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父と娘って?

電車に乗った時、3人掛けの真ん中の席が空いていたのでそこに座りました。右側は40代くらいの女性、左側は70代くらいの男性です。女性はスマホを見ており、男性は顔を正面に向けてじっと目を閉じています。

私は文庫本を読み始めました。少しすると男性が何か言いました。私は話しかけられたのかと思い男性を見ましたが、彼は目を閉じたままです。どうやら独り言だったようです。その後も男性は時折り何かつぶやいていました。そのたびに右隣の女性がチラチラ彼を見ます。気になるようです。

どれくらいたったでしょうか。突然私の前に男性の腕がにゅっと伸びてきました。本を覆うように手が差し出されています。私はびっくりして男性の顔を見ましたが、彼は私の存在に気づく様子もなく隣の女性に向かって言いました。

「おい、降りるぞ」

次の駅で男性はそそくさと立ち上がって降りて行きました。女性も後に続きましたが、立ち上がりながら私に軽く頭を下げて申し訳なさそうに言いました。

「父が失礼しました」

二人は父と娘だったようです。父親は電車を降りることを娘に伝えるために手を伸ばしたのでした。私を気に留めることなどまったくなく。40代の娘と離れて座り、降りる駅を知らせる父親。父親にとって娘はいくつになっても子どもなのでしょう。

コラムニストのジェーン・スーさんが『生きるとか死ぬとか父親とか』でご自身と父親の関係を深みのある文章で書いています。自由奔放に生きる父とそれに振り回される娘の愛憎入り混じる関係。電車の中の父娘もそんな関係だったのかもしれません。

母を亡くして約二十年。私にとって七十代の父はただ一人の肉親だ。だが私は父のことを何も知らない。そこで私は、父について書こうと決めた。母との馴れ初め、戦時中の体験、事業の成功と失敗。人たらしの父に振り回されつつ、見えてきた父という人、呼び起される記憶。そして私は目を背けてきた事実に向き合うーー。誰もが家族を思い浮かべずにはいられない、愛憎混じる、父と娘の本当の物語。

『生きるとか死ぬとか父親とか』の紹介文(新潮社)より

電車で出会った父親はヘッダーでお借りした川中紀行さんのイラストのような男性でした。川中さん、似ていたので使わせていただきました。ありがとうございます。


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