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一人っ子って、、、

はじめに

私は兄弟がいない一人っ子だが、それを他者に伝えると「寂しくない?」と聞かれることがある。そういわれて、私は一人っ子だったからこその体験や今の自分につながっていると思うことを書き留めていきたい。ここで私が話すことはすべての一人っ子が該当するということではなく、あくまで私の実体験から感じたり考えたりすることであることを念頭に置いたうえで読んでいただきたい。

一人っ子で寂しい?

このエッセイを書くきっかけとなった質問だが、結論から言うと
「寂しいと思ったことはない」。
これは共働きかどうかということも要素は大きい。
私の場合、母親が私が小さかった頃は働いていなかったため寂しいと思うことがなかったのではないかと思う。兄弟がいる人は兄弟と遊ぶ楽しさを知っていると思う。その点で一人っ子は寂しくないのかと聞かれると考える。もちろん兄弟と遊ぶ楽しさは兄弟がいないため感じることはできない。しかし、一人で遊ぶ楽しさや親と遊ぶ楽しさは小さい頃に感じていたと思う。
確かに大人だらけの状況になったときに子供である自分が相手にされていない感じはある。(冠婚葬祭などの場面)
しかし日常生活でそのようなことを感じていたかというとそうではない。
むしろ、両親がずっと私にかまえる状況にあるため、休みの日には私の行きたいところに連れて行ってくれた。特にクリスマスや子供の日などのイベントの日にはクリスマスマーケットや遊園地などの場所に連れて行ってもらうことも多かった。兄弟がいる家庭はどのような状況なのかはわからないが、少なくとも私は沢山のところに連れて行ってもらったことでいろんなことを小さい頃から体験したり、見たりとしていたため今でも覚えている思い出は多い。また、小さい頃にした体験や見た景色をもう一度体験したい、見たい、と思うことも多い。自分の中のやりたいことの選択肢が今多いということも、たくさんの経験を通して得たものであると思う。

一人っ子ってわがまま?

「一人っ子=わがままな子供」とレッテルをはられることもある。確かに、小さい頃から子供のためにとなるものはすべて自分のためであったし、自分の行きたい場所やしたいことがあるとかなえてもらいやすかった。兄弟がいることによる障害がないからであると思う。わがままといわれるのは自分の意思がはっきりしているからではないかと思う。自分の思うとおりにいかなかったら泣いてしまう、拗ねてしまうということがわがままであると思うが、それでいうと小さい頃はそうだったのかもしれない。自分の思うとおりに行かないと「なぜ思い通りにいかないのか」と思っていたのかもしれない。小さい頃から自分の行きたいところややりたいことができたからなのかもしれない。しかし、そのわがままも小学生くらいまでの話であると思う。義務教育で集団行動をしていく中が感じることもたくさんある。その中で自分は「やりたいことをするためのすべきこと」を見つけられるように考えるようになった。小さい頃にやりたいことができていた経験から、やりたいと思ったことはすべてかなえられると無意識に思っていると考える。やりたいことが実現できなかったときに、幼いと泣いてしまったり他者に当たってしあったりすることもあるかもしれない。しかし、大人になった今はそのやりたいことができてしまっていた小さい頃の経験から、「自分がやりたいと思ったことはすべてできること。実現するためになにをするべきか。」と考え行動するようになったのである。小さい頃は本当にわがままかもしれない。すべてのものが手に入っていた幼少期から集団行動になり、そのなかで自分の思い通りに行かないことがあり、それで機嫌が悪くなったりすることもあったかもしれない。しかし、今となってみればそのわがままの原因である「なんでも与えてもらえる」という経験が「やりたいことはすべてできること」という認識を生んだのではないかと思う。もちろん大人になった今はそのやりたいことのために行動するのは自分であり、小さい頃はなにもしなくても与えてもらっていたが今はそうではないことも理解している。だからこそ自分はやりたいことがあった時に実現させるつもりで常に行動を起こすのである。

一人っ子って自己肯定感が高い?

