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私が実家に帰れなくなった理由

これは、狐こと私が体験したお話です。

私は高校の頃から一人暮らしをしていた。
理由は両親の長期出張。
やがてそれも終わり、私は再び家族と一緒に暮らす予定だった。
しかし……。

これは遡ること数年前の出来事。

両親が長らく開けていた家に戻り落ち着いた頃、私は久々に実家に帰省する事にした。
僅かな荷物だけを持って、駅から徒歩十分の道を歩くと、見慣れた白い二階建てが見えてきた。

小さい頃妹とよく一緒に遊んだ庭。
車が趣味でパパがよく篭っていたガレージ。
天気の良い日、ママが気持ち良く洗濯物を干していた二階のベランダ。
そのどれもが懐かしく、私は色々な気持ちに胸膨らませ玄関を開いた。

「ただいまあ」

入口でそう声を挙げると、ママが不思議そうな顔で奥から現れ出迎えてくれた。

「だだいま……どうしたのママ?」

「えっ?あ……ううん、お帰りなさい」

すると、居間の扉が開きパパが姿を現した。

「ん?狐、お前気分が悪くて部屋で休んでたんじゃなかったのか?」

「気分?」

「お姉ちゃん!」

階段を掛け降りる音、妹の小狐が二階から姿を現した。
妹は私を呼びながらかは駆け寄ってくると、飛び付くように抱き着いてきた。

「お姉ちゃん……だよね?」

「な、何言ってんの小狐、私だよ?お姉ちゃんの顔見忘れた?」

小狐は私より三歳年下で、可愛らしい妹だけど頭もよく何処か大人びている。
そんな妹の小狐が妙に甘えてくるため、私は少しびっくりしていた。

「ううん、荷物持つから、私の部屋に行こ」

「小狐の?」

「うん、話したい事沢山あるし、それに彼氏とかの話も聞きたいし」

小狐がにんまりと口を曲げて言った。

「ちょっと待て狐、それちょっとパパも聞かせてくれ、お前家に男とか連れ込んでないだろうな!?」

「もうお父さんったら、狐は奥手なんだからそんな勇気ないわよ」

「いや、しかしだなあ……いやいや母さんそんな勇気いらないだろ!」

唐突もない話で盛り上がる両親を置いて、私は小狐に連れられるまま二階にある妹の部屋へと向かった。

小狐は飲み物を持ってくると言い部屋を出ていき、私は荷物を適当に置き部屋着に着替える事にした。

すると、

ドサッ。

隣の部屋から音が聞こえた。
私の部屋だ。

なんの音だろう?そう思い首を傾げるとまた。

──ドサッ。

また聞こえた。

何か重い物がベッドに落ちるような……。
壁に耳を澄ませようとすると、小狐が部屋に戻ってきたため私は慌てて椅子に腰掛けた。

「お待たせ、はいどうぞ」

「あ、ありがとう」

「ねぇねぇそれでお姉ちゃん彼氏とはどうなの?」

「ど、どうって……別れた……」

「ええまた?」

「またって何よ……」

「どうせまたあれでしょ?適当に返事して手も握らせないキスもさせないで飽きられて捨てられたんでしょお?」

「なななっ!?」

「こりゃお母さんの言う通りね~付き合った人に同情しちゃう」

「小狐は……?」

「私?」

「うん……」

「ふふ~ん、まあお姉ちゃんよりはねえ……」

不敵な笑みを浮かべる小狐。

「し、師匠!」

「誰が師匠だよ!」

その後も他愛もない話は続き、久しぶりの家族との食卓を囲んだ後に、私は小狐の部屋で姉妹水入らずの夜を過ごした。

翌日、昼前に起きた私は居間へと向かった。
小狐は朝練があるからと朝早くから出て行ってしまった。
ドアを開け挨拶しようとすると、ソファーに座っていたママが、私を見て首を捻りながら口を開いた。

「あら?出かけたんじゃなかったの?」

「ううん……小狐じゃない?」

「あの子は今日朝練だから朝早く出掛けたわよ」

「おっ、なんだ狐もう帰ってきたのか」

パパだ。
珈琲を持ってキッチンから現れた。

「帰ってきたって?私寝てたんだけど……」

どうも二人と話が噛み合わない。
そういえば昨日も同じ事を言っていたような気がする。

「ねえ、そういえば昨日も私が気分が悪いから何とかって言ってなかった?」

するとママが思い出したように口を開いた。

「そうそう、貴女昨日帰ってきて具合悪いって言いだして、部屋で休んでたじゃない。その後玄関から戻ってきたからびっくりしたわよ」

「おお、そういえばそうだったな、パパもびっくりしたよ、具合はもういいのか?」

「いや……私……」

どういう事だろう……。
昨日といい今といい二人が何を言っているのか呑み込めない。

私より先に家に帰ってきた?
私が?
そんな馬鹿な……。

考えれば考えるほど頭が混乱して行く……。

「ご、ごめん、ちょっとコンビニ行って来るね……」

「お、おう……パパ車出してやろうか?」

「ううん大丈夫、ありがとう……」

そう言い残し、私は家を出た。
考えがまとまらない。
気晴らしにでもと思い、私は近所のコンビニまで足を運んだ。

飲み物とチョコを買い、会計を済ませ家へと戻る。
さっきのはきっと何かの間違いだ。
お互いに久々の再会もあって勘違いしたのかもしれない。
自分にそう言い聞かせるようにして玄関の扉を開く。すると、二階へと通じる階段の前でママが心配そうに上を見上げ立っていた。

