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日本語教師の「ティーチャートーク(先生日本語)」あり?なし?

先日こんなツイートを見ていて、いろいろと考えさせられました。

全く同感です。

ただ、「日本語教育の教科書」などでも、このような説明もあります

ティーチャートーク:直接法の指導では、既習語だけを使う。一文を短くする。大きい声ではっきりと話す。

この、「既習語だけを使う」という部分だけ見れば、
「ティーチャートークもありなのなか?」とも思えます。

みなさんはどう思われますか?

私が日本語教師になりたてのころのことを思い出しました。
教務室で、先輩の先生が生徒と話していました。
生徒が昨日クラスに来なかったので、そのことを話しているようでした。

「○○さんは〜、昨日 どうして 来ませんか〜?」
「○○さ〜ん、明日 また 来ます〜。いいですか〜?」

どちらも、意味はわかりますが、ちょっと違和感がありました。

その様子を私が見ていたのに気づいて先輩の先生は
「あ、まだテ形と過去形を勉強してないから」と。
話すスピードも、子どもに話すようなゆっくりしたスピードです。

テ形とタ形を勉強すれば
「○○さんは、昨日どうして来ません”でした”か?」
「○○さん、明日また”来てください”。いいですか?(来てもらってもいいですか?)」
になる、ということはわかっていたのですが、
やっぱり不自然です。

少なくとも、生徒がその話し方をし始めたら、
私は「変だよ」と注意してしまいそうです。

そもそも「日本語話者のモデルになるべき教師が、
不自然な日本語を話すのはどうなんだろう」
という点が一番気になりました。

もちろん、日本語教師になりたての自分には、
そのことに自分なりに反論する知識もなかったので、
何も言えませんでしたが、ずっと気になっていました。

私はと言うと、初級の学生がわかるように話すにしても、
「不自然な(非文法的)な日本語は、極力言わないでおこう」と考え、
そのようにしてきました。

最近さきほどのつぶやきを見ていて、
「教室でのインプットもなるべく自然に近いものに」
という考え方の根拠はないのものか、と調べていました。

そんな折、以下の本をめくっていて、
「こう言えばよかったんだな」という説明を見つけました。

著作権の関係で全文は引用できませんが、
要点だけかいつまんで説明すると以下のようになると思います。

・教師が語彙や文法をコントロールしてしまうと、生徒のインプットの機会を減らしてしまう

・学習者が勉強した文法に限定して話すことは、理解の助けにはなっても、言語習得には貢献しない

・そもそも教室の外は「未習」の文法や単語であふれている。教師がいつまでも既習の単語や文法だけに限定した話し方をすると、生徒はインプットを理解する力がつかない P85−86

まったくそのとおりだと思いました。

なんなら、話すスピードをコントロールしすぎてしまうのも、
気をつけないといけないかもしれません。

なにしろ、日本語は「世界一早口」に聞こえる言語だそうですから、
教室であまり先生が手加減した話し方ばかりしてしまうと、
生徒たちはそのインプットのスピードになれてしまう、と思います。

この知識を教室でどう活かすか

・初級のクラスでも、なるべく自然に近い話し方、スピードで話す
・話し方も簡略化しすぎた話し方にしない
・教室でも生徒が「自然な日本語」をたくさんインプットできるようにする
・生徒がわからない場合は、別の言い方に言い換え、生徒が分かる程度にゆっくり話す

また、生徒たちはやはり「インプット」からしか学べませんから、
教師側も生徒が教室でアウトプットだけでなく、
インプットの機会を得られるように意識する必要はあると思います。

もちろん、学校によっては、不自然でもティーチャートークOK、
というところもあるかともいますが、
生徒が教室でしか通用しない、不自然な日本語を話すようには
なってほしくないなあと感じました。

「ティーチャートーク」でも、
「フォーリナートーク」でも、
「ベビートーク」でもない、
「日本語教師の話し方」を模索していきたいと思います。

#日本語教師 #第二言語習得 #毎日note



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