影纏う蛇
これは、私こと狐の恩師でもある、Yさんの話だ。
Yさんは占い師の傍ら、霊媒師という顔も持っている。
そのYさんが暫く店を留守にし出張先から帰ってきた時、店に立ち寄った私に、こんな話を聞かせてくれた。
Yさんはとある知人からある事を頼まれたという。
死んだ息子の怒りを沈めて欲しい……と。
一応霊媒師としての仕事の依頼という事もあり、Yさんは早速依頼主のいる東北にある地方へと向かった。
そこは山村にある古い一軒家。
住んでいるのは妙齢の女性だけ。
昔は息子が畑仕事などをやっていたが、息子夫婦が病で亡くなったのをきっかけに畑や土地を売り、年金暮らしを続けているのだという。
Yさんは女性の家にお邪魔し、詳しい話を伺った。
女性の話によると、息子の一周忌に檀家の坊さんを呼んで経をあげていた際に、その異変は起きたらしい。
突然仏間が揺れ動き、お供え物や遺影が激しく揺れ動いた。
地震かと坊さんの連れが言ったが、仏間以外に揺れ動くものはなかったそうだ。
揺れは長い間続き、仏間は酷い有様になり、やがて揺れは満足したかのように収まったという。
坊さん達が慌てる中、女性だけは青ざめた顔でじっと息子の遺影を見つめ続けたのだとか。
事件のあらましを聞いたYさんは次に息子さんの事について尋ねた。
死ぬまでに何か恨みを募っていなかったか、誰かに恨まれていなかったか、どんな些細な事でもいいとYさんは聞いたが、女性は心当たりがないと言って顔を伏せてしまった。
仏さんをぞんざいに扱った覚えもなく、先祖の墓参りもきちんとこなし、毎朝のお経も欠かさずあげていると、女性は付け加えるようにボソリと言った。
怪異は一周忌だけに収まらず、昼夜問わず今も尚続いているとの事。
Yさんが来る前日も、夜中に突然仏間からガタガタと音がし、女性が駆けつけた時にはもう酷い惨状だったという。
一通り話を聞き終えたYさんは、その日は話を聞くだけに留め、近くに取っていた宿でその日を終えた。
二日目、再び依頼者の家を訪ねると、Yさんは女性が僅かに怯えているように感じたという。
「どうかされましたか?お顔がすぐれないようですが……?」
そう尋ねると、女性は顔を上げこう言った。
「息子が苦しそうな顔で夢に出てきたんです……何かこう黒い影にまとわりつかれている姿で……細長い蛇みたいな……」
Yさんは女性が言う影、という言葉が引っ掛かっていた。
それを確かめるため、彼女は祈祷服に着替え件の仏間へと向かった。
息子夫婦の仏壇の前に静かに座り、手をゆっくり合わせYさんは仏壇の扉を左右に開いた。
並ぶように置かれた二つの遺影、女性の息子夫婦のものだ。
二人に子供はいなかったという。
Yさんはまず探りを入れるため弔いの経を挙げる事にした。
二時間ほど経った頃だろうか、目を瞑り経を詠むYさんんが、何か異様な空気の流れを感じ取り瞼を開いた。
部屋の明かりは点いている。
蝋燭も二本、ユラユラと火を灯していた。
なのに、仏間の遺影の箇所だけが異様に暗い事に気が付いた。
Yさんが遺影に目を凝らす。
物理的に見るのではなく、そこに本来あるはずのものを視るために。
やがてYさんの視界に異様なものが映り始めた。
息子さんの遺影に取り巻く細長い黒い影。
ゆっくりと蠢き、螺旋を描く様にして纒わり付いている。
それを見てYさんは何か人為的な怨みのようなものを感じ取ったという。
女性の話ではそういった事はないと聞かされていただけに、Yさんは首を傾げて考えた。
怪異の正体が掴めない。
この影が恐らく原因なのは間違いないだろう。
かと言ってむやみやたらに払う事はできない。
お祓いとはその本質を知ってから行うものだからだ。
悪意があるからとただ祓う行為は、Yさんにとって邪道だとさえ思っている。
Yさんは女性にしばし時間をもらい、別室で一人考える事にした。
今回の一件を頭の中で整理していく。
亡くなった息子夫婦。
遺影の影。
怨み。
女性が見た夢、細長い影、Yさんが先程見たものと同じ。
いや……一つだけ違う。
女性が言った蛇という言葉。
Yさんはそれが妙に引っ掛かった。
蛇……昔から蛇と人間との逸話関係は深く、信仰的な意味合いでもその関係性は根強い。
特に人間の女との逸話が多く、ことわざにも、女の情けに蛇が棲む、などという言葉もあり……。
女……?
不意にYさんは考えた。
息子夫婦は同時に亡くなった?
病で?
事故なら分かるが二人して病で同時期に亡くなるというのは少しおかしくはないだろうか。
息子夫婦の間に子供はいないとも聞いている。
やがてYさんはハッとしてある仮説に辿り着いた。
それを確かめるため女性の元へと戻る。
「少し……お話があります……」
Yさんがあらたまってそう口にすると、女性は少し戸惑いながら何でしょうと答えた。
「奥さんは……戸籍上間違いなく、本当に息子さんの妻……だったのですか?」
「な、なぜそんな事を?」
「山形の地方では未だこんな風習があります。ムサカリ絵馬……古くは中国から伝わったとされる冥婚に由来するものです。仏教では、結婚は前世からの因縁で先祖の慈悲によるものと考えられており、その結婚が欠けてしまうと人生を全うしたとはいえなくなってしまう。死後の世界で結婚させ、人生を全うさせてあげるためにムカサリ絵馬を奉納するといった習わしです。ですが……」
そう言ってYさんは鋭い眼光を女性に突き付けた。
女性がそれに怯えた目で見つめ返す。
「近年でさえ、中国では亡くなった息子のためにと、第三者に殺しを請け負わせ、面識のない女性を殺害し、息子の遺体と共に土葬するなどの痛ましい事件が起こっています」
「そ、その様な事私は!?」
「その様な……?ではどの様な事を、されたのでしょうか?」
Yさんが語気を強めて女性に詰め寄った。
「わ、私はただ……独身のまま亡くなった息子を不憫に思い……知人を頼って若くして亡くなった女性の写真と、い、遺骨を少々お、お金で……」
取り乱し上擦る声で女性は答えた。
「土地を売ったお金でその様な事を……いいですか?あの影は息子さんの怨念なんかではありません。奥さん……いえ、無理やり妻とされ共に祀られた身も知らぬ女性の怨み、それが影なる蛇となり、息子さんのみならず、貴女さえも巻き込んでこの家を蝕もうとしているんです」
「そ、そんな……わ、私はただ……」
泣き崩れる女性。
それを目の前にしてYさんは冷たく言い放った。
「ただ……?いかなる理由があろうと、平等に生き、平等に死んで行った死者達を愚弄する事は、例え何があっても許されない……それを肝に銘じてください……」
Yさんのその言葉に、女性は嗚咽も漏らしながら泣き続けた……。
以上がYさんが私には語ってくれた話である。
その後、お祓いは無事終了し、Yさんは無事帰路に着いた。
あの女性はと言うと、遺影と遺骨は元に戻し、今は亡き息子と、不憫な思いをさせてしまった女性のために、今も毎日経を挙げ続けているという。
語り終え椅子に座り大きく背伸びをするYさん。
私はそんな彼女の肩に手をやり揉みほぐすと、Yさんは至福の声を漏らした。
そんな彼女が、普段の優しくお茶目なYさんであったため、私は安心しホッと息をついた。
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