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≪Primal Scream present Screamadelica Live≫に向けて

ソニックマニア・サマーソニックの開催まで一週間を切りました。Rina SawayamaBeabadoobeeといったDirty Hit所属のフィメールアーティスト、ロックシーンの台風の目・マネスキン、フジロックで圧倒的なクオリティのステージを見せつけたコーネリアス、ポップスター・ポスティ、そして2年半の沈黙を破る舞台を幕張に定めてくれた現在のロックスター・The 1975といった面々の中で、私が最も楽しみにしているのがPrimal Screamだ。

そして予めアナウンスされている通り今回のステージは「PRIMAL SCREAM present Screamadelica Live」と銘打たれている。1991年に発売された「Screamadelica」からほぼ30周年を記念したライブとしてソニックマニアの深夜アクト、サマソニ東京2日目の大トリとして演奏される。すなわち「Screamadelica」を予習しておくことで今回のサマソニを一段と楽しむことができるのではないか。

「Screamadelica」と私

アジカンからoasisに辿り着き、YouTubeを通してNirvana、Green Day、Blur、RHCPといった洋楽入門バンドに出会った中学2年生の私。次のステップとして図書館で名盤が500枚載っているディスクガイドを借り、そこに載っているアルバムを聴き漁る生活を送っていた。その本の269Pにゴッチが紹介していたTeenage Fanclub「BANDWAGONSQUE」、叔父が好きだというGuns N' Roses「USE YOURILLUSION」に並んで印象的なジャケット写真のアルバムが紹介されていた。赤地に黄色と青の太陽のようなキャラクター、バンドの名前はデュエル・マスターズの闇文明の呪文カード「プライマル・スクリーム」と全く同じ。 勿論「Screamadelica」である。紹介文にある「セカンド・サマー・オブ・ラブ」や「レイブ」「アシッドハウス」といった固有名詞などわかる訳もなく、「当時のイギリスの若者の声を代弁」といったコメントに惹かれて借り、CDコンポに入れて聴いた。「若者の声を代弁」という言葉からギターロックを想像していた私の期待は裏切られることとなる。少し弱い音圧、耳触りの良いボーカルの不在、ポヤポヤとした音像、白昼夢のようなヘロヘロ具合。YouTubeの一番上に出ていた「Rocks」はあんなにギターが鳴っていたのに。ウォークマンに取り込んだまま猛烈にハマることなく時が過ぎた。余談だが、そのページにはもう一つの「よく分からなかった(今は好きな)」アルバムことMy Bloody Valentine「Loveless」が紹介されていた。

rockin'on BEST 500 DISC 1963-2007より

「Screamadelica」と邂逅を果たしたのはJamiroquaiといったアシッドジャズ、Chemical BrothersやUnderworldといったビッグビート、Massive AttackやTrickyといったトリップホップのアーティストに耳が慣れてからだった。そして「Screamadelica」を語るときに欠かせないジャンル、というか言葉が「マッドチェスター」である。

「Screamadelica」誕生前夜のイギリスとマッドチェスター

1985年中盤から終盤にかけてイギリス国内ではサッチャー政権が行った新自由主義政策の影響で失業率の大幅な上昇が見られた。その政策に賛否はあれ、若者や労働者階級の生活に特段の向上が見られなかった事が窺える。そんな状況の中巻き起こったのが「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼ばれるムーブメントである。マンチェスターやリバプールといった工業都市の若者が夜な夜なクラブに集い、アシッドハウスやシカゴハウスといったダンスミュージックが群集をトランス状態へと導いた。音楽のみではなくエクスタシー等のドラッグも横行し、日々の閉塞感を忘れるように肩を組み、騒ぎ踊る。60年代のラブ&ピース&ドラッグ&セックスを軸としたヒッピーカルチャーに次ぐ2度目の若者中心に起こった非直接的政治的抗争という側面も存在した。


