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49 家庭訪問を終えて思うこと 

前回は家庭訪問の様子を書きました。今日は家庭訪問を終えて思ったことを書きます。

最近は家庭訪問を実施しない学校が増えているようですが、私が教師だったころは毎年家庭訪問をしていました。家庭訪問には賛否両論あります。保護者にとっても教師にとっても負担が大きいことは事実です。仕事をもつ保護者は教師の訪問に合わせて仕事を休まねばならないこともありますし、接待にも気を使います。接待は不要と言われてもお茶の一杯でもと考えてしまうことは多いでしょう。私自身が親として子どもの担任を迎えることはありましたから保護者の立場もよく理解できます。一方、教師は保護者の希望に合わせて訪問日程を組み、地図で各家庭の場所を確認し、訪問する順番を決めます。これが結構大変なのです。保護者の希望に合わせると同じ日に訪問する家庭が離れた場所になってしまうことも少なくありません。移動ルートが非効率になり余計な時間がとられます。さらに1軒あたり10分から15分で予定を組んでいても、話が長くなって時間がずれ込んだりします。訪問時間がどんどん遅れ、保護者に迷惑をかけてしまうことがよくありました。家がなかなか見つからないこともあります。今ならスマホで簡単に見つけられるのでしょうがアナログ時代は大変でした。明細地図をコピーして持参しました。生徒がボランティアで道案内をしてくれたこともありました。生徒とおしゃべりをしながら一緒に歩くのはそれはそれで楽しかったです。

家庭訪問当日です。「さあ出かけよう」と思うと雨が降り出してくることがよくあります。自転車で訪問をするときに一番困るのが雨です。雨の日が多い年はなんだか雨に意地悪をされているように感じました。でも全家庭を無事に訪問し終えたときはほっとします。

家庭訪問の意義は何と言っても家庭での生徒たちの様子がわかることです。学校では見られない様々な面を知ることができます。短い時間なのでたくさんの話はできませんが、子どもたちの家庭での様子、親子関係や兄弟姉妹との関係など学校では見えにくい部分を垣間見ることができます。自宅なので保護者も学校で話すよりリラックスしている様子です。子育ての悩みなども率直に話してもらえるととても助かります。対応するのは母親が多ですが、時に父親、そして祖父母などとも話すことがありました。孫を思う祖父母の気持ちには親が子を思う気持ちとは別のものがあります。父親も懇談会などで会うことは少ないのでそうした出会いは私にとってはとても貴重です。

子どもはいろいろな「顔」を持っています。学校で見せる「顔」と家庭での「顔」が違うこともありますし、相手によって見せる「顔」がちがうこともあります。まるで金平糖のようです。「顔」を隠していることだってあります。保護者に見せる「顔」と教師に見せる「顔」が同じとは限らないと思いながら指導するのがよいのかもしれません。生徒たちの見えない部分にできるだけ目を向けたいと思います

家庭訪問をしながら感じるのは、どの家庭にもそれぞれの色があり香りがあることです。保護者によっても考え方や感じ方は違います。学校に対する要望も異なります。家庭によって相反する要望を受けて戸惑うこともあります。すべての要望を受け入れることはできませんが、担任としては個々の要望や意見に謙虚に耳を傾け、真摯に対応していきたいと思います。腹を割って話し合うことが大事です。大切なことは、個人と集団のバランス感覚を保ちながら「ひとりひとりの生徒にとって必要なことは何か」を第一に考えることではないかと思います。

親であれば子どものことはどんな些細なことでも気になります。暗い顔をしているのを見れば学校で何かあったのかと心配ですし、忘れ物が多いと聞けば小言のひとつも言いたくなります。私も親の一人として保護者といっしょに悩みながら成長していきたいといつも思っていました。

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