陰陽師に憧れて京都旅(その8)晴明神社にいま、会いにゆきます
出張中の京都駅でアポのドタキャンを知って怒り狂った男二人。その勢いのままに「丑の刻参り」の聖地・貴船神社へ向かう。
しかし、そこには怒りや呪いすら清める清浄な空間があった。賢者のような気持ちになって下山し、下鴨神社と糺の森でさらに心が清められ、イノシシに護られる護王神社を経由して、いよいよ晴明神社に向かうのだった。
【今も京都に潜む魑魅魍魎】
下長者町通りを西に歩いていくと、京都法務合同庁舎を覗き込むカメラを見てしまう。
なにをやってるんだか・・・・
これは報道なのか、盗撮なのか、なんなのか
平安時代には魑魅魍魎が出たけど、今でも妖怪や鬼みたいなやつを見てしまうとは・・・・
【五芒星が目立つ晴明神社の鳥居】
堀川通りを北上していくと、民家の中にぽっかりと境内が現れた。
鳥居にあるのは安倍晴明が多用した五芒星。
まさしく晴明神社だ。
面白いことに境内には横に道路が走っている。
晴明神社は、安倍晴明邸の跡地だという。
安倍晴明が寛弘2年(1005年)に亡くなると、第66代一条天皇の思し召しにより顕彰活動が行われ、寛弘4年(1007年)に広大な晴明神社が建立された。
当時の境内は北は元誓願寺通り、南は中立売通り、東は堀川通り、西は黒門通りとかなり広い。
戦火や区画整備により段々と狭くなってしまった。
ちなみに安土桃山時代のお隣さんはあの千利休の屋敷だったという。
幕末の相次ぐ大火によって社記を焼失し、氏子の協力でなんとか今日の形まで復興してきたという。
「陰陽師」ではおなじみの一条戻橋。
安倍晴明は式神を潜ませていて、そこでの話はいつも筒抜けになっていた。
これは一条戻橋をかけ替える際に、欄干を移築したものだという。
そう言えば、貴船神社の神託から鬼となった「宇治の橋姫」は一条戻橋で腕を切り落とされたのだった。
よく見ると傍らにデフォルメされた式神が潜んでいる。
デフォルメされすぎてゴブリンみたいになっているが、おわかりだろうか。
本殿の前まで行くと、ようやく安倍晴明像とご対面。
ここにおられましたか!!
亡くなられて既に1000年以上が経過したが、現代人の心を捕らえて離さないのは陰陽道よりも不思議な術かもしれない。
厄除けの桃も鎮座している。
そう言えば、黄泉比良坂から脱出する伊弉諾尊も厄除けの桃を投げていた。
おみやげ物屋には雑然と五芒星だらけのグッズが置かれている。
映画「陰陽師」の公開された2001年からずっと置かれているのではないかと思うほど雑然としている。
【怪異はいるのか一条戻橋】
晴明神社を出て2分ほど歩くと一条戻橋がある。
日常に溶け込んでいるように見えて、ここが「一条戻橋」と思ってみると怪しい感じもする。
晴明神社という趣あるバス停から京都駅に向かう。
ドタキャンのおかげで京都の各地を巡ることができた。
【今は亡き「ナナズグリーンティー」の抹茶パフェ】
いやー、今日は歩いた。歩いた。
京都駅地下のポルタ「ナナズグリーンティー」で休憩。
何故か京都で食べたら美味しく感じる抹茶パフェを注文。
酒粕最中や、鮎料理に加えて抹茶パフェまで食べる事ができて、本当に最高。
結局ドタキャンによって私たちはこういう体験をさせてもらったのかもしれない。
京都の神域とは、丑の刻参りの聖地などではなく、恨みを持った人を優しく抱擁して、本来の心を取り戻す場所だったのかもしれない。
だからこそ、如何に開発されても京都の神域は護られるのだろう。
興味がおありでしたら番外編もございます
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