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59 感じてほしい、歴史の重みと文化のかおり:修学旅行1

教員時代には何度も修学旅行の引率をしました。行先はずっと京都と奈良でした。年度によっては引率が大変なときもあり、ほとんど不眠不休だったこともあります。一方、生徒の節度ある行動に助けられ、私自身が旅行を大いに楽しんだときもありました。今となってはすべて懐かしい思い出です。
私にとって思い出深い修学旅行を何回かに分けて紹介します。準備は2年生の3学期から始まり、京都奈良に出かけたのは6月でした。

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修学旅行に向けた準備が始まりました、これから修学旅行委員の人たちを中心に旅行の目標を決めたり、京都や奈良の下調べをしたり、持ち物や服装、行動のルールなどを決めたりしていきます。修学旅行は何のために行うのかをか考えながら有意義な旅行になるようみんなで取り組んでいきましょう。まずは京都と奈良について。

古都の文化にふれよう

古都の町には人の心を落ち着かせる何かがあります。私の場合は、関東から西へ向かう新幹線が東山トンネルに差しかかると心が落ち着かなくなります。その後列車がトンネルを抜け東寺の塔が見え始めると心は次第に落ち着き、やがて安らぎに変わります。それは懐かしさでもあります。京都が日本人の心の故郷と言われる理由はそんなところにもあるのかもしれません。

京都の朝は「打ち水」で始まります。凛とした朝の空気の中で人々は家の前を掃き清め、バケツや桶の水をひしゃくで撒いて埃をしずめます。他県から来た人の中には「自宅の前だけでなくお隣の分もやってあげればいいのに」と思う人がいるようですが、むやみに他人の領域に踏み込まないのが京都人のやり方です。隣組の結びつきが強い一方で個人を大切にする気持ちも強く、「打ち水」という日常の小さな習慣の中にもそれを感じます。

私は中学から大学まで京都で過ごしました。中学校は西陣の下町にありました。家が学区のいちばんはずれだったので通学には30分近くかかりましたが、登下校はとても楽しい時間でした。あちこちから聞こえてくるトントンという機織りの音、紅殻格子の奥から響いてくる琴の音、托鉢僧の読経の声とそれを聞きつけた町の人が喜捨の小銭を握って路地の奥から駆け出してくる下駄の音などは心地よいBGMでした。道端に祭られているお地蔵さんには自分が守られているような気がしました。下校時はお寺の鐘が夕暮れの中に響き、心を落ち着かせてくれました。

高校は一休さんで有名な大徳寺の境内を抜けたところにありました。名物和尚と言われた大仙院の住職さんが落ち葉を掃き集めながら「しっかり勉強しなはれや」と声をかけてくれたのが懐かしい思い出です。

大学時代は数えきれないお寺を訪ねました。どんな小さなお寺も手入れがきちんと施され、そこに身を置くだけで心が落ち着きます。四季折々に美しい色を見せる東山、その麓を流れる疎水沿いの道(哲学の道と呼ばれています)は大好きな散歩道でした。竹に囲まれた嵯峨野を歩くのも好きでした。本堂で仏さまと対話するのもいいですし、何も考えずに瞑想にふけるのもいいです。静かにお庭を眺めるだけでも心が癒されます。

奈良にも奈良のよさがあります。京都も奈良も町全体が文化遺産です。戦争の中も人々が必死で守り続けてきました。そんな文化の香りと歴史の重みを今回の修学旅行でじっくり味わってほしいと思っています。歴史の授業で学習したものにもたくさん出会うでしょう。頭で学んだことを「心」と「からだ」でも学んできてください。そして楽しんでほしいと思っています。


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