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「ダイバーシティ」って言うけれど

「わたしたちって、『ダイバーシティ」』とか『マルティカルチャー』とか『バイリンガル』で、あっさり片づけられてしまうじゃない? いろんな人種が歩いているだけで『ダイバーシティー』、いろんな国のレストランが並んでいるだけで『マルティカルチャー』、英語以外の言語が話せたら『マルティリンガル』。だから、なんでもそれで一括りにして、あとは知ったかぶりの知らん顔」

岩城けい『M 』集英社 p.155


岩城けいさんの『M』という小説を読んで上記の記述がとても印象に残りました。作者の岩城けいさんは1971年の大阪生まれ。大学卒業後、オーストラリアに渡って就職し、2013年に『さようなら、オレンジ』で太宰治賞を受賞して小説家としてデビューしました。2014年には同作品で大江健三郎賞を受賞し、2017年に『Masato』で坪田譲治文学賞を受賞しています。『M 』は『Masato』のあと発表した『Matt』とともに「アンドウマサト三部作」とされており、最終章と言われています。他に『ジャパン・トリップ』『サンクチュアリ』『サウンド・ポスト』なども発表しています。

作品の主人公、安藤真人は父親の仕事の関係で12歳のときオーストラリアに家族で移住し、現在は大学生。友人からは「マット」と呼ばれています。『Masato』では主人公が12歳でオーストラリアに行ったときのこと、『Matt』では高校生になったときのことが描かれており、いずれも言葉も文化も日本と異なるオーストラリアでいじめや差別を経験しながら自らのアイデンティティを模索する主人公の様子が描かれています。『M』ではマリオネットを制作しているアビーと出会い、人形劇の世界に誘われます。アビーはオーストラリア生まれですが、両親がアルメニア人で姉はアルメニアで生まれました。アビー自身はアルメニアに行ったことはありません。冒頭の言葉はそのアビーのことばです。

『M』の内容は出版社のホームページに以下のように記されています。

あなたを知ることは、あなたという人を選んだわたしを知ること。多民族国家の生きた声を掬う在豪作家が贈る、力強くみずみずしい《越境青春小説》。父の転勤にともない12歳でオーストラリアに移住し、現地の大学生となった安藤真人。憧れていたはずの演劇の道ではなく就職を選ぼうとしていたところ、デザイン科でマリオネットを制作しているアビーと出会い、人形劇の世界に誘われる。日本人としてのアイデンティティの問題に苦しんできた真人のように、「同じアルメニア人と結婚を」と刷り込まれてきたアビーもまた、出自について葛藤を抱えていた。互いを知りたい、相手に触れたい。しかし、境遇が似通うからこそ、抱える背景の微妙な差が、猛烈な「分かりあえなさ」を生み……。

https://www.bungei.shueisha.co.jp/shinkan/masatomattm/


私がアビーのことばに興味を持ったのは、「ダイバーシティ」などの言葉の使われ方に疑問を感じることがよくあるからです。今や「ダイバーシティ」というカタカナ語は日本において一定の市民権を得ているよう思えますが、はたしてこの言葉の意味は正しく理解されているでしょうか。深い意味を考えずに使われることが少なくないように感じています。言葉だけが独り歩きをしているようにも思えます。アビーが言うようにいろいろな国の人がいるだけで、いろいろな国の食べ物が食べられるだけで、いろいろな言語が聞こえるだけで「ダイバーシティ」と言って称賛する。内実まで深く踏み込んで考えることをしていないような気がします。同様のことは最近よく使われる「多文化共生」という言葉についても言えるのではないでしょうか。

私は決して「ダイバーシティ」を否定しているわけではありません。私自身も学校教育における「ダイバーシティ」をテーマに研究を行い、生徒の多様な背景にどう対応すればよいか考えています。ただ、翻訳家の鴻巣友希子さんも指摘されるように(https://allreviews.jp/review/6231)、異文化の真の共存とはどういうことかを深く考えることをせずに、「ダイバーシティー」や「マルティカルチャー」「バイリンガル」などの「便利な言葉」を使って何かを語った気になっていることが多いように思います。

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