恋愛について
こんリシェᜊ(˶ᐢ. .ᐢ˵)ᜊ
7月になってルンルンなリシェです。
今日は「恋愛」について語ろうと思う。
そもそも人を好きになるとはどういう事なのだろう。そもそも家庭環境があまり良くなかった私は普通の人が与えられる愛情というものに飢えたまま成長してしまった。だから、正直"好き"という感情が分からない。
付き合って1人の異性に縛られてしまうならば都合のいい男友達を沢山作って自分が暇な時に暇な異性と都合良く遊ぶので満足していた。故に私は恋愛が長続きしない。彼女らしくあろうとする自分に疲れてしまうのだ。そもそも恋愛の仕方が分からない。
よく恋と愛は別物だと聞く。一説によれば恋は1人でするもの、愛は2人で育むものであったり恋とは相手の嫌な部分を見ず愛とは嫌な所を受け入れる等様々なものがある。
ここで辞書を引いてみた。
【恋】
異性に愛情を寄せること、その心
【愛】
そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持ち
つまり、恋とは異性に寄せる感情の事で愛とは相手の存在を受け入れた上で引き寄せられる感情ということになる。
実際、レサワとの付き合いが過去の恋愛と比べて1番長い。しかし、それが好きという感情の元恋や愛に沿ったものまでかは分からない。(レサワにもこれは伝えてある)
実際レサワといると楽しい。一緒に食事をしたりゲームをしたり何気ない会話でさえ全てが面白い。
そこで私が思ったのは私はレサワに依存や執着をしているだけではないかということだ。
【依存】
他のものによりかかり、それによって成り立つこと
【執着】
ある物・事に強くひかれ、深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと
これで悩まされた時期もあった。だが、気が付いた。依存や執着も好きという枠組みに入るのではないだろうかと。私はそうすることで恋愛にのめり込んでいるのではないかと。
レサワの為に料理を作ったり洗濯したり、行きたい場所を提案したり、時には喧嘩をして本音をぶつけ合うのが愛情なのだと考える。どうでもいい人だったらそこまで出来ないだろう。
そして、私が持病で動けなくなった時看病して支えてくれたり、行きたい場所に連れてってくれたり、私がいるだけで幸せだといってくれるのも愛情なのだろう。
恋愛の仕方が分からなくて不器用ではあるが、私はレサワを想い行動する全てを愛だと捉えたい。
そして、レサワが私にしてくれる全てを愛情として受け止めたい。
そんな私も今月の7日で結婚記念日を迎える。
結婚する事も相当に躊躇いはしたが今ではしてよかったと思える。
かけがえのない人に出会えたのだから。
1人でいるのは楽だ。だが、今はレサワがいてくれないと寂しいという感情が湧いてしまう。
それが依存でも執着でもいい。
私はレモンサワーという1人の男を愛しているのだから。
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