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ODD Foot Works「Master Work」 感想:2022年における「ミクスチャー」の地平

 ODD Foot Worksの新譜「Master Work」のラストトラック「音楽」を聴いて許すことができるのか。というか「現在」の音楽として気持ち良く聴くことができるか。「音楽」はどこまでも00年代の青春パンク・ポップパンクのノリをもって製作されている。「音楽が、聴こえる」「音楽を、鳴らしている」「音楽と、生きている」というあまりにもストレート過ぎるメッセージも、オクターブ奏法のリフとパワーコードを軸に進む曲構造も、サビでバンドメンバー全員でハモる歌い方も、所謂青春パンクの記号に満ち溢れている。わたし自身は「青春パンク」とカテゴライズされる音楽をリアルタイムで聴いていた訳ではないが、ロードオブメジャーや175Rなどに通じる要素を持っていると断言できる。平成中頃、あるいは2000年代初頭のアナログからデジタルへ移行する空気感を再臨させたようなMVが作られているように、「音楽」の00年代青春パンク然としたイメージは意図的なものだ。そして、私は青春パンクを気持ち良く聴けた試しが無い。軽音サークルで、軽音楽部でロードオブメジャーを演奏している時の私の中の冷めた心は思い出したくない。じゃあ改めて自分に問いかけます。「ODD Foot Worksの新しいアルバムの最後の曲「音楽」を聴いて許すことができるのか?」答えは「このアルバムの到達点として相応しいから最高!」である。

 ODD Foot Worksが3年ぶりに発売したアルバムは「Master Work」というタイトルに表されるように彼らの歩みの総決算として聞こえる。バンドというよりも「コレクティブ」に近い体制で製作(パスピエ・成田氏、King Gnuの勢喜氏を演奏に招いたりマネージャーの三宅氏が「音楽」の作詞を担当したりしている)された本作は間口の広さにバンドとしての進化を見出だせる。その間口の広さはドラムンベースやブーンバップ、ファンク、ソウルを包括したビートの多様さでもあり、シングルカットされた曲たちの持つ誰もが口ずさむポップソングとしての強度でもあるし、10曲30分で「サラッと」プレイリストとして聞けてしまう肩肘の張ってなさでもある。

 その間口の広さを担保しているのがシングル曲として先に発表されていたM2「卒業証書」だ。本人達もTwitterにおいて「SMAP細胞はある」と言ったようにSMAPの「ダイナマイト」「SHAKE!!」といったビートの強さと16分のノリに口ずさめるJ-POPの強さを備えている。何よりこの曲を年間ベストトラックとして推したい程私はこの曲を気に入っている。小気味よいフロウに時折挟まれるメロディー、ドラムが抜けた途端に切なく放課後の風景が歌い上げられたかと思えばパッとサビで開け「あの娘の自転車で走り出す」と爽やかな風が通り過ぎるように聴こえる。そこから宇宙へと想像を広げる歌詞世界も思春期の思考回路をなぞるようで少しくすぐったくも懐かしい。1番はJ-POPマナーに沿いながらも2番はAメロを廃し、またサビも繰り返さずにすっきりと曲が終わるのも聴きやすいし、繰り返したくなる。その後腐れの無い感じは綺麗なフレームに既に収まってしまった「あの頃」がフィードバックするよう。

 
 アルバム全体を俯瞰すると古典的なブレイクビーツのループを用いたラップナンバー「heavenly bluetooth」、あるいはオートチューンに載せて歌い上げる「SEE U DAWN」、「Summer」など「卒業証書」を端緒に3分前後の曲が並ぶが、どれもミクスチャーロックと捉えることが自然だ。ラップミュージックの畳み掛ける言葉の気持ち良さとコシの強いトラックにバンドサウンドのグルーブ感や厚みが加わるロックのサブジャンル。Dragon Ash、mad capsule markets、RIZEらがパッと思い浮かぶが、ミレニアムを前後にひとつの盛り上りを見せたシーンだ。そして近年、海外ではマシンガンケリーやマネスキン、日本ではHEAVENやSATOHといったヒップホップのシーンを中心に再びミクスチャーロックとカテゴライズできるサウンドが芽を出している。この2つの波に共通するのはどちらも一種の「崩壊」の後に盛り上がったという事実だ。前者がバブル崩壊、オウム真理教事件、阪神淡路大震災のあとで、後者はコロナ禍を経て。大きな空虚や喪失を埋めるために「コレクティブ」としての流動性が若者を中心とした集団の拠り所となった、あるいは普遍的な感情をミニマムな日常描写として切り取る詩世界が若者を惹きつけたと解釈することができる。本作「I Love Ya Me!!」のリリックである「danceが君を救うよ/限りある才能が君を生かすよ」「ありがたい/悲しんでも/君とのデートも同じ日に起こる/嘆きながら踊るしか術なし」のように希望の見えなさを日々の一瞬の競争で誤魔化し、カジュアルな絶望を享受している様は上記の一例である。


「ミクスチャー(混合)」というキーワードを用いるとラストトラック「音楽」の解釈に厚みが増す。「音楽」のサビにおいて「音楽は、音楽が、音楽を、音楽と」とエモーショナルに叫ぶリリックが登場する。単語と単語を結びつける助詞の対象が抜けて、余白が生じる。余白は想像力を生みリスナーを曲の中に引き入れる。主体と客体、あるいは複数の人称が登場する余地が生じ、リスナーの感情と曲の「混合」によって曲が大きく手を広げたままリスナーの肩をグッと引き寄せるような感覚に陥る。ストレート過ぎる曲調も押し付けがましさが消え、なんだか「アリ」に思える。思えば今回のアルバムのプロモーションで彼らが行う「#超音楽宣言」というタグもOddとリスナーが同じフィールドで語らえるような試みとして捉えることができる。

 ミクスチャー・コレクティブ・Odd Foot Worksの新譜「Master Work」はリスナーの誰をも拒まない射程の広さで、今年リリースされた作品の中でも随一の万人に届きうるポテンシャルを持ったアルバムだ、と声を大にして言いたい。


彼らのスタンスが明確に言語化されたインタビューです。


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