「どうしたのママ?」

「えっ……?わっ狐ちゃん!」

「な、何急にそんなに慌てて……何かあったの?」

「だって狐ちゃん、さっき帰ってきて何も言わずに二階に上がって部屋に戻って行ったじゃない、なのに玄関から戻って来るんだもん、そりゃびっくりするわよ」

「えっ……?」

「もう、変なイタズラしちゃだめよ?」

そう言って居間へと戻ろうとするママの後ろ姿を見て、私はすかさず呼び止めようと手を伸ばした。

しかし、伸ばした手は虚しく空を切った。

できなかった。
ママに何と言えばいいのか、どう説明すればいいのか自分でも分からなかった。
私は過去にもこんな得体の知れない不思議な体験をしてきた事がある。
だからと言って誰にもその事を話せず、今日まで一人でそれを抱えて生きて来た。

確かめるしかない……こんな事誰にも話せるわけが無い。
自分の目で確認するしかないのだ。

緊張で手に汗を感じた。
膝が微かに震え、体をすくみ上げるような寒気が襲う。

もし昨日からの異変が両親の言う通りなら、確実に誰かが部屋にいる。
誰か……いや、信じ難い話だけどもう一人の私なのだろうか。

階段を上る足がやけに重く感じた。
こんなにも自分の家を不気味に感じた事は無い。
ここは本当に自分の家なのだろうか、何処か知らない異次元にでも迷い込んだのでは……そんな荒唐無稽な考えまで頭を過ぎり始めた。

二階に上がり廊下を曲がる。
窓側まで移動し自分の部屋の前で立ち止まった。

ドサッ。

突然部屋の方から聞こえた音にビクリと肩をすくめた。
昨日、小狐の部屋で聴いた音と同じ。
ドアノブに伸ばした手を躊躇して止めた。

ドサッ。

また聞こえた。
誰かいる。
間違いない。
もう一人の私。
もし出くわしたらどうなってしまうのだろう。
怖い……開けたくない、このまま逃げ出したい。
けれど確かめずにはいられない。
他に頼れる人はいないのだ、だからこの目で。
ゴクリと唾を飲み込み、私は意を決してドアノブに手を掛け回し開いた。

ガチャり。

ドアがギィィっと音を立て開く。
中央に丸テーブル、窓側にはテレビと本棚。
そして左側にゆっくりと視線を移した。

壁側にベッドがある。
その上には……人が立っていた、女だ。
もう一人の私……。

「私……違う……誰!?」

目の前の光景に愕然としながら目を見開いた。

長い黒髪。
ボロボロの黒いセーター。
痩せこけ頬骨が浮き出た精気のない顔色。

女は揺らりと動くと、そのままベッドにうつ伏せる様にして倒れ込んだ。

ドサッ。

女の肩が小刻みに震えている。
いや、微かに聴こえる声。

「くくくっ……」

震えているのではない。
ベッドに顔を押し付け、押し殺す様に女は笑っていたのだ。

「きゃああああっ!!」

声が枯れそうな程叫んだ。
何も考えたくない。
今見た光景を振り払う様にがむしゃらに叫びながら階段を駆け下りた。
居間で両親が何やら騒いでいたが見向きもしなかった。
私は誰の物かも分からないサンダルを履き勢いのまま外に飛び出した。

「お姉ちゃん……?」

嗚咽を漏らしながら顔を上げると、目の前に小狐がキョトンとした顔で立っている。

気が付くと、私は小狐に抱きつきながらわんわんと泣いていた。

「お姉ちゃん……」

耳元で小狐が囁く。

「私、お姉ちゃんが今までも変なの拾ってくるの……知ってた……」

「えっ……?」

小狐の言葉に上擦った声で聞き返す。

「私には変な事起きた事ないけど……お姉ちゃんが連れて来る変なのは、ずっと見えてた……」

「小狐……?」

見えていた?
何が?もしかしてアレが?
小狐は……ずっと知っていた……?

「お姉ちゃん……ごめんね、私お姉ちゃんの事大好きよ、可愛いし優しいし……でも同じぐらいパパもママも好きなの、家族が好きなの……だからお願い、もうこの家には……帰って来ないで」

その瞬間、裂けた胸に冷たい風が吹き込んで来るような感じがした。
呆然とし、抱きしめたはずの両手が力を失いだらりと垂れ下がる。
玄関から音が聞こえ、心配そうに私の名前を呼ぶ両親の声がしたが、どこか遠くで聞こえているようで耳に入ってこない。

私は虚ろな瞳で二階の部屋を見上げた。

窓のカーテンが僅かに捲れ、身も知らぬ長い黒髪の女が、私を見下ろし、ニタニタと口を歪めていた。

以来、私は実家には帰っていない。
幸い独り立ちするまでは親が面倒を見ると言ってくれたため、私は今も親のスネを齧りながら生きている。
あれから妹はよく母を連れて私の家に遊びに来るようになった。
まるで、それがせめてもの罪滅ぼしであるかのように……。






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