雨の日も風の日も彼は箒を持ち続けた
正門前を毎日欠かさず掃除する校長がいました。生徒が登校する朝の時間帯に彼は正門の周辺を掃き掃除します。これを聞くと「何と立派な校長だろう」と思う人が多いと思います。でも教員たちの反応は一様に冷ややかでした。
彼は出勤するとすぐジャージに着替え、箒とちり取りを持って道路に出て行きます。「これから掃除をしますよ」という意気込みが感じられます。生徒が登校する少し前に始め、登校し終えると掃除を終えます。生徒たちは「おはようございます」と言って彼の脇を通り過ぎます。そのたびに校長は「おはよう」とあいさつを返します。生徒と触れ合う校長の美しい姿です。出勤途中の住民がその様子を眺めていきます。その中には保護者もいます。
彼の行為が冷ややかに見られる理由はいくつかあります。まず、彼が掃除を休まないことです。休まず掃除をする。立派なことですが、彼の場合は雨の日も風の日も掃除をします。大雨の日は合羽を着て掃除をします。風が吹き荒れていても休みません。台風か近づいている日にも落ち葉を掻き集めていました。落ち葉は後から後から飛んできます。風に吹き飛ばされそうになりながらひたすら落ち葉を集める彼の姿には執念のようなものが感じられました。登校する生徒たちは挨拶もそこそこに走り過ぎていきます。彼はきれいにすることよりも見せることを目的に掃除をしているではないかと言う人が少なくありませんでした。
次に、彼が掃除をする場所が正門付近だということです。他の場所はやりません。むしろ校舎の裏や体育館の陰など目立たないところの方がゴミが多いのですがそれらの場所を彼が掃除することはありません。目立たないからだと周囲は言います。だれも見ていないところを掃除するのは彼にとっては意味がないのだろうと思われています。ちなみに正門付近は放課後になると生徒が掃除をします。だからたいていきれいになっています。そのあと翌朝までの間にゴミがたまることはありますが、放課後になれば生徒がまたきれいにします。でも校長はこう言います。「正門は学校の顔だから常にきれいにしておかなければいけません」
さらに、彼が掃除をする時間は生徒が登校するときだけです。すべての生徒が正門を通る始業前です。昼休みや授業時間などにはしません。勤務時間は本来の業務を行わなければならないから始業前にやるのだと彼は言います。朝は通勤する地域住民も多く、保護者も通ります。見せるためだという教員もいますが、校長は「生徒や地域の人とあいさつをするためだ」と言います。
校長はもしかしたら本心からきれいにしたいと思って掃除をしていたのかもしれません。人目を引こうなどという「計算」はないのかもしれません。そうだとしたら周囲の見方はちょっと意地の悪いものだと言えます。でも、多くの教師が彼の行為を「アピール」や「パフォーマンス」だと思うのは彼のどこかにそう見られる要素があるからだとも言えます。同じことをやっても人によって受け取られ方が違うということはあります。最近よく指摘される政治家の「アピール」や「やってる感」にも同じことが言えそうな気がします。
たかが掃き掃除、されど掃き掃除です。
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