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私のカルチェラタン:新任教師のパリ研修 2

南回りの空の旅 羽田~マニラ~バンコク

私がフランスに向かったのは今ではほとんど耳にしなくなった「南回り」路線だった。夏の太陽が西に傾き始めた7月26日の夕刻、羽田空港から日本を発った。成田空港はまだなかった時代だ。楕円形の窓から外を見ると、飛び立ったばかりの空港が次第に遠ざかっていくのが見える。夕日に照らされた滑走路が一本の線になって消えていく。デッキで見送る人たちの姿もあっと言う間に豆粒のように小さくなった。地上を離れるにつれて私の心はこれから訪れるフランスへの思いでわくわくした。だが、長年あこがれていたパリでの生活への期待が膨らむ一方で、一か月以上日本を離れることへのある種の寂しさも感じ、複雑な心境だった。
 
使用した航空会社は格安のパキスタン航空。今だったおそらく使うのは躊躇するかもしれないが、当時は勤め始めたばかりでお金のない身。航空会社を選ぶ余裕など私にはなかった。

搭乗した761便のダグラスDC10は羽田を飛び立つとあっと言う間に雲の中に入った。これら30時間以上の空の旅が続くのだ。パキスタンの航空会社ということもあり、鮮やかな民族衣装に身を包んだフライトアテンダントが動き回っている。配られたアメニティグッズにも物珍しさを感じた。私の周りでは2人の女性が忙しそうに動き回っている。一人はパキスタン人だろう。小麦色の肌をし、すらりと背が高く目鼻立ちがくっきりしている。もう一人は日本人のようだが、顔立ちはやや日本人離れして見える。パキスタンの衣装を身に着けているせいかもしれない。外国人を採用する際も、自国の雰囲気に近い人を選ぶのだろうかなどと思ったりした。

やがて機体はフィリピンに近づいてきた。マニラで1時間の給油時間が予定されている。マニラ空港に到着するとあたりはもう夜の帳が降りていた。滑走路が赤いライトに照らされている。機外に出るとむせ返るような空気に包まれた。日本よりずっと暑い。私にとって初めて踏む異国の地だ。夜のせいか幻想的な世界にいるように感じた。

空港ロビーでは免税店の店員があちこちから声をかけてくる。それも日本語だ。金払いのよい日本人は彼らにとって最高のお客なのだろう。だが商魂むき出しの姿にはいささかうんざりする。海外に来てまで日本語を聞きたいとは思わない。ショウーケースの中に並べられたものを見ても興味が湧かない。日本のデパートで開かれる「東南アジア物産展」といった感じだ。象牙のペンダント、木彫りの置物、刺繍を施したテーブルセンターなどを眺めるだけの私。一時間はあっと言う間に過ぎた。再び搭乗すると機体は一路タイのバンコクに向かった。

バンコクでも一時間の待機。バンコク国際空港はマニラとは比べものにならないほど立派だ。カードを受け取って空港ロビーに入ると、マニラと同様に免税店がたくさん並んでいる。店員はやはり日本語で話しかけてくる。ひと通り見たがやはり売られているものに興味は湧かない。美しい民族衣装が目についたが、買おうとまでは思わない。そもそもショッピングが旅の目的ではない。

トイレに行くとツアーの同行者が顔をしかめて出てきた。そして憤慨した様子で私に言った。「まったくがめついったらありゃしない。おばさんが手を出して追いかけてきたわ」と。トイレを出るときチップを催促されたそうだ。小銭を渡したら財布の中を覗き込み「もっとあるだろう」という様子で手を出されたのだという。私もチップを払ったが、小銭でも何も言われなかった。海外ではトイレに入るにもお金がいると聞いていたがタイでもそうなのか。欧米を真似ているだけのようにも思えた。トイレそのものもそれほどきれいではないし、チップが少ないと言って催促するのも興ざめだ。気持ちよく使わせてもらったお礼という気持ちで払いたい。

出発の時刻が近づいてきた。ロビーの時計は8時10分を指している。私の腕時計は10時15分だ。次第に時差の世界に入り込んでいくのを感じた。搭乗のアナウンスが聞こえたので搭乗口に向かおうとすると男性係員が私に何か言ってきた。 「手を挙げろ?(”Lift your hands.”)」 と言ったように聞こえた。「手を挙げろ?」にliftという単語を使うのに何となく違和感があったが、ハイジャックの取り締まりが厳しいと聞いていたし、英語が母語の国ではないのでそんな言い方もあるのだろうと思い私は言われるままに両手を挙げた。係員は一瞬驚いたような表情をしたが、そのまま「そっちで待っていろ」というように私を脇に追いやった。何かまずいことがあるのだろうか。私だけここで止められるのだろうか。私は不安になった。後ろに並んでいた人たちはどんどん先に進んでいく。やがて列はなくなり、最後尾の人の姿も見えなくなった。

そのうち別のアナウンスが入り、私の横に新たな列が出来始めた。不安な私にはアナウンスのことばが耳に入らない。周囲を見ると新たな搭乗が始まるようだ。並ぶ人の中にバンコクまで同じ便だった人の姿が見える。自分だけ取り残されたような気分になっていた私はほっとした。見知らぬ街で思いがけず知り合いに出会ったような気分だった。そのとき先ほどの係官が近づいてきて「どうぞこちらへ」と恭しく手で案内した。案内されたのは新たな列だった。私が日本から搭乗してきたパキスタン航空に搭乗する人たちの列だ。こうして私は無事に再搭乗することができた。

席についてしばらくすると、外でゴーっという音が聞こえた。隣に駐機していたルフトハンザ航空の飛行機が離陸するのが窓から見えた。私には一連の出来事がそのとき理解できた。そして恥ずかしさで顔が熱くなった。先ほどの係員は「リフト・ユア・ハンズ」と言ったのではなく「ルフトハンザ?」と聞いたのだ。つまり、「ルフトハンザ機に乗るのか?」と私に聞いたのだ。そして、私のボーディングチケットを見てパキスタン航空機であることを確認した彼は「あなたの搭乗する飛行機じゃないですよ」という意味で私を脇によけさせたのだ。そもそも「手を挙げろ」と言うわけがない。そんなことはなかったとは思うが、もし間違ってルフトハンザ機に乗っていたら私はフランスではなくドイツに行っていたかもしれない。パキスタン航空の飛行機に無事搭乗した私はほっと胸をなでおろすとともに、自分の英語力の貧しさを痛感した。




 

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