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【ミュージカル】究極の自分探し『マリー・アントワネット』

コロナ騒動のおかげで、再び私の中でブームが来たもののひとつが、ジャパンキャストのミュージカルです。

ここ数年、ミュージカルは来日公演が日本でも当たり前のように観られるようになりました。こんな時代が来ようとは!しかしながら、お財布事情的に、日本の作品までは手が回らなくなってしまい‥しばらくご無沙汰せざるを得ず。ところが、来日公演がなくなったら、ご予算割けるようになりまして(笑)、ただ今、ジャパンキャスト作品のブーム状態です。

中でも、「宮廷もの」の作品は、昭和の宝塚育ちの私としましては、ミュージカル界の水戸黄門と言いますか、もう、安心して観ていられる定石、鉄板、間違いないヤツ。もはや実家のような癒やしなのであります。

12月1月は、春馬君月間で、様々な想いと共に、のべ10本の映画をスクリーンで、劇場では『イリュージョニスト』を観ました。どれも貴重な時間だったし、どの作品も愛おしいばかりで、心を揺さぶられる事の連続でした。でもその一方で、複雑な気持ちが勝ってしまい、観ていて純粋に作品楽しむ事を忘れそうな時もありました。
それは、仕方のない事だし、ある意味健全だし、それでも充実した時間だった事に変わりはない。そして、まだまだこれからもそういう想いと共に生きていくのだろうけど、今月はちょっと一息。という事で、今月の1本は、私的に癒し系(?)ミュージカル『マリー・アントワネット』です。

「フランス革命」はミュージカルの1ジャンル

突然ですが、ミュージカルには「フランス革命」というジャンルがあります。
ネットで、「フランス革命 ミュージカル」と入れて検索すると、フランス革命を題材にしたミュージカルの比較の記事などがたくさん出てきます。比較で論評できてしまうくらい、沢山の作品があるのです。

私もフランス革命については、ミュージカルと漫画から学びました。学校で習った覚えは‥??

さらに言うと、歴史を学ぶ上で、「切り取り方の違いによって、まったく違う風景になる」という事を知ったのも、フランス革命を題材にしたミュージカルと漫画のおかげ。歴史における「解釈」の本質について、これほど最強の教材があるでしょうか!
その意味でも、「ジャンル:フランス革命」の作品は、ぜひ複数観て欲しいなぁと思います。

さて、「ジャンル:フランス革命」のミュージカルにおいて、最も振れ幅のある描かれ方をする人物が、マリー・アントワネットです。

ただ大人に褒められたいだけの無知な少女だったり、身勝手な不倫女だったり、家族を愛する母だったり、ちやほやされるのが大好きなパーリーピーポーだったり、毅然とした女王だったり、天然ボケのお嬢様だったり、そして、もちろん悲劇のヒロインだったり。

マリー・アントワネットの側から見れば、何も悪い事はしていない、望みもしないのに、知らない国にお嫁に来て、必死に女王をやってきて、この仕打ちかよ!という悲劇。一方で、民衆の側から見れば、他国から来てノー天気な贅沢三昧の穀潰し女、フランス王室を潰すのが目的のスパイだから、革命で倒すべき王族の象徴。

どれも、マリー・アントワネットの一面なのだと思います。
それを、切り出してドラマティックにする魔法の粉をパラパラかけると、いくつでもミュージカルが作れるわけです。

さてさて、そのマリー・アントワネットが主役のミュージカル。
どれだけ多くの面を切り出して見せてくれるでしょうか。

舞台上の誰を観たらいいのか問題

この日のメインキャストさんはこんな布陣。

今回のWキャストは、ミュージカルファンなら、間違いなく全員観たいやつです。
それぞれ、似ているようで、タイプの違う役者さんがキャスティングされていて、ほんっとに悩んで、この組み合わせの日にしました。

花總まりさん、いつぶりだろう?
もしかすると宝塚ぶりくらいかもしれない。
めちゃめちゃお会いしたかった。
宝塚時代から大好きな女優さん。

もう、影だけでも、オーラが違う。階段の上に立つと、後光がさして見える。
退団してから15年はたつはずのなに、絵本から飛び出してきたような「姫」は健在。
そして、一分の隙もないつやつやのお声。
話し声も歌声も笑顔も、頭の先から爪の先まで「完璧な姫!」なのです。