この動きは幾つかのロックバンドとも共鳴することとなる。まずNew Orderだ。ボーカルが逝去し、Joy Divisionとしての活動を止めざるを得なかった彼らはバンド名を新たにNew Orderとした。Joy Divisionの特徴が感情を抑えたミニマムなバンドサウンドだとしたら、New Orderはその延長線上でテクノミュージックとバンドサウンドの融合を果たした。機械的なドラムパターンと人力で演奏された楽器が生み出す唯一無二のグルーブはまさに発明である。彼らは1989年、すなわちセカンド・サマー・オブ・ラブのピークにスペインはイビザ島で製作されたアルバム「Technique」を発表した。イビザ島はシカゴハウスを中心としながらも奔放に様々なジャンルの音楽がプレイされる独自のクラブカルチャーが根付いた島であり、セカンド・サマー・オブ・ラブにおけるDJ達が強い影響を受けた島だ。そんな島で生まれたのが太いバスドラムと細かく刻むハイハット、音数が少ないギターサウンドがロック的グルーブとテクノ的グルーブを両存させた「Technique」であった。

続いてセカンドサマーオブラブに共鳴し、そのブームの中心にいたロックバンドがマンチェスター出身Happy Mondaysだ。特徴的なのがそのドラムパターンである。ハイハット、バスドラム、スネアという三点を中心に据えるのが一般的なバンドサウンドであるが、民族楽器的なパーカッションやシェイカーの音が16分を貴重とした非常にダンサンブルなリズムを作り上げている。他にもソウル的なコーラスが挿入されたり、うめき声のようなボーカルが中心になったりとどこか歪なパズルのような唯一無二のサウンドを形成している。何よりも全体に漂う能天気なムードが当時の若者のやるせなさを象徴しているようだ。ただ、そんな能天気な奔放さは決して音楽的な魅力が少ないことを意味せず、Blurのデーモンアルバーンなど後発の英国アーティストに大きな影響を与えている。

そしてこのムーブメントの主役と云えるのがマンチェスター出身の伝説のバンド・The Stone Rosesである。イギリス北部のスパイクアイランドで三万人を集めたコンサートはセカンド・サマー・オブ・ラブのピークとして歴史に刻まれている。彼らに関する言及は至る所で為されているためわざわざ何かを言う必要があるのかは分からないが、再び聞き直して気付いたのはボーカル・イアンブラウンのカリスマ性である。決して上手いボーカルでは無いのだが、「I Wanna Be Adored」などに象徴的な若者の行き所の無さから来る諦念を引き受けるような歌い方はトラックのサイケ的陶酔感と合わさり聴く者の救いとして機能したのだろう。

こういったバンドに加え、ブリットポップへ接続したThe Charlatans、ニューウェーブ的煌びやかさを備え、ノエルギャラガーがローディーをしてたことでも知られるInspiral Carpetsなどの総称として用いられるのがマッドチェスターという言葉である。RIDEThe La'sなど80年代終盤から90年代初頭にかけてデビューしたロックバンドを指す言葉としても用いられるが、当時どのような使われ方をしていたのかはイマイチ認識できていません。この頃のイギリスではシューゲイザーが生まれ、すぐ後にはブリットポップが世界を席巻し、そしてRadioheadが登場します。この90年代の狂騒に強い憧れを持ちながら音楽を聞いていた高校生時代にわたしの音楽に対する価値規範が生まれたのである。

Primal ScreamがScreamadelicaを発表するまで

クラブ文化に対するイギリス政府の介入などもあり、マッドチェスターの動きは90年代に入り徐々に落ち着きつつあった。そんな80年代終盤から90年代に突入する頃にボビーギレスピー率いるPrimal Screamは活動を活発化した。シューゲイザーの始祖・The Jesus and Mary Chainのドラマーとして「Pcychocandy」の制作に参加するも正式メンバーにはならず、Primal Screamとして1987年に友人のアラン・マッギーが主宰するクリエイション・レコーズからデビューアルバム「Sinic Flower Groove」、2ndアルバム「Primal Scream」を発売した。英国風の甘いメロディーをストレートなギターサウンドに乗せて鳴らされるガレージロックは非凡な才能を予感させるのに十分足るものだ。2ndアルバムの2曲目「You're Just Dead Skin To Me」はColdplayなどの美メロバンドの雰囲気を感じるピアノを中心としたバラードで、ブルージーなハーモニカソロと合わせて感傷に浸れる。そう、セカンドサマー・オブ・ラブの絶頂である1989年作でありながらも先程のThe Stone RosesHappy Mondaysのようなダンスビートと共鳴したようなバンドサウンドはあくまで主としては鳴らしていないのである。

そしてここまでが前置きであり、1991年、Primal Screamは満を辞してセカンド・サマー・オブ・ラブムーブメントへの回答といえる「Screamadelica」を発表した。

