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ASIAN KUNG-FU GENERATION 酔杯2

1年半ぶりの生ライブ。去年は受験、今年はコロナで潰れて散々でしたが、なんとかたどり着いたKT ZEPP YOKOHAMA。

君島大空

勝手に一番楽しみにしていたのが彼ら。去年LIVE映像を偶然目にしてからずっと音源を聴き続けていた。

一曲目「旅」のアウトロ、メンバー全員で目を合わせ同時に楽器をかき鳴らした瞬間、会場の熱気が一段階上がったように思えた。若いながらも相当なテクニックと経験を持つ彼らの原点であろう「音楽をかき鳴らす喜び」、そして観客の「音楽を全身で受け止める喜び」が完全に合致した瞬間であった。

徐々に奔放さと手数が増していくドラムス・石若とベース・新井がバンドを引っ張り、ギター・西田が爆音のジャズマスターで楽曲に色彩を塗り重ねていく。そしてインタビューで「男声でも女声でもない」と自ら評していた通りの、力強さと揺らぎを兼ね備えた君島大空の声が会場を包む。

ステージに立てる喜びを恥ずかしそうに語ったMCの後、流れ込んだのが「遠視のコントラルト」。「合奏形態」の名の通りメンバーの大音量の演奏が混ざり合わさる。耳だけでなく、皮膚から、全身の毛穴から音がなだれ込み音に溺れていく感覚。経験したことはないがおそらくこれが「シューゲイザー」であり、その真髄なのだろう。

永遠に続くかと思われたアウトロのノイズ、そして音が止まった後の耳鳴り。生音に包まれた至高の20分だった。


突然少年

フジロックの配信で胸を射抜かれた方も多いであろう4ピースバンド・突然少年。邦ロックメガネの歴史を継いでいる一人かな、と個人的におもっているのだけども、どうだろうか。

日本中のライブハウスから集めたスタッフの紹介の後、一曲目「ボール」からスタート。おそらく通常のライブだったら客席はぐちゃぐちゃになりながら沸いていただろう。だが残念ながら観客は声も出せず、立ち上がることもできない。

それでも彼らの出す直線的な音の塊はフロアを間違いなく揺らしまくっていたし、後ろに映し出されていた真っ赤な映像の相乗効果もあって、誰もが前のめりに演奏を目に焼き付けていた。

MCでは彼らもアジカンファンであったと話し、「初めてバンドで合わせた曲はリライトでした」と語った。最後にアジカンへのリスペクトを込めて放たれたのは「火ヲ灯ス」。ノイズと絶叫が作り出す世界にダイブ出来ないご時世を恨んだのは僕だけではないだろう。

アウトロにのせて引用されたアジカン「新しい世界」の

大声で叫べばロックンロールなんだろう?/そんな話はもう沢山だよ/それが何なのかなんてどうだって良いから/目の前の景色を全部塗り替えるのさ

という一節は「大声で叫」ぶ自分たちをもぶち壊す、骨の芯からのロックンロールを体現しているのだろう。

MCで語っていた「Eコードをかき鳴らした瞬間の初期衝動」が永遠に鳴らされていたライブだった。


羊文学

ライブ当日にアルバム発売が報じられた羊文学。並々ならぬ期待の中でしっとりとしたSEに合わせて登場した彼女たち。完全に暖まったフロアの中でステージの上だけが涼しげだった。

「青春時代が終われば、私たち生きている意味がないわ」という歌詞で始まる一曲目「ドラマ」。なんとなく観客との間に溝があるように思えたが、曲の終わりに見せたVo.塩塚の笑顔で観客をグッと惹き込んだ。

「砂漠の君へ」「ロマンス」では曲の端々で3人で目を合わせ、音に合わせて小気味よくステップを踏む。だんだんと観客と演者の壁が薄れ、溶けあっていく感覚なんていつぶりだろうか。

想像よりもフワフワとしたMCを経て届けられたのは大名曲「1999」。コーラスワークと轟音が曲を作り上げていく。最後に披露されたのはスーパーカー「cream soda」のメインリフをオマージュした「天気予報」。

無二の存在感を放つ彼女たちの青春の行き先を見届けたい、という思いを強くさせてくれた6曲だった。


ASIAN KUNG-FU GENERATION

毎年のようにツアーを周り、さらに海外にも飛んでいくという活動を続けてきたアジカン。そんな彼らにとって、有り得ない程の期間を経ての久々の有観客ライブ、その三日目。

一曲目は「センスレス」。序盤はミドルテンポながらも、低く刻まれたギターの音色に合わせて観客のボルテージは上昇していく。「闇に灯を、心の奥の闇に灯を」と叫ぶVo後藤に合わせ、誰もが拳を高く突き上げていた。