冗談抜きで、普段からあのドレス着て暮らしてそうな花總まりさん。この役をやるために神様が遣わしたに違いない。
お会いできて最高でした。

昆夏美さん、またまた、大好きな女優さんです。
見るたびに、凄みを増して上手くなっている気がします。
役柄もあるのでしょうが、本当にパワフルで、オトコマエで、1匹狼に見えて、実は情の深い女性を演じきっていらっしゃいました。
他の役者さんと並ぶと、すごく小さい方なのに、ステージでは大きく見える。いい役者さんの証です。
カーテンコールで、マルグリットがふっと抜けて、昆夏美の顔になって、少し照れたように挨拶をされた瞬間、本当に美しかった。
いい役者さんになったなぁ。

フェルセンの万里生さん。
冒頭からソロで、もう全身鳥肌が立ちました。どこを切り取っても、フェルセンだった。
フェルセンは、とにかくマリーのために必死。でも翻弄されてる感はゼロで、とにかくマリーの幸せだけを見ている。その献身ぶりは女性から見たら、理想の男性像なんじゃないかな。いわゆる王子様キャラとも違う、理想の大人の男性。
個人的には、「理想の男性」を演じさせたら宝塚の男役さんに叶う役者さんはいないと思っていますが、万里生フェルセンは、最も近い位置にいるなと思いました。
マリーじゃなくても、恋におちるよ。。。

オルレアン公、嫌なやつでしたねー、小野田龍之介さん。
でも、スマートでカッコいい。オルレアン公って肖像画を見ると、痩ギスでいかにも小物感の漂うブサメンなんですが、小野田さん普通にカッコいいし(笑
また、歌うとさらに迫力があって、小物感ゼロ。
でも、その堂々とした佇まいであるが故に、王になれない焦燥感や、心から支えてくれる人のいない孤独がちょいちょい見えて、「オルレアン公も色々辛かったんだな」と、初めてオルレアン公に同情しました(笑)。小野田オルレアン公だったから見えた新たな風景。これだからミュージカルはやめられない。

そして、これだけ役者が揃ってしまうとですね。
もう舞台上どこを観たらいいのか、わからないわけですよ。
目が泳ぎまくって、全然全部観られない。
しかも、回転するセットの1番背の高いところはおそらく3メートルくらいの高さ。左右にバルコニーが出てくる事もあるし。
横やら上やら、もう、そんなにみんな離れないでー!目が二つでは足りませーん!という感じでした。

痺れる演出の数々

セットが、やたら回るなぁと思っていたら、前回は帝劇だったと聞きました。
なるほど、だから基本回るのね。
その、回るセットを上手く使った明るいままの場転と、暗転とが、実によく考えられた演出でした。
洗濯場からベルサイユ行進へ移っていく場面の演出も面白かったし、マルグリットが回るステージでソロで歌うシーンでは、彼女の行き場のないモヤモヤした心情をステージが回る事で表していたり、ステージをこれほど効果的に使って、いや回して(笑)いる作品は、本当に贅沢です。小道具にも美術さんのこだわりが、随所に感じられました。
ほんとに、どこを見ても楽しい!

そして、マリー・アントワネットが処刑され、「共和国」誕生の場面の演出。
これまで色々な「ジャンル:フランス革命」の作品を観てきましたが、今回が1番痺れました。
ここで、盛大にネタバレするのは憚られる素晴らしい演出なので、ぜひ劇場で観て欲しい。あれは、なぜ今まであの演出を誰もやらなかったの?というくらい、むしろド定番になって欲しい演出でした。

からの、最後のどんでん返し。マルグリットが庇うべき人を庇い、悪を成敗します。あぁ、胸がスッキリする!マルグリット役は、架空の人物と言うことになってはいますが、史実で言うバスティーユでマリーのお世話係をした市民の女性がモデルになっていて、必ずと言っていいほど「ジャンル:フランス革命」に出てくる役です。ただし、作品によって脚色のされ方が毎度異なる数奇な運命の役。