私の感覚だが、一人っ子は自己肯定感が高い印象がある。自分自身もよく他人から「自己肯定感が高く、自分に自信があるね」といわれる。その原因は何処にあるのかを考えると「近い年齢の兄弟などと比べられる機会がなかったから」であると思う。自分が自分のままでよいと思えることや、他者から自分や自分の周りのことについて否定されてもなにもダメージがないのが自己肯定感であると認識している。そう考えると私も確かに自己肯定感が高いと言えると思う。よく学校のアンケートで「自分のことが好きか?」や「自分の存在は重要か?」などという質問があったが当時の私にはよくわからない質問であった。自分が自分のことを好きじゃない人間がいるのか?と当時は思ったのである。また、自分のことを好きではな人と無理して人付き合いをしないということも自分にある程度の自信があるからできることであると思う。もし自分が誰でもいいから必要とされてほしいのであれば相手が自分のことをどう思っていようが、自分が相手のことをどう思っていようが、一緒にいてくれるならそれでよいと自分に自信がない人は思ってしまうのではないかと私の周りを見ていて感じる。私の一人っ子の友達で印象に残っているエピソードがある。その友達には片思いしている相手がいて、その相手に告白をしないのかという話題になった時である。友達が言うには「私は相手のことが好きだけど相手は私のことは好きではないことを知っている。それでも、もし告白したら相手は情で告白を受け入れる人だから、私は告白をしない。」らしい。つまり、自分のことを好きではない人間とは付き合いたくないのである。(たとえ自分が相手のことを好きでも)さすがだなと私はそれを聞いて思った。自分のことが好きではなく大切にしてくれない人であれば時間を共有しない。だって自分が大切にされないから、ということである。自分は大切にされるべき存在で、大切にしてくれない人とは関わらない。それでも大切にしてくれる人がいるという自信や環境があるのだなと思った。

一人っ子はマイペース?

一人っ子はほかの兄弟に合わせないからマイペースな傾向があるという話も耳にする。ご飯を食べる時にも自分の分は確実にあるため焦らずに食べることができたり、ゆっくりメニューを決められたりと焦らせる要素が少ないように感じる。だからマイペースといわれがちなのかとも思ったが、幼稚園や小学校などで私が実際に言われた場面はそのような時ではない。自分は自分、他人は他人の時間軸で動いているときである。例えば、一緒に買い物をしていて相手は雑貨屋さんを見に行きたいのに私は服屋に行きたい。その場合、私の考え方としては別行動をすればよいということである。それぞれ行きたいお店が違うならば、無理に合わせて両方に行かずにそれぞれが行きたいところにいって後で合流すればよいのではないかと考える。これがマイペースといわれるときもある。さらに、意思がはっきりしているとわかりやすく出る場面でも言われることがある。「自分はこれがしたいから」という意思表示をするのである。もちろん、相手がもし自分と違うものをしたかった場合、相手のことを否定して自分に合わせてもらいたいとも思っていない。ただ、別々に選択をすればよいのではないかという考えになるのである。もし兄弟がいると合わせなくてはいけない場面も多いと考える。例えば習い事などが例に挙げられる。同じ曜日、時間でやりたい習い事が違ったら付き添いの親が1人しかいない場合、どちらかはあきらめるか片方についていく必要がある。そうなると別々で行動するわけにはいかないし、相手と自分が主張し合うだけでは問題は解決しない。そのような場面に直面する機会は一人っ子であるとないため、自分のやりたいことを主張して、もし相手が自分と違う意思があるのならば、それぞれで動こうという考えになるのである。

最後に

一人っ子というくくりでエピソードを綴ってみましたがどうでしょうか?
結論としては「一人っ子最高!!」ということですが、兄弟がいる方は兄弟がいる素晴らしさもあると思います。それぞれの良さを自分自身でかみしめながら生きていけるといいですね。
私が一人っ子ではなかったら確実に今の自分はありません。
同じように兄弟がいる方は、兄弟がいなかったら今の自分や環境はないと思います。そう考えると兄弟とかってすごく影響を受ける人間なのだなと思いますね。ぜひ自分自身の兄弟構成と自分の性格や考え方について関連付けて考えるきっかけになればよいなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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