続いては「センスレス」同様3rdAL『ファンクラブ』から「ワールドアパート」。後藤の暗黒期に生み出された曲であり、コロナ禍の暗黒期をなんとか越えた2020年10月末でもその強度を保ち続けている。

三曲目は「夜のコール」。心地良い押韻が印象的な曲である。

全ての想いを言葉にするのは無理でしょう/それでも僕らは言葉から逃げられないだろう
全てが行き詰まって/そんな時代になった/音楽は既に在って/僕たちは何を歌うの?

先ほども書いたように、アジカンの楽曲には圧倒的な普遍性が備わっていると感じる。コロナ禍の中でぐらついた音楽を含む芸術の価値。後藤も、切り捨てられていく芸術に対して様々なメッセージを発信していた。

そしてこの曲ではそんな「音楽」だったり「言葉」に対しての希望を歌い、アーティストとしての決意表明とも云える歌詞が並んでいる。10年前に作られた曲が何年を経ても同じどころかより強く響く。アジカンがそのスタンスを変えずに音楽を鳴らし続けていることの証左であり、きっと10年後20年後でも変わることはないだろう。

馴染みのイントロから踊り狂える「:Re :Re」、中期アジカンの中でも特段ストレートなロックソング「惑星」を経て後藤のMC。

ゲスト達への愛のある言葉を投げかけるとともに、こんなことを言っていた。「声は出せなくても、観客が楽しんでいることは良く分かる。肌や毛穴から出てる感情が会場を満たしている安心してほしい」。声援で演奏に応えることが出来ないもどかしさを払拭できたし、よりリラックスして演奏に身を委ねる事が出来たきっかけの一節だった。

MC明けに披露されたのは羊文学・塩塚を迎えた「触れたい 確かめたい」。どこか儚げで、それでも芯の通った塩塚の声と後藤の力強い声が重なる。「触れたい 確かめたい」と切実に言葉を連ねる歌と盤石の演奏は、深い深い心地良い海の底へと誘うようであった。

最新作『ホームタウン』からラップ調の「UCLA」、最新曲「ダイアローグ」と、より太くなった音を届けた後に披露されたのが「マーチングバンド」。

個人的な話で恐縮だが、この曲大好きなのだ。初めて友達から借りた「BEST HIT AKG」の最後の曲だからか、高校時代に要所要所で聞いていたからかわからないが、「行け」「行け」と叫ぶこの曲には特別な思いがある。

会場全員で両手を挙げて音を迎える。そんな当たり前の光景と光に照らされながら演奏する五人の姿が同時に視界に入り、改めて生で音楽を受け止めることのできた喜びを感じざるを得なかった。

ドラム・伊地知のドラムから始まる「今を生きて」では、精いっぱい手を掲げた観客たちによって祝祭空間が広がる。毎回のライブで演奏される曲だが、「生きること」への喜びを高らかに歌ったこの曲は—決して明るくないこの時代だからこそ—強く鳴り響いていた。

「まだ始まったばかり」と絶えぬ希望への渇望を歌う「ボーイズ&ガールズ」で本編が締まる。


万雷の拍手で迎えられたアンコール。「やけに調子がいい」と自身の声について笑いを交えながら話した後に披露されたのは「リライト」。コール&レスポンスこそ出来なかったが、当然のようなその格好よさを改めて実感した。

その日最後の曲となったのが「解放区」。近年の「自由」をテーマにしたアジカンの活動において重要な1ピースとなっている曲である。アジカンのライブにおいて、後藤は常に「気ままに楽しんで」「自由に踊って」「誰の真似もしなくてよい」と言った言葉を投げかけている。様々な制約がある社会で誰もが自由に音楽を没頭できる。そんな「解放区」ともいえるアジカンのライブ及びあり方を示した一曲だ。

しかし、コロナを経てライブの在り方は変わってしまった。開催できることさえ奇跡、開催できても声は出せないし席からは動けない。それでも、音楽を聴いてそれに対して素直な感情が自然発生するこの空間は、どんな場所よりも圧倒的に自由で代えがたい大切な「解放区」なのだという実感を得ることができた。


まとめ

4バンドが鎬を削る、というよりも「ライブ」及び「音楽」に対する愛をぶちまけてていて最高でした。良い夜だった。


NEXT LIVE IS THE YELLOW MONKEY in TOKYO DOME 11/3



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