日本語教育とコミュニケーション
10年後には外国語教師とはコミュニケーションだけを教えているようになっている。
いつもそう思っている。導入、語彙、文法の説明、試験対策はすべてアプリやシステム。会話の授業だけを人間が担当する、というような。
今後、効率的に安価で使えるツールが開発され単なる暗記だけの勉強をアプリやシステムが担うようになっていく。というかすでにかなりの部分、そうなっている。自動翻訳の精度もかなり上がっている。
そうなると外国語教師に残されたものはなんなんだろう、と日々考えている。
10年後、もっと近い将来に人間が担当する外国語教育は「コミュニケーション教育(オンラインとリアルでの)」に集約していくんじゃないか、と。なぜなら、それこそが「ロボットにできない仕事」だから。
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学生時代に一時期英語を習っていた。イギリス人の紳士が近所に住んでいて、英語を教えてくれると言うので毎週通っていた。しかし毎週毎週、ほとんどお茶を飲みながらの雑談だった。日本語の流暢な先生だったので、ほとんど日本語での会話だった。そこで、言われた言葉が今でも忘れられない。
「これから仕事を選ぶんだったら、ロボットができない仕事にしなさい」。
当時はまだWindows95以前の世界。パソコンはまだまだ一部のマニア向けか、高級な事務用品という状況。当時は「この人は何を言ってるんだろう」と思ったけど、私はその言葉をずっと頭の片隅に置いて生きてきた。「産業革命の本場、イギリスの人が言うんだから、きっと間違いない」と。その後、会社員をやめ、翻訳や日本語教師の仕事も選んだのも、その言葉が頭で鳴り響いていたからだと思う。
「仕事は、ロボットができない仕事にしなきゃ」と。
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今、ロボットに仕事が奪われる脅威を感じながら、我々は生きている。日本語教育業界も、もちろん例外ではない。
効率よく試験にでる単語を解析し、苦手な単語が何度も出題されるようなシステム。とにかく試験に出そうな過去問のパターンを、数多く解けるアプリ。こうしたシステムで試験に出そうな問題のパターンを頭に叩き込むことで効率よく高得点を叩き出すことはできるだろう。というか、この作業はAIが得意な作業に違いない。
もちろん、アナログな日本語教育業界では、まだまだこうしたシステムの開発をしている人は多くない。でも、「これあれば近い将来人間の先生じゃなくてもいいね」と企業の担当者が思えるようなデバイスやアプリができたとしたら。その後に日本語教師に残されたものはなんだろう。
我々に残されるのは「コミュニケーションの授業」しかない。
しかし、実情は教師も生徒も「コミュニケーション」が苦手だ。
私も含め日本人は外国語の勉強となると、試験勉強を始めてしまう。TOIEC何点、HSK何級。それ自体は立派なことだし、それを否定する気も毛頭ない。実際、私も今まで外国語の検定試験の勉強を続けてきた。でも、それがコミュニケーションの能力を直接図るものではないということに学習者も、企業の担当者も、教育機関もどこか気づかないふりをしているような気がする。もちろんコミュニケーション力を測る試験、という名目のものはあるけど、それも試験対策でなんとなる。実際のコミュニケーション力はなかなか測れないし、鍛えられない。
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単純な暗記やテスト勉強をアプリやシステムに持っていかれた後、日本語教師に残されたものは、コミュニケーションの授業になる。
今、日本語教師にできることは「コミュニケーションを意識した教育」、そして「自分のコミュニケーションスキルを上げること」だと思う。
もし、今会社や学校で、コミュニケーションする機会がたくさんあるなら、それこそが、将来への大きな投資と考えることができそうだ。生徒とのフリートーク、知り合いとの雑談、ZOOM飲み会、そこに10年後に価値が大化けする宝が眠っている、かも。
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