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沖縄再訪:ひめゆり学徒散華の荒崎海岸で

(2月に沖縄を旅行したときの記録です)

沖縄県糸満市、本島最南端の荒崎海岸を訪れました。ひめゆり学徒散華の跡(ひめゆりがくとさんげのあと)として知られているところです。多くの島民を巻き込んだ沖縄戦。南へ南へと逃げた住民が降り注ぐ弾雨のなか追い詰められ命を落とした海岸です。その中にひめゆり学徒隊の女生徒たちもいました。

ひめゆり学徒隊というのは、沖縄師範学校女子部と沖縄県第一高等女学校の両校から動員された学徒たちの戦後の呼び名です。沖縄戦では生徒211人と教師16人の計227人が命を落としたと言われています。

南へ南へと逃げ場を失った住民は、弾雨のなか、海岸地帯へと追いつめられた。荒崎海岸一帯でも多くの人が隠れ場所を求めて右往左往していた。このなかに一部のひめゆり学徒もいた。6月21日、平良松四郎教諭引率の生徒らは突然米兵に自動小銃で攻撃され、混乱のなか、手榴弾で自決し、10人が命を失った。現在、この場所には「ひめゆり学徒散華の跡」の碑が設置されている。ひめゆり学徒とは、沖縄師範学校女子部と沖縄県第一高等女学校の両校から動員された学徒隊の戦後の呼び名である。

糸満市ホームページより

ここから海外線に出ると1本道が続いており、迷うことはなく10分ほどで到着しますが、隆起珊瑚のゴツゴツした磯を歩いていくのでスニーカーがおすすめです!

車を停めて海岸線に向かって歩きます↓

海岸への小さな案内板があります↓

海岸に出ると青い海が広がっていました↓

散華の地までは珊瑚が隆起したごつごつした浜を歩きます↓

散華の地には碑文が設置されています。「ひめゆり学徒散華の跡」の碑文は「岩陰に一筋の黒髪 乙女らの自決の地なり 波もとどろに」と書かれ、ここで亡くなった学徒隊12名と教員2名の名前が刻まれています。

近くには別の碑文もあります↓

当時の光景はどのようなものだったのかと考えると心がかき乱される思いがしました。でも過去を忘れないためにしっかり見ておくことが大切だと思いました。

私は25年ほど前にもこの地を訪れ、そのことを学級通信に書いたことがあります↓


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