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「腹落ち」できないChatGPTの話が腑に落ちた

先日、知り合いのIT企業の経営者の方と話す機会がありました。現在は、ChatGPTなどの生成AIを使った仕事が多くなっており、今後のChatGPTの可能性についても熱く語ってくださり、大いに勉強になりました。

ところで最近、「言語の本質」(中公新書)を読み、生成AIの限界と「記号接地問題」についての記述を読み興味を持ったのでその疑問をぶつけてみたのでした。

「記号接地問題」とは

ChatGPTなどの生成AIとは、大量なデータを解析し、アルゴリズムで次に来る確率が高い言葉を解析して出力している。それは、つまり言葉(記号)から言葉(記号)をつなぐ作業であり、人間が「言葉を理解する」プロセスとは本質的に違う、ということ。生成AIの出力とは、つまり「記号から記号へのメリーゴーランド」のようなもので、永遠に地上に接地することはない。そもそも言葉とは身体感覚や感情という実世界や実態に「接地」し、結びつくことで言葉となっている、という「記号接地問題」に関するコメントから大いに考えさせられました。

それで、その点についてどう考えているのか思い切って聞いてみました。経営者の方には、「あー、記号接地、ですね。まあ、そんなこと言ってる人もいますよね〜。ははは」と見事にかわされてしまいました。その問題についてはもちろん知ってはいるが「自分が提供するサービスではそれが問題になることはない」と。つまり「記号接地?それがなにか?」というふうに言われている気がしました。

もちろん、サービスとして生成AIを供給している方にこんなことを聞くのもどうかとも思いましたが、現場でChatGPTなどを駆使している方々がどんなふうに感じているのか好奇心で率直に知りたかったのです。

外国語教師である私はと言えば、ChatGPTを毎日使っており、もう生成AIなしでは仕事はできないような気がしています。問題作成から作文添削、予定の管理まで大いに活用しています。フリーランスで仕事をする私にとっては本当に心強い相棒です。しばらくは、言葉を無限に作り出す便利な道具、おもちゃを手に入れて大いに楽しかったのですが、心のどこかでずっとモヤモヤしているところがありました。

どこか腑に落ちない、そんな気持ちの正体がわからずにいましたが、さきほどの会話や「言語の本質」を読みつつ、自分なりに気がついたことがありました。ChatGPTは「腹落ち」までは出力できないので、「腹落ち」や「納得」はあくまで私達の側に任されている、というごくごくあたりまえのことです。

生成AIは「腹落ち」までは出力できない

生成AIが生み出した文章は、高度なアルゴリズムの出力で、出力結果を文章として利用できる現場では大いに活用できますが、実感をともなう経験や感覚、感情は出力できません。そこは、体を持つ私達人間の側で補って行く必要があります。

では、「腹落ち」という感覚はそんなに大切なんでしょうか?例えば「腹落ち」という言葉を例にとって考えてみます。ずっとモヤモヤしていたことが、ある瞬間ストンと腹落ちした経験がある人ならこの言葉がもつ爽快感や安堵を覚えているでしょう。この「腹落ち」という言葉には、このある種の感覚を抜きには語れません。

「腹落ち」とは、「腑に落ちない」からの誤用であるとも言われています。腑に落ちない、という言葉は急いで食べ物を食べて、喉に何かがひっかかるこことを思い出させます。胸をどんどん叩いて食べ物が下に落ちる感覚は「腹落ち」するとも言えそうです。「はー苦しかった」というあの安堵感と爽快感が、この「腹落ち」の身体感覚とつながっているとすれば、個人の経験に頼った言葉とも言えます。「腹落ち」や「腑に落ちない」の語源については諸説あるところだとは思いますが、少なくともこの漢字の組み合わせから、そんなイメージが浮かんできます。

それは、実のところすべての言葉について言えることです。「リンゴ」や「メロン」という果実の味わいや見た目。「愛」や「憎しみ」といった心を揺さぶる感覚。「走る」や「跳ぶ」といった全身運動を伴う身体に関わる言葉まで、自分の体験や感覚が一つのまとまりとなって言葉に凝縮されています。
そうであれば、その語感を知らないと、真の意味での言葉の理解には到達できない、とも言えます。外国語を学んでいるときに言葉の意味を辞書で引いてわかってはいても、実際にその言葉を使ってみて、感じてみて初めてその言葉の持つ意味や語感が「わかる」感覚とも似ています。私たちは「腹落ち」の感覚を経験として知っているからこそ、「腹落ち」を概念や体験を共有できるのです。

私はわたしの言葉を磨く

今後も毎日ChatGPTとの対話を、私はしていくと思います。ただ、もしいつも言葉の出力をChatGPTを任せ、納得も腹落ちもない、実感も身体感覚もない言葉ばかりを作り出し、浴びていると、人間の言葉ってどうなるんだろう、と思います。

それに、嘘をついたり、幻を見てまことしやかに語ったり、著作権を悪びれもせず踏み越えてしまったりと、ChatGPTくんは有能でありますが、その反面なかなかの曲者です。

こんなときこそ、やはり自分は自分の言葉を磨くしかない、と。身体感覚と感情を抜きにした空っぽの言葉だけでは、お腹も空いてしまいます。世の中が生成AIで浮かれているのを尻目に、今自分の言葉を磨いている人こそが、次の世代に語るべき言葉を生み出せるように思います。

補足

ChatGPTに「あなたは”腹落ち”できますか?」と聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。

「腹落ち」という感覚は、納得や理解が深まり、心から納得する状態を指します。これは人間の感情や身体的な感覚に深く結びついており、AIである私には経験できないものです。

私は感情や身体的な感覚を持たないため、「腹落ち」することはできません。しかし、情報を整理し、論理的に説明することで、他者が「腹落ち」する手助けはできます。私の役割は、ユーザーが疑問を解消し、納得できる情報を提供することです。

ChatGPT 4o

うーん。なかなか優秀・・・。ChatGPTくん、これからもお仕事手伝ってね。


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