小説『二つの顔』 第一章

一 – 表から裏へ

窓から差し込む暖かい陽の光、茶色やベージュを基調とした、控えめな内装、落ち着いた曲が流れる静かな空間。そこが、和葉がこの喫茶店を気に入っている理由だ。一人一人が思い思いの時間を過ごす店内で、和葉もまた、読書や勉強をし、贅沢な時間を楽しんでいた。週末はもちろんのこと、大学の講義が早く終わる日はこの喫茶店に来て、サークルの用事やレポートの作成、テストが近くなれば勉強のための時間を過ごしていた。この喫茶店では作業がはかどり、大学受験の時期には本当にお世話になった。
今日も彼女は週末をこの喫茶店「黒薔薇」で過ごし、書店で買った話題の本を楽しんでいる。室内を照らす春の光は店内を暖め、彼女の長いストレートヘアーには光沢がきらめく。彼女が定位置のソファー席でスマホに入れた曲を聴きながら読書を進めていると、同じ年頃の男の子が店内に入ってきた。短髪の爽やかな彼は店内をキョロキョロと見回し、席への案内が来るのを待っている。すぐさま店員の邑崎さんが現れ、彼を空いている席へと連れていく。彼が座ったのは、和葉の隣のテーブル。彼女が横目でその男の子を見ると、彼の目線は邑崎さんのことを追っていた。邑崎さんは和風美人で印象もよく、何より胸が大きい。大抵の男性客は邑崎さんの方に目が行ってしまう。

「いつも見られてる感じがして、嫌なのよねぇ」
周りに男性客がいないところで、和葉は邑崎さんとそんな話をしたことがある。邑崎さんは二年くらい前からこの喫茶店で働いており、和葉とは顔見知り。美人店員ばかりを集めているのではないかと思えるこの喫茶店の中でも、邑崎さんは男性客から特に人気があるようだ。

隣に座った男の子が和葉の方を見る。二人の目が合い、和葉は笑いかける。彼は照れながらも笑顔を返し、メニューを取り出した。スカイブルーのシャツにジーンズという出で立ちが、彼の爽やかさを一層引き立てていた。

*****
いつもの喫茶店でデートをする、龍治と和葉。半年前だった、龍治が彼女と出会ったのは。偶然隣同士の席に座った二人はその翌週にも顔を合わせた。
「この近くに住んでるの?」
最初に声をかけたのは、和葉の方。龍治は大学の近くにアパートを借りて住んでおり、そこはたまたま和葉の家の近くだった。それから二人は頻繁に顔を合わせるようになり、付き合い始めるまで、半月もかからなかった。
「今度、龍治くんの家にいっても、いいかな?」
和葉からの、思いもよらない誘い。一人暮らしの男子学生の家に女子がくるという状況を、龍治は想定していなかった。
「もっと和葉と仲良くなりたい」
彼女との仲が深まることを期待していたものの、彼の家で、しかも二人きりになる段階まで行くのは、もっと先の話だと彼は思っていた。
「いいよ、いつでも」
想定していたよりも早く接近した、二人の仲。彼は冷たい緊張と甘い期待が入り混じった思いを抱きながら、彼女が来る日を待ち焦がれていた。

「龍治くんの家って、広いんだねー」
和葉は龍治の家のリビングに通された。彼の家にはキッチン付きのリビングと寝室の二部屋があり、二人でいても、狭さは微塵も感じられなかった。彼女をソファーに案内し、龍治はテーブルにお茶菓子を用意した。初めての、二人きりの空間に、緊張感が漂う。
「テレビでも、視ようか」
と言い、龍治はリモコンを取ろうと手を伸ばす。そのとき彼の手首を掴んだのは、和葉の細い手。彼女の方を振り向く龍治。そこにあるのは、和葉の温かい笑顔。彼女の頬は赤く染まり、彼は思わず唾を飲み込む。
「龍治くん」
彼女から求められていることを、彼は理解した。彼女に向かって、彼はゆっくりと顔を近づける。二人の間隔は、徐々に狭まる。あと数ミリで、二人の唇が合わさる、その瞬間、
「ピンポーン!」
高らかな、インターフォンの音。すっかり正気に戻った彼はばつの悪い思いを抱きながら、インターフォンに応対し、玄関へと足を運ぶ。ドアを開けると、そこにいたのは、背の高い人。目の前にいるその人は黒いコートに黒いズボン、そしてつばの広い黒い帽子という出で立ち。サングラスをかけ、マスクを着用しているため、顔がわからない。その体型と滑らかな長髪から、彼は目の前の人間が女性であると判断した。彼はその人の服が黒一色であることに戸惑いを覚え、何も言えないまま、その場に立ちすくむ。
「どのようなご用件でしょうか?」
と訊こうとしたそのとき、彼は口の周りに何か布のようなものを当てられた。目の前にいる女性の両手は下ろされたまま。布を押さえている手が後ろから伸びていることを理解する前に、彼は意識を失った。

どのくらい長く眠っていたのだろうか。目を覚ますと、龍治は一面が灰色に覆われた部屋にいた。壁、床、天井、全てが灰色。目の前の扉だけは茶色。取っ手を動かして開こうとするも、鍵がしっかりとかけられており、外に出られない状態。
「開けろ、開けろ、開けろ、開けろ」
一心不乱に、彼は扉を叩き始める。一瞬、視界の上方に移った監視カメラ。誰かが自分を監視していることに構うことなく、彼は必死の思いで扉を叩き続けた。

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