マルグリットの正義はどこにあるのか、ずっとモヤっていたので、最後の最後で、回収してくれて観客がホッとする終わり方なのも、王道ミュージカルらしくてよきよき。

『マリー・アントワネット』が描く人間模様から見える事

このミュージカルは、タイトルこそ『マリー・アントワネット』ですが、内容的には、群像劇に近い気がします。
マリーと、マリーをめぐる人たち、フェルセンも、マルグリットも、そしてルイ16世も、みんな自分らしく生きたいのに、生きられない、そんな悶々とした人たちの、自分探しを描いた群像劇にみえてきます。

もうすこし広げると、悪役のオルレアン公も、道化役の洋服屋の夫婦も、パリの市民の皆様も、とにかくみんながみんな「本当はこういう生き方がしたいのに」というジレンマを抱えているのです。

初っ端から、思い通りにならない人生への恨みつらみが渦巻きまくりながらの、華やかな舞踏会の場面。マリーとフェルセンの道ならぬ恋のシーンなど、一見ハッピーオーラに包まれた場面ではあるのですが。。。表面上の煌びやかな世界は、単なるハリボテ。ハリボテの裏には、不満や妬みが今にも爆発しそうなマグマのようにくすぶっていて、いかにも革命直前のフランスそのものです。

人間は、みな平等に幸せじゃない。でもみんな1番不幸なのは自分で、他の人は幸せだと思っている、という前提が、話のスタートなのです。

物語後半になると、マリーも、ルイ16世も、自分では望んでもいないけれど、自分のおかれた立場を受け入れ、最後のプライドとして、前向きにその役割を全うすべく、腹を括ります。

フェルセンは、そんなマリーをただ受け入れ、愛する。単なる愛人を超え、人間どうしとしての敬愛なのでしょうか。
人間としてのフェルセンは、運命を受け入れるマリーの矜持は受け入れても、愛人としてのフェルセンは、愛する人を奪うその仕打ちに対して憤っている。1番人間臭い役かもしれない。

そして、物語の最後では、恨みや憎しみからは何も生まれない。恨みを晴らしても幸せにはなれないと、マルグリットが歌い上げます。


人でなしだと思っていたマリーの、家族やフェルセンのみならず、周囲の人間を信頼し、愛する姿を見ているうちに、マルグリットの中で、大きな変化が起こったのかもしれません。
正義を振りかざして、実は身勝手なうさ晴らしや、金儲けしたいだけの男どもに、嫌気がさしたのかもしれないし。
もともと聡明で、自分をしっかり持っているマルグリットですが、物語の最後に、またひとつ人間的な成長を遂げるのです。

このエンディングは、万国共通でウケるやつです。
日本での初演から、世界中のあちこちで上演された理由は、このしっかりとわかりやすいストーリーのおかげなのではないでしょうか。

そして、この作品が描こうとしている事は、現代の縮図。人間が過ちを犯す時、人間が不幸せになる時、逆に人間が幸せになる時って、今も昔も変わっていない。人間は歴史から、いやミュージカルから何も学んでないのか?

なんて深いことを考えたのは、観終わってからで、その瞬間は、とにかく豪華な舞台と、豪華なお衣装と、豪華な照明と、豪華な皆様の歌と佇まいに目を奪われて、もうただただうっとり観ていたのでした。

終わりに

ここのところ、舞台を見るたびに毎回思うのですが、アンサンブルも含め、キャスト全員の気合いが、全体のクオリティを5割り増しにしています。
この難しい状況で、なんとか今日も舞台に立てている。その喜びと、明日はどうなるかわからない緊張感。
その中で、なんとか今日も最高のパフォーマンスを!という気持ちが、ほんとに伝わってきます。社会状況がそうさせていると思うと、本当に胸が潰れそうになるけれど、観客としてその場に居合せられる事に、毎回感謝しかありません。

毎日、幕を開けるために頑張っている皆様の努力が報われ続けますように。

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