届け』の風早君そのものじゃないですか!

2人の可愛らしい森のデートシーンも、昭和の田舎のやんちゃ坊主の体でありながら、もはや『君に届け』の風早君(あ、しつこい?)でして、都会の女の子に、自分の大好きな自然に囲まれた世界の楽しさを、さりげなく見せてあげています。
春馬君は、自分の殻に閉じこもり、心を閉ざしている女の子に、新しい景色を見せる系の役が多いなぁと、常々思っていたのですが、『森の学校』も、見事にそのひとつでした。

森の風景と柔らかな日差しの中で、最初はしょんぼりしてた美代子ちゃんが、どんどん明るくなっていく姿は、この作品の中で描かれるストーリーの中でも、ナンバーワンの癒しのストーリーです。

『森の学校』が教えてくれた事

そんなこんなで、『森の学校』には、いろんな未来の隠れキャラが潜んでいます。「小さくても春馬君」は、観る人によって、もっといろんな顔を見せてくれると思います。

この映画、もし、リアルタイムで19年前に観ていたら、どうだったかな、とふと思います。
出てくる感想は、「子役の子かわいいー」「映像が綺麗」「家族のほっこりするお話」「学校の授業で観るような映画」「河合隼雄さんちっさ!」あたりでしょうか(隼雄さんは、『森の学校』では幼児の役です)。

でも、今、19年経って、その後の春馬君の作品を先にいくつも観た後で、奇しくも出会う事になった『森の学校』。そこにはまったく違う楽しみ方があるなと思います。

私は、亡くなってから春馬君を知ったので、ネット上に数多溢れる春馬君ファンの愛にあふれたポストを見るたび、リアルタイムでまったく春馬君に触れてこなかった自分に、どこか引け目を感じたりもします。
長く春馬君と並走してきたファンの方々は、遠い遠い存在で、ただただ羨ましい。
もはや、嫉妬に近いレベルで羨ましいのです。

言ってみれば、トップの選手がゴールし終わってから、42.195キロのマラソンを、のろのろ走りはじめた気分、とでも言いましょうか。
追いつきようもないので、ただ完走する事だけを目指して。

もしそのレースが朝から始まっていたら、私はお昼くらいのスタートでしょうか。
気温も上がってきて、マラソンにはあまりよいコンディションじゃないかもしれない。トップの人は朝日を見ながら走ったかもしれないけど、私は見られない。

『森の学校』はまさにそんな悶々としてた時に出会った作品。
「小さくても春馬君」と出会った事で、時系列ではない作品の楽しみ方が、ようやく見えた気がしました。
周回遅れで、のろのろ走っている私は、朝日は無理でも、もしかしたら綺麗な夕日は見られるのかもしれない、とでも言いましょうか。

まだまだ走り出したばかりで、ゴールは見えませんが、昼からの景色もきっと素晴らしいはず!
だって、春馬君なんだしね。

森の学校公式webサイト 

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