平の日記③高校~社会人編 過去は変えられないのです

K高校に入学

僕は実は高校の頃の記憶が殆どない。
思い出せる範囲で振り返ると、K高校は、文武両道を掲げた高校で部活が本当に盛んな高校であった。
僕は友人が少なく、ほとんど小太りのSと痩せた格闘技オタクのG、そしてマジメなメガネのAの4人で遊んでいた。
当時映画オタクだった僕が教室の隅で愛読書の映画秘宝を読んでいるときに、隣のクラスのイケメンSに「何その雑誌、面白そう!」声をかけられた。コミュ障陰キャだった僕は言葉も大して交わせずに雑誌を貸した。
彼との思い出はそれくらいしかないが、彼は今日本中の誰もが知るドラマに出て、映画にも出て、バラエティ番組にもひっぱりだこだ。
「仲が良かった」などとは全く言えないが、同級生の活躍は嬉しくも、悔しい。

父親

高校二年生のある日、授業中だったと思う。
職員室に呼ばれ、警察から電話がかかってきていると言われた。
平くんのお父さんが死んだと伝えられた。
昨日まで家で笑ってたのに、一緒にいたのに。
言葉で伝えられても、理解できなくて。足とか、手が自分のものじゃなくなった様な気がして、変な気分で家に帰った。

家に帰ると中三の弟の隆人が先に帰っていた。すでにハンサムに仕上がりつつある弟はムカつくが大好きだ。泣き虫で甘えん坊なところがある。
だから、絶対号泣していると思って、隆人の部屋に入った。

あいつは腕立て伏せをしていた。何度も何度もプッシュアップ動作を汗だくで。

「何してんの」と聞くと

「いや、強くならんとって、思って」

と、言った。
弟より先に俺が泣いてしまった。
俺も隣で筋トレを始めた。

大学で自主映画を撮り始める

もともと、映画監督になんてなるつもりもなかったし、なれるとも思ってなかった。自身もないし才能もない。
だから、せめて大好きな映画に触れてみようと、自主映画を撮りたくて県内のO大学に入学した。
しかし、僕が入ったその年に映画研究会は無くなっていた。しかたなくサークル棟めぐりをしていると、放送研究部というサークルに出会った。
オタクばかりの居心地の良いサークルである。
そのサークルは音声ドラマや朗読劇、アナウンスなど、音声中心の作品作りをしていた。僕は音声には興味が無かったが部室にひとつだけあった安物のビデオカメラが気になった。それで自主映画が撮りたくて入部した。
初めて撮った自主映画は「絆無き兄弟」というヤクザものである。
家族をめちゃめちゃにされた男が組に乗り込んできて大暴れするだけ。
僕はそれを自分でコンテ書いて撮影して編集まで一日でやった。
正直出来栄えは最悪だが、自主映画あるあるで、出来上がったものは愛おしいのだ。その感覚を覚えた僕は覚醒した。

「このままではダメだ。陽キャになろう」


サークルの先輩たちは映像に映ることを嫌がるため、外部で人を集める必要があった。

PROJECT9結成

大学で僕はナンパをしまくった。男も女も、年上も年下も。
卒業までそのナンパしまくった映像集団で数十本の映像を作った。
最後には映像集団PROJECT9は100人を超える規模に成長していた。
正直、最後の方はなにがなんだか手が付けられなくなっていたため、管理できない状態になったが、毎度自主映画を作るたびに数十人は集まった。

そして、就活の時が来て、映像業界でもトップクラスの企業にどんどん書類を送ったが書類選考すら通らなかった。
しかし県内の就活はすぐに終了した。地元企業の小売業者3社ほどから内定をもらえた。
ひとつはすぐに辞退したが、残り2つで悩んだ。
僕は、3年で会社を辞めるつもりだった。
サラリーマン経験を積んで、映画の道に行くつもりだった。

百貨店に入社

結局某大手県内スーパーではなく、百貨店に入社した。
面接時に67キロほどだった僕の体重は入社時には85キロにまで増大していた。人事部長に「顔が違う」と叱られた。「アパレル志望です」と言ったがこのままでは確実に食品コーナーが似合う男になってしまう。
研修期間中にダイエットに成功したのが功を奏したのかは不明だが、僕は婦人服に配属された。
会社はシフト制だったが、僕は終業後に映画つくりをした。
本当にいろいろな事件があったがそれはまた別の稿で記そうと思う。

合同会社PROJECT9

現在、わがPROJECT9には代表の大城賢吾、制作の眞栄城守人、経理スタッフ、そして監督の僕がいる。

大城は僕と同じ大学を卒業後、東京の超有名企業でエンジニアをしていたのだが、フリーランスとして独立。たまに連絡を取り合う仲だった。
そんな大城が僕が百貨店で働いている間に先に立ち上げてくれたのがこの合同会社PROJECT9である。毎日5時間電話して会社の方針を話し合った。
この男が居なければ監督タイラも存在しない。

百貨店の仲間が良すぎて、楽しかったのもあり、三年で辞めるはずが5年も勤めてしまった。
辞める時に社長室に行った。当時その社長はアメリカのグループ企業でバリバリ活躍し、百貨店の社長に就任した超エリートだった。
「平くんは、辞めた方がいいよ。外で活躍しなさい」
思い切り、背中を押してくれた。
そしてその縁は、ミラクルシティコザにもつながっている。
ミラクルシティコザのタイトルを決めてくれたのは糸数社長だ。
今でも感謝している。

辞める辞めないで、うだうだしていたある日、覚悟が決まる出来事があった。
会社の飲み会の前の時間、映画「桐島、部活辞めるってよ。」を見ていた。

あらすじはこうだ
田舎の高校で、バレー部の桐島が部活をやめるというニュースが駆けめぐる。キャプテンの桐島は成績も優秀で、皆が認める校内のスターだった。退部の理由は桐島の彼女にもわからず、それによって生徒たちの複雑な人間関係が少しずつ動き出す。。

主人公の前田はクラスの中では地味で目立たないものの、映画に対する情熱が人一倍強い人物として描かれているが、最後に陽キャ代表の男に「お前は映画監督にならないのか」と、聞かれる。
その時に返したセリフ、言い訳が、完全に当時の自分と重なった。

飲み会に行くのを辞め、昔の仲間に連絡を取った。
その日に集まり、長編自主映画の製作を決めた。
映画のタイトルは「アンボイナじゃ殺せない」アンボイナとは、イモガイの仲間で、その針に刺されると、刺されたことにも気づかないで、いつの間にか死んでしまうのだ。

主人公たちは、沖縄で、貧困や、DV、家庭環境などのさまざまな毒に侵されながらも生き抜く。強い意志は、殺せないのだ。
その映画で、俺は家族全員を出した。
弟が主演。当時、精神がぼろぼろだった母親も出した。父親の墓も映した。
俺のやれることすべてを、やった。
でも、映画は世界に届かなかった。

しかし、その時と全く同じ情熱で、2022年は「ミラクルシティコザ」を全国に届けられた。やっと、スタートラインに立てた気がする。
やっと、胸張って映画を、父親の墓に供えることができた。

でも、まだ努力も才能もセンスもすべて足りていない。
だからこそこうして文字を打ち込みながら、自問自答を繰り返す。
これを読んでくれているあなたに映画を届けるために。
俺が今、やっていることは正しいのか。
元日に振り返る。
今年、もっと飛ばなければ、俺に未来はない。

2023年1月1日 16時29分

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