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日々の気づき(育児編)

昨日、こどもがインフルエンザに罹り高熱を出しました。
夜になって熱は38度を超えていましたが、よく寝ていたので、私は洗面所で髪にヘアドライヤーをかけていました。かけ終わってスイッチを切った途端、寝室から息子の尋常でない叫び声が聞こえます。
23時頃のことだったでしょうか。。

 あわてて寝室にいくと、息子が今まで見たことない様子で奇声をあげて泣いていました。興奮していて、その目は私を見ているけれど、どこにも焦点があっていません。大きな口と目をひん剝いて、顔を真っ赤にして怒ったように大声で泣いています。
一気に私の中に恐怖感がわきました。
「なんか、なんかこれはやばい!」
何を聞いても返事になっていない答えと共に暴れます。
「落ち着け、落ち着け」と自分に何度も言い聞かせ、電気を明るくして抱きしめて落ち着かせようとしますが、奇声がとまらず、布団の上で手足をバタバタさせ、次の瞬間ボタボタボタっと鼻血を出しました。その血を見て我に返ったのか、息子は「鼻血がでちゃったー!何で??どうして?!どうして?!」と初めてその場の状況に合っていることを言いました。私は「落ち着かせるなら今しかない」と思い、わざとゆっくり「大丈夫、大丈夫!お友達の○○くんだっていつも鼻血出してるよ」となだめたところ、功を奏して息子は安心したように落ち着きました。そして「ああー、大きな声で叫んじゃったよー」と言ってまた泣いたのです。叫んだのはまるで自分じゃない自分のように息子も感じたのでしょうか?とにかく全てが???だったのですが、「パパにも聞こえてないし、そんな大きな声じゃなかったよ、大丈夫」
というと、私の手を握りながらゆっくりまた眠りについたのです。

こんな経験は初めてだったので、ほんとうに恐怖でした。
息子の行動が怖かったのではありません。
息子の身に、私の手には負えない、何か良くないことが起きたのではないかと考えると、とてもとても怖く感じたのです。
見たことのない表情、目の見開き方、意味の分からない大声、飛び散る鼻血…
なんどもなんども頭の中でリプレイされて、何が起きたのかわからない時間が続きました。
すべては30秒くらいの出来事だったのかもしれない。
いや、5分以上続いたのかも…

その後、落ち着いて息子が寝たのを確認し、猛烈な勢いで何が起きたのかを検証する作業を始めました。
夫は奥の寝室に隔離されていたのですやすや寝ていました。起こしたい気持ちと、とりあえず早く調べなきゃという思いで後者を選びました。
Googleには「よくあること」と出てきました。
「よくある…..こと…….?」
安心したような、納得いかないような複雑な気持ちになりました。
「なんだ….よくあることなのか…」と同時にそれが本当なのかとても心配になりました。なぜなら、周囲でそんな話を聞いたことがなかったからです。記事にはこうも書かれていました。
「よくあることですが、長く続き、程度がひどくなっていくようであれば、至急総合病院へ行きましょう」

「長く」とは何分くらい?
「程度がひどい」奇行とはどんな奇行?
そもそも「よくあること」ってどれくらい?

不安な気持ちが、曖昧なよくわからない表現によって倍増し、心の中でどんどん膨らみました。
「夜」という時間帯もあいまって、次から次に不安が襲ってきました。
「いますぐ救急車で運んだほうがよいのでは?」
「この判断の遅さが命取りになったらどうする?」
「夫をおこして病院にいく?いや、飲酒していたからやっぱり運転は私?」

私の中の不安が、どんどん幅をきかせてきます。
自分を何とか落ち着かせ、結局、24時間相談を受け付けるサイトを見つけ、翌朝まで様子を見ることにしました。
そして、朝いちばんでかかりつけ医に行き薬を処方してもらい、最後に奇行のことを話したところ「うんうん、これくらいの年齢にはよくあることですよ」とにこにこ笑って「今見たら元気だし普通だから大丈夫でしょう」と1分で答えは出ました。

夫は奥の寝室で寝ていて、この騒動に全く気が付かなかったそうです。
息子をなだめつつ何度も大きな声で呼んだのですが、聞こえなかったそうです。もし聞こえていたら、すっとんで来てくれたでしょうから、
やはりすべては数十秒のことだったのでしょう。。

育児はいつも修行だなと感じます。
育児において「大変なこと」は、やってみないとわからないことも多いのですが、前もって知識として知っておけば楽だったこともたくさんあります。
なぜ、もっとこのようなことがきちんと子をもつ親に前もって教えてもらえないのでしょうか。

うなされる病気の子どもを目の前に、夜な夜な独りネットで子どもの症状を調べ、そこにある最悪の状況を我が子にあてはめては、不安に押しつぶされ泣きながら「早く朝になってほしい」と祈った経験のあるお母さんは少なくないと思います。

育児は「独り」でやるように脳はデザインされていません。
集団で助け合っておこなってきた記憶が、私たちの脳にはまだ本能として刻まれています。本来は、集団で知識や経験を補い合いながら行うのが子育てだったのです。
「よくあること」とネットから放たれる青い光からではなく、血の通った記憶と共に誰かに教えてもらっていれば、全然違ったのだろうな。。。
そんなことを考えた夜でした。

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