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『ナリワイ』と『ホコリ』


南半球に浮かんでいる大陸と呼ぶべきなのか、巨大な島国の南に位置するこの場所は19世紀にゴールドラッシュ時代に築きあげられた西洋の建築様式と現代のコンクリートジャングルが混在している。

住人も様々な人種が一つの都市に集中していてまるで世界を旅している、と言ったら大げさだが時々そう思うことがある。


CAFEという場所はその都市の人たちにとっては生活の一部となっている。

店内がオシャレだから、コーヒーが美味しいから、とか、そういう表面的なことではなくもっと濃厚で、重厚な価値観でカフェという場所と人が結びついている。

出勤前に毎日飲んでいるコーヒーを飲みに行く。そこで働いている人がナイスだから元気か顔を見に行く。約束とかしているわけではないけれど、毎週土曜日にジム終わりにそこに行ったらみんな集まっている。

当時株取引や新しいビジネスのハブとして機能していた英国パブを思い出した。イギリスの人たちはことあるごとにパブに足を運ぶ。一軒一軒に深い歴史があり、彼ら一人一人にお気に入りのパブがあるのも有名な話だ。カフェもパブも同様、人々にとって生活の一部であり、ましてや手足のように切っても切り離せないものなのかもしれない。

食事の味、コーヒーの味。それはカフェという業態では必要不可欠要素であり、当たり前なのだ。美味しいコーヒーを提供できることも大切だ。けれども、それは『彼ら』にとっては当たり前のことで重要なのはそこではない。その先を、彼らは求めていると思う。


『コーヒー美味しかったよ』

生業としている者が言葉として言ってもらえるのは、何よりも嬉しい。

毎日来てくれて少しだけ話せる方が、もっと嬉しい。

この島の、この都市の人々にとってカフェって場所は『立ち寄る場所』となっているのかもしれない。別に意識的に習慣化しているわけではないのだが、なぜかまた一杯のコーヒーを求めてこの場所に来てしまう。彼らにとってはそういう場所なんだ、きっと。

我々がそういうコミュニティを築き上げるお手伝いが見えないところでできているということに誇りに思っている。

世界が、時代が動こうとしている今、我々の仕事は死角からのアッパーカットを喰らった時みたいに大きな打撃となっている。一発でKOされるみたいに実際に意識が飛んだお店も何軒も知っている。知り合いのカフェも明かりがついていないところも知っている。

そんな状況でも今働けていて、毎日来てくれている人がいて、Say Helloできている現状がなんて幸運なんだろうと毎日噛み締めている。

時代が動いているということはどういうことか、考える。

人々の価値観が変わってしまうかもしれないということだ。

時代が変わった先の我々のあり方ってなんなのか。

私の頭ではどの方程式に当てはめても『人間味』って答えしか出てこない。

コーヒーの味をおざなりにしていいってことじゃない。あくまでもそれは『彼ら』にとっては最低条件なのだ。人間としての温もりがコーヒーに移るか移らないか。AIが発達している中で『おもてなし』を仕事としている我々にはAIに表現できない『人間味』ってのがある。

接客業と形容される仕事はどこまで極めても接客業なのだ。
IoTがめまぐるしい速度で成長を遂げていてAIに仕事が奪われるかもしれないと言われているが、人間味というのはAIでは再現できないものだと信じている。

それを手にできた時、その『人間味』のあるカフェは彼らにとっての『立ち寄る場所』であり続けられると思う。

自分にとっての人間味とは何か。

僕が僕であり続けられることが人間味なんだろうな、と思う。



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