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「君たちはどう生きるか」を観たあとに「AKIRA 」を観て自問自答

どうも、釜弾正です。「1745文字」

これは、映画の感想100%ではありません。ほとんど自分のおはなしです。よろしくお願いします。私は純粋に映画の感想をお送りしたいのですが、やはりこの場の書き方として、「というか映画館って久しぶりに行きましたけど」へ自分のエピソードへ繋げることに疑問を感じてしまいました。あまりにもつまらないのではないかと。切り口が既視感で、私が記事を見る側の目線だと書きたいのは何だったのかが不明瞭に見えると思ったからです。しかし書く側からすると、自分の話をした方が文章が長くなって、文章を書いている感じがするのは理解できます。といいますか、そこまで映画を観てきていないので、自分の話をするのを織り交ぜるぐらいで抑えるはずが本流になるのは仕方がないと思っています。しかも、

抑える気も無し!



てことならじゃあ、いちいち気にする意味も無いなと思われそうですが、気にして良い時間や気にしなくて良い時間は自己管理ですから「俺に任せろ。」と思います。それはそれとして。

つまり、今回やりたいのはその疑問を取っ払って、「君たちはどう生きるか」のあと「AKIRA」を観たこと自体、ただ自分の思ったのを主張するための、合間の時間に使うことをここで宣言します!「あのシーンはたぶんこうで」とかはなしです!思考停止万歳!の精神で。

それに、1つ書きたいのは、有意義な情報を見たくてこのnoteを見ている人に対しての異議ではないです。

本題が何だったのか見失いかけた。次いきます。

このように私は前置きの部分で1000文字ほど書くこともあります

私がこの前置きが長いと思ったから長いのです。

それでは。


一応タイトルに書いているから

1年前に、よく通う本屋に雑誌「SWITCH」で「君たちはどう生きるか」の特集があり、ちらちら気になっていたのがきっかけで、友達と映画館に足を運んだ。ジブリを映画館で観た経験が無かった。楽しみだった。しかし、最後まで観ても何がなんだか分からなかった。私は映画館から出ても、家が見えても、映画を疑うか、自分を疑うかさえ迷うほどだった。そして、風呂場で映画の見方にも練習が必要なのかもしれないと思うようになった。観るまでは映像や物語に追いついて並走だけしとけば、大枠をつかめて、オールOKだと思っていた。しかし映像に追いつくのがやっとだった。1回で観て全て分かるものこそが面白いとまでは思わないが、あまりにも分からなくてスマホでレビューを観た。


すると「あまり分からなかった。」という意見が多かった。同じ。自分の視点と被っている人が多数いて、恥ずかしかった。恥ずかしくなったのに、爆ぜたくなりたくない保身で「やっぱりみんながそうなんだ。」と反射的に思ったのでさらに恥ずかしくなって爆ぜたくなった。すごく脱力した。21歳にもなって映画のレビューを観て爆ぜたくなるのかと思った。でも本当に自力で爆ぜやしない。アイコンのように私はばくだんいわではない。どちらかいえば、スマイルロックだ。忘れられる方。自爆したからみたいな覚えられ方も嫌だが。


そして今日から約1ヶ月前に「AKIRA」を観た。私は観る前から、性懲りも無くレビューを観た。自分だから一応信用している感覚では、分からないとした意見と、絵やバイクのデザインがかっこいいという意見の半々だった。それなら細部まで理解しようとする前傾姿勢しかめっ面の見方は一旦諦めて、アシカショーぐらいで、言い方を変えると「大友克洋ショー」を観よう、とした。


それで最後まで観ると、元いたしかめっ面な自分にはこの映画が「君たちはどう生きるか」よりも難解な映画に思えました。なぜなら「一旦、万事解決した空気」(チャンチャン♪)が「AKIRA」になかったからです。本当はあったかもしれないですが「解決したか」さえも見つかりませんでした。しかし、ショーを観るテンションでの自分がいます。その自分は「かっけぇ最高。今より10個若かったら、モロに食らって、称えてたかも。アブねぇ!」と思っていました。単に見方が増えてちょっと器用になっただけで、良い見方ではないかもしれないが、今は一旦いいやないかい。

以上で切り上げます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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