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教職ワーキングプアの現実

私は教職公務員を教諭という立場で57歳まで勤めて、早期退職後は臨時で常勤や非常勤で働いていた。

当初は教職に戻るつもりはなくて、農業団体や社会教育施設で常勤で働いたが、給料の低さの割には体力的にも精神的にも耐えられず辞めてしまった。

辞められた理由は簡単で、高校からの臨時講師の誘いがあったからである。

そこはかつて最後に勤めた定時制とは違う職業高校の定時制で、非常に荒れていた。

まだ9月という途中にも関わらず、使い物にならない臨時女性講師をクビにして、経験のある私に据え変えたのだった。

当初は、臨時講師という肩書きだったが、次の4月からは臨時教諭になり、若干給料が上がった。

臨時と言っても仕事の上では、教諭時代とほぼ変わらず、授業は生徒指導がかなり難しくて、教諭時代に経験した職業高校以来の困難さを極めた。


私は、校長からは継続して勤めることを求められたが、断って非常勤の講師を進学校と普通科の定時制に得た。

普通科の定時制も職業科ほどではなかったが、荒れていて担当教諭が指導できないのでその代役だった。

気の毒に、その教諭は殆ど授業を外されて、私のアシスタントのような役をやらされていた。

進学校の方は、元一緒に働いた同僚と組んで、三年生の受験指導をやりがいを持って勤めることができた。

残念ながら、そちらは次の年には初任研が入ったらしく、私の出番はなくなった。

初任研指導は殆どが管理職経験者のポストとなっており、おいしいポストだった。


元々、どうしても研究がしたくて、早期退職したのだから、非常勤講師をしながらの方が都合は良かった。

ただ、家内には黙っていたのだが、県の講師登録をしていなかったので、まるまる一年無職の期間ができた。

しかし、さすがに家内には申し訳なくて、ちょうどネットで登録できるようになったので登録すると、すぐに元同僚の校長から電話がかかってきた。

新課程に地理が必修になりその教員の数が絶対的に不足していた。
ひとつはそこそこの進学校で地理を頼まれた。

もう一つは、一学年一クラスの過疎地の高校で、今いる教諭が日本史の受験指導の経験が無いので是非来て欲しいと言うことだった。


ふたを開けたら、どちらも過酷なものだった。

進学校の地理総合は文系の生徒には受験に関係が無いので、模試を受けることもなく、適当に済ませられるもので、生徒の態度はいい加減だった。

過疎地の高校は受験指導もあった二年生の新課程で、受験指導とは言えない一年の新課程の公共を持たされた。

当の校長は1年勤めただけで、別の教諭が問題を起こした高校に転勤させられていた。

新課程の負担は定期考査の問題作りと採点、その後の評価での手間だった。
教諭の中には、旧課程だけでのんびりと過ごしている人もいた。

そんな中で、どちらでも定期考査の問題を作成させられた。


進学校で無理をさせられたのは理由があった。

5クラスをふたりで担当したのだが、もう一人は臨時教諭で1年の担任までさせられていた。

その人は公共も担当しており、地理のテスト問題まで作る余裕がなかったのだ。

しかも、遠くからの遠距離通勤で、朝は自腹で新幹線を使って毎日1000円ほど負担しているという。

弱い立場なので、そういう高校にも勤めざるを得なかったようだ。


一方過疎地の高校も、臨時常勤講師が担任をしなくてはならないほど、校務が多忙だ。

教科指導の負担も考えれば私に1年の授業を振ったのも理解できるが、進学校の授業数を減らして往復二時間の遠距離の通勤をさせるのは酷だ。

何よりも、一クラスしかないので、教材研究は授業とほぼ同じだけの時間を要したので負担は時給には見合わない。

結局、二つの学校を合わせても、64歳から貰える年金の額には届かなかった。

しかも、長期休暇中は無休なので、年収では年金の方が断然多くなった。


来年度からは年金が今の収入と同じだけ出るので、非常勤講師はどちらも断った。

来年もうまく利用できると思っていた校長は残念がっていたが、そうは問屋が卸さない。

ただ、中にはお金よりも学校で教えていることに生きがいを感じている年金生活者もいるので、そういう人が活躍してくれるだろう。

それよりも、本当に生活がかかっている臨時の教員の方がことは深刻だ。

ブラックな教職のもっとブラックな闇の部分である。

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