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未来予測図というもの


2022年最後の投稿は
ちょっと重いけど
ずっと大切にしたい
そんな思いを記します
今だから熱く語れる
そんなものこと



未来はこうなる


そんな絵をよく見せる人がいるけれど、何も考えていない人たちは、その絵を見たその日から、その未来をせっせと作っていってしまう。

未来は決まっていないのだから、本物の未来予測図なんて存在し得ないのに。


こうなりたい こんな未来がいい


未来は、誰かの予測図が決められるものではなく、自分で0から考えるもの。そして、その考えに基づいて行動を重ねていった先に存在するもの。今目の前に広がる世界を自分で見て、自分で想像するもの。

滅亡の未来を見せたら、私たちは滅亡する方に行く。なぜなら、諦める人が出てくるから。未来はこうなんだって、と言って。
だから、不運な未来を描いて見せる人を私は好きになれない。その絵を見せながら、こうならないようにしようねと口で言ったって、北叟笑む悪魔に見えてしまう。

でも、そういうことを楽しむ大人はたくさんいる。それが、私はとても哀しい。

見せるなら、最悪を可視化するのなら、そうならないための予測図も同じ量、同じ熱量で、同時に見せて欲しい。
それが出来ないなら、やっぱりそれはただの、不運へひきずりこむ疫病神、死神と一緒。


見せるなら 語るなら なりたい未来を


未来は”こうなる”ではなく
未来は”こうなることも出来る”

2023年は、そう語る大人が増えるといいな。

noteを始めてちょうど半年。
毎週投稿を続けられました。
ぱちぱちぱちぱち。

yukino
共に取り組んでくれてありがとう。
とても楽しかったです。
来年もよろしくです。

そして読んでくださった方、スキをしてくれた方、フォローしてくれた方。
ありがとうございました。
モチベーションが上がりました。

皆様、良いお年をお迎え下さいませ。

Fin.
麻裕



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