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【本】『ロンドン・デイズ』は実話を元にした珠玉のエンターテイメント

数年前に読んだ『ロンドン・デイズ』。
ふとまた読みたくなって、手に取りました。
最近、海外旅行へ行けないせいか、海外滞在記みたいなジャンルの本を欲する時があります。

この本は、劇作家で演出家の鴻上尚史さんが、ロンドンの演劇学校に約1年にわたり留学した顛末と、当時の日々を日記調に綴った著作です。

私は、普段本を読む時は、まえがきとあとがき(解説がある場合は解説も!)を先に読み、最後の数ページを読んでから、最初に戻って読み始めます。

なぜ、まったく創り手の意図を無視した、こんな捻くれた読み方をするかと言うと、まえがきとあとがきと解説と最後のページを読んで興味が失せたら、そこでストップするため。
経験上、その先読み進めても、まあ、なかなか進まないんですね。

読みたい本が沢山ありすぎて、多分一生かかっても読みきれないから、こうしてフルイにかけているわけです。
何かの理由で、読まないといけないものは読みますが、単なる苦行になる確率高し!

で、この『ロンドン・デイズ』はというと、まえがき読んだら、そのまま本文に突入しちゃいました。
あとがきやら解説やら読んでる場合じゃなかった。

面白くて。

途中で気づいて、最後の数ページを読みました。
淡々と描かれる留学最後の日々。鴻上さんと、愛すべきクラスメイトたちの友情に涙。
特に、親友レイモンドがいい奴というか、母性本能をくすぐるというか、ぶきっちょで、みそっかすの甥っ子のようで、もはや親戚の子を見守るような心境。
ほんとに愛おしくて。。


で、また、元のページに戻って、そこからは一気読みしました。

ここ数年で、そんな読み方をしたのは、この本だけです。

恐るべし、劇作家の筆力。

いやそれだけじゃない。
コンテンツとして、「劇作家の目を通して描かれる」「イギリスの」「演劇学校」が、とにかく面白いのです。

鴻上尚史さんといえば、学生時代から天才と言われた演劇人。
当初は、学生演劇がものすごく元気な時代。
時代の追い風に乗って、一躍時代の寵児になったうちのひとりでした。そして、その頃もてはやされた沢山の「寵児」達のうち、追い風がなくなってもしっかりと地に足のついた活動を続けて来られた、数少ない実力者です。

いわゆる「叩き上げ」で「売れっ子」の鴻上さんが、三十路をすぎて初心に返るべく、言葉も文化もわからないイギリスの伝統ある演劇学校に、普通の生徒として留学する。

もう、それだけで、ワクワクします。

鴻上さんは劇作家。
言葉で仕事しているプロです。

それが、言葉の通じない世界にとびこんだ。
片腕をもぎ取られたも同然。

また、鴻上さんは演出家でもあります。
役者に注文をつける立場の人です。

それが、「講師」から注文をつけられる演劇学校の生徒になった。
立場が逆転しています。

よく、小説や映画で、立場が入れ替わるストーリーがありますが、鴻上さんはこれをリアルにやっちゃった。

なにか現状にとてつもない危機感を感じているか、あるいは人並外れた好奇心の持ち主か、あるいはその両方か。
そこは読者の感じ方ひとつかなと思います。

クラスメイト達との絆がしっかりあるようで、つねにどこか孤独なのが、留学生活。
言葉が不自由である事に加え、育ってきた環境や文化的背景が違って、共有されているコンテキストが異なる環境に身をおくと、ぱっと頭に浮かんだくだらない冗談や、言ってもしょーもない愚痴なんかをさくっと言いたくても、自国にいる時のようには通じない。そういう環境で生きるというのは、なかなかヘビーなものです。

一方で、演劇学校の生徒だけど、実は演出家が本業、というバックグラウンドは、かなりのアドバンテージがあります。
常に、「ここで演出家が求めるものはなにか」と、演出家目線で物事を見る癖がある鴻上さんは、ある程度の確証を持って、瞬時に諸々を予測できるわけだから。

言葉にハンデがあっても、キャリアではアドバンテージがある。

そんな鴻上さんに、何が起こったか。

生徒としては意外と優秀だったりします。

言語能力の良し悪しは、その人の優秀さとは無関係なんだと、改めて感じます。この事は、これから留学を目指す人、言葉の通じない国に行く人は、肝に銘じでおくべき。

留学の学びの目的が言葉の習得になるべからず

あっ!言ってしまった。
語学留学、全面否定。
ま、語学留学なら駅前でできるしね。

じゃあ留学の学びの目的ってなに?って疑問が湧いてきます。

鴻上さんはあとがきに、しつこく何度も書いていらっしゃるのですが、

留学の前と後で、作る作品は変わっていない


と。

そして、こうも。

いずれ、ロンドンで芝居を作ってみたい

ありがたみのない表現で、平たく言うと、視野が広がった、という事でしょうか。

留学って、なにかのスキルを会得するとか、新しい事や人と出会うとか、そういう個々の出来事はもちろん大事なんでしょうが、その小さな出来事が積み重なって、「見据える世界観が変わる」と言うのがなにより肝だと思います。
それをさらっと、あとがきでおっしゃる鴻上さん。

ほら、あとがきに、この本で言いたかった事が書いてある!

けど、じゃあ、あとがきだけ読めばいいかって言うと、この本は本文読まないと!です。
鴻上さんに、そう思わせるに至った個性豊かなクラスメイト達の事、ぜひ読んで欲しい。

あなたも、レイモンドの叔父叔母気分になれる事間違いなし。

また、当たり前ですが、この本には、演劇学校で行われる授業や課題の事もたくさん書かれています。それを読むと、「表現力」とはなんぞやと言う事を改めて考えさせられます。

日常の中にある「ある一瞬」、多くの人が見過ごしているその瞬間をしっかり捉えて、それを点ではなく、意図を持った秩序の元に再編集して、伝わる形式にする。
歌でも、演技でも、ダンスでも、文章でも、絵でも、基本は同じだなぁとつくづく思います。

鴻上さんの手がける「演劇」と言う形式は、いろんな要素が盛り込まれた複雑な表現形式です。オリジナリティや「らしさ」を大切にしつつ、ひとりよがりにならず、大衆にわかりやすい形で届けるという、無理難題が「演劇」。

演劇学校の先生たちが繰り出す、謎の課題たちは、まさにこの無理難題の連続で、演劇人にとっての言ってみれば「基礎トレ」。ステージ上の、あるいは映像の中の、いろんな場面で必要な「表現力」のパズルのピースを、ただばらばらとぶちまけられ、見せられるのが、演劇学校と言う場所のようです。

でも、学校でやってくれるのはそこまで。それらのピースをひとつ残らず持ち帰り、引き出しにしまって、必要な時に必要なピース取り出してパチっとはめられるかどうか、そこから先は運と努力と経験の世界。

どれが欠けても「表現力」は成立しないんだなぁ。あまりに重たいゴールとは対象的に、淡々と軽い調子で面白おかしく描かれる演劇学校の様子のギャップよ!

演劇を目指す人だけでなく、どの分野でも「表現力」でお悩みの方は、一度手に取ってみて欲しい珠玉の日記『ロンドン・デイズ』。
もちろん、単なる読み物としても、楽しく一気読みできる一冊です。

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