「Screamadelica」について

「screamadelica」はよく「ロックとダンスミュージックの究極の融合」と呼ばれる。間違いなく事実である。一方でロックの快楽とダンスミュージックの快楽のどちらにも属し切れていない中途半端な作品と言われると納得もしてしまう。ビートの強さで強制的に体が動き出すようなサウンドの強靭さで言えば「XTRMNTR」に軍配が上がるし、バンドとして一斉に音を鳴らすマジック、あるいはフロントマンにオーディエンスが何かを託せるような求心力という点であれば初期2作品を聞くのが良いだろう。だがやはり「Screamadelica」に唯一無二の魅力を感じてしまう理由が2つある。

ひとつは当時のセカンドサマーオブラブにおける音楽の役割をこのアルバムが永遠の物として記録しているからだ。当時の若者がクラブに集まる目的はドラッグとアルコール、そして音楽で現実を忘れることにあったのだろう。つまり逃避の先としての音楽を求めていた。体で重いビートを感じるのではなく、むしろ天から脳内に直接届き、麻痺させてくれるような調べを欲していたのではないか。そう考えるとこのアルバムの音像に納得がいく。

 M1「Movin' on Up」におけるピアノの開放的なコードの響きと女性の聖歌のようなコーラスはまさに「脳内に放り注ぐ開放的な調べ」である。また、低音を強調しない、ウワモノのグルーブで小刻みにオーディエンスを揺らすようなリズムパターンもダンスミュージックの「気持ち良さ」よりも「心地良さ」に注力したものと云える。このビートはM3「Don't Fight It,Feel It」において6分間に渡って展開される。808 Stateらに通じるようなシンセ音が後半に挿入されるなど音色の変化はあるが、ブリッジやコーラスを排した曲構成はフロアでの盛り上がりではなく、もっと個人的に鳴るようなミニマムテクノと同じ俎上で語るのが適切にも思える。

M4「Higher Than the Sun」M5「Inner Fright」はさらに肉体性を手放している。ボーカルが天井をぐるぐると回るようなミックスが施された「Higher Than the Sun」、中盤までビートを排しコーラスとうっすらと膜のように広がるリバーブがかかったシンセがドラッグの摂取が織りなす色彩を脳内に描く「Inner Fright」。これらは後世のリスナーに当時の景色を追体験させる役割を担っている。

その「当時の空気の追体験」としてのアンセムが「Come Together」だ。ビートルズの名曲を冠したサイケ・トリップ・ダンス・アンセム。ここに「Screamadelica」が唯一無二であるふたつ目の理由を読み取る。それは実験と創造を繰り返してきたロックバンドとしてのあるべき姿を「Screamadelica」に読み取れるから、だ。ビートルズが行った多重録音で「アルバム」という箱庭を作るという革命、ジミ・ヘンドリックスが行ったファズギターで音の壁を作り爆音を暴力から陶酔へ導く手段へと変えた革命。私はバンドというフォーマットを用いて音楽を新たな可能性へ導くことにロックバンドの美学を読み取る。「Screamadelica」はバンドという形を取りながら凝り固まったフォーマットを崩し、ロックバンドの名曲を用いながら敢えてダンスミュージックを作り上げた。この美学こそ「Screamadelica」の本質だろう。

アルバムの後半はボビーのボーカルが初めて中心となる。喪失について歌ったM8「Damaged」は英国風のポップなのに切ないメロディーと後半のギターソロが踊り明かした朝の空気を表現するかのような名曲だ。アルバムは波が引く音とホーンセクションが「マッドチェスタームーブメント」自体に対する餞として受け取れるであろう「Shine Like Stars」で幕を閉じる。音楽に対して救いを求め、天から降る音楽に身を任せた時間は終わる。そんな切実さを持って「時代の始まりと終わりをアルバムとして歴史に刻んだ」と結論づけることができる。

最後に

最後に、「Movin' on  Up」 の歌詞を引用する。物語が再始動し、楽しい瞬間を迎えるという趣旨の「Screamadelica」のオープニングトラックだ。

I’m movin’ on up now
Getting out of the darkness
My light shines on
My light shines on
My light shines on 

この決して明るいと言えなかった2年半を救うようにPrimal Screamがライブを行う。「私の光が輝く」瞬間を幕張で迎える日が待ち遠しい。


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