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AI時代における創作活動について

今後、生成系AIは飛躍的に進化し続ける。やがてAI自身が自分自身を改善できるようになれば、その勢いは尋常ではないレベルになるはず。

であれば、創作活動に求めていた「自分で作る喜び」に固執したところで意味はない。なぜなら、指示すればAIが数秒で作品を作ってくれる世の中において、わざわざ自分の手を動かして作った"手作り"の作品の価値を資本市場は評価しないから。

たとえAIが作るものよりクオリティの高い100点満点の作品を作ったとしても、資本市場はAIが作る70~80点の作品を選ぶ。AIだと短期間にABテストを繰り返せるので、最終的には人間の手で作られた100点満点の作品を上回る作品を数秒で作るようになる。


要するに、絶対にAIには勝てない。


なので、自分で手を動かして作るという手段は…

  • 単なる楽しみのため

  • 人が作っているというストーリーの価値のため

という理由以外に選ぶ必要性がない。

それでもあえて自分の手で作りたいという人はいると思う。でも、馬が車に、フィルム写真がデジカメに、テレビがネットに置き換わってきた歴史を考えれば、素直にAIを活用する側に回ったほうが得策だろう。少なくとも、ビジネスの観点から考えればAIを使わざるを得ない。

AIを使った創作活動に楽しさを見いだせない人は、もう創作活動を辞めてしまってもいいと思う。今後、自分の作品は好む好まざるに関わらず、AI作品と比較されてしまう。ほとんどの人はAIより優れた作品を作れないので、期待した評価を得ることができず、劣等感を抱えることになる。それに耐えて創作活動を続けるのは…簡単なことではない。

創作活動のみならず、どの分野でも同じようなことは起こっているとは思う。「今までやってきたことはなんだったんだ…」という、アイデンティティの崩壊を味わっている人は少なくないはず。もうそれはどうしようもない。

価値観を変化させ、この環境に順応していく他ない。

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