Crimes of the furtherの感想

⚠以外、ネタバレたくさんありますので未鑑賞の方はご注意ください!

また、1回だけ鑑賞した人間の感想になるので、勘違い、情報抜け等あるかと思いますがご容赦を。







 
「痛みが人体から消えたことで悪影響が出ている」的な台詞が登場したが、やはり犯罪などが増えたのかなと考えていたが、そこら辺は言及されていなかった。政府(警察)などとしては、「人間が誤った方向に進化するのを防ぎたい」という意図があるようだが、そもそも誤った進化とはどんなものだと考えているのかが不明だった。
 作中では、刑事が産業廃棄物でできたチョコバーを主食にする奴らは人間じゃない、という発言をしていた。ただ、変な話、この先食料問題が深刻化した場合、産業廃棄物やプラスチックといったものを食べられるというのは生き残る確率を上げるとも考えられる。むしろ、そういう普通なら手術してまで食べられるようになりたと思えないものを進んで食べようとする異常者が増えれば、食物を食べたいという人たちにとってはライバルが減って好都合だと思うけど…。なぜ止めようとするのだろう。確かに、廃棄物を食べる彼らは異端だし、それを知れば不快に思う。ただ、廃棄物イーターは面白いことに、廃棄物をそのまま食酢のではなく、チョコバーなどに敢えて加工し、私達が普段食べているものの形を踏襲している。それが意味するのが、皮肉なのか反抗なのか、はたまた廃棄物を食べる彼らにとっても「食物とはこうあるべき」というモデルがあるのか。その点で、彼らは静かに、理性を残しつつ狂っているように感じられて更に不気味だ。
 誤った方向への進化、とは人間としての矜恃を捨てたように見える変化なのかもしれない。その点で言えば、主人公が行う内臓にタトゥーを入れ、それを摘出するというショーは誤った進化の一つと言えるかもしれない。
 そもそも、人間の体内にある臓器は生まれ持った唯一の宝とも考えられる。取り替えの利く臓器や、片方を失っても生きていられる臓器もあるが、中には機能不全が即ち死に繋がる臓器や、ドナーとの適合に懸かっている気難しい臓器もある。その点で、新しい臓器が体内でつくり出されるという病気とも奇跡ともとれる体質は、進化と言えるかも知れない。
 だが、作中では増殖する臓器は腫瘍のようなもので、既存の臓器の代わりになったり、その働きを補助したりするわけではない。つまり、意味のある臓器ではないように描かれている。ただ、唯一意味をもたらすとすれば、それは主人公に人間が失ったはずの「痛み」をもたらすということか。主人公は新しい臓器が生まれるたびに、所謂「産みの苦しみ」のようなものを味わう。それは、彼にだけ感じられる「人間らしい」感覚で、ある意味特別な体験である。
 さらに面白いのは、主人公が苦痛をもたらす臓器を無意識のうちに「生み出したい」「増やしたい」と考えているために、この無限の増殖が継続していると指摘されていることだ。
 それは、主人公が臓器の増殖という体質によって、周囲から賞賛され崇められているからなのか、失った痛覚を取り戻したいと願っているからなのか、進化の奴隷だからなのか。
 私としては、臓器の増殖そのものが彼のアイデンティティとなっているからだと思う。それが失われれば、彼は「ただの人間」になる。彼にとって、唯一になれないことが非常に苦痛だろうと予想できるのは、彼が「パフォーマー」や「アーティスト」として活動していることから明らかだと考える。芸術家の仕事は、独創的で唯一無二の作品を創り上げ続けること。それが自分を自分と認識し、肯定する手段だとするなら、彼にとって、臓器増殖という摩訶不思議な体質は自分のために不可欠だろう。

 奇妙な進化は臓器の増殖だけではなく、プラスチックを食べる少年という形でも表現されている。少年は普通の食事をせず、プラスチックでできたゴミ箱などを酸のような消化液で溶かしながら食べるという奇行を見せていた。そして、それを受け入れられなかった母親の手にかかり、死んでしまう。少年の父親は手術で廃棄物を主食とする人間になっており、そのせいで少年は生まれながらプラスチックを消化できる体になったという。
 この少年の母親は、自分の子どもを「creature(生き物)」と表現し、「human」「child」などという表現は一切しなかった。彼の父親(元夫)が自分に置いて行った、という憎しみも感じられる発言をし、子どもへの愛は感じられない。しかし、彼女は子どもの殺害を自白し刑務所に入った。そして、なぜ自白したかと問われ、「罪を犯したから」とだけ答えた。
 この罪について、3通り考えられると思う。
一つは、やはりそれでも、自分の子どもを、生き物を殺してしまったと感じ、それを罪だと考えているパターン。行動が奇妙でも、生きている命を奪ったという認識があり、罪の意識を感じている。
 2つ目は、「人間でない生き物を産み落としてしまった」という罪を犯したと考えているパターン。これは、映画の題名にも繋がる。進化という耳障りの良いものではなく、人間のような違う生物をこの世に産んでしまったという後悔と罪の意識があるのかもしれない。
 もう一つは、「子どもを人間として産んで上げられなかった」という罪を犯したと考えているパターン。親としての責任を感じ、最後にけりをつけた。しかしそれは、親のエゴであり、傲慢な行動とも言える。それもまとめて、罪と捉えているのかもしれない。

 一方で、父親は「プラスチックを食べる器官を生まれ持った息子は宝だ。死んでしまったが、自分の大義のため(廃棄物を食べることが人間の進化の一つだと証明することかと思われる)に、人々の前で解剖し、その器官を見てほしい」といったことを言い始め、息子の遺体を主人公に見せる。大義に燃える人間は往々にして倫理観を投げ捨てていることが多いが、彼もその一人だと思える。もちろん、息子の死に涙するシーンはあったが、それが愛によるものなのか、自分の夢が遠のいたからなのかと聞かれれば、後者かもしれない。
 だって、自分の息子がそんなに大切なら、母親の元に置いておかず、自分と共に来るようどうにかすべきだったはずだ。母親が拒んだのか知らないが、少なくともこんな考えの父親の元にいたならば、少年は死なずにすんだはずだ。大切なのは息子の何だったのか。
 
 痛みに関して、この映画世界では特殊な発展をしている。痛覚が消えた世界では、自分の体を傷つけることがアートとして、そして精神的・肉体的な繋がりを持つ手段となっている。互いに同じ部位を傷つけ合うこと、体内を覗かれ。触れられること、それが繋がりを深めるというのは、正直受け入れられなかった。傷をつけることは、相手に自分の跡を残し、刻み込み、独占するというイメージがある。また、文字通り体内に侵入を許すというのは、ある種の性行為(作中でも内臓摘出は性交渉のようだと指摘されている)にもとれる。生命に関わる最も重要な部分を相手に許すという、重要な行為だからだ。
 しかし、傷や体内の鑑賞(干渉)を許すというのは、やはりどうしても異常で歪な愛だと思える。これらの愛情表現は、人間の支配欲や独占欲、破壊衝動や暴力性といった本能的側面を如実に表しており、それは即ち理性が失われ、人間が人間でなくなっている、誤った方向へ進化していることを表していると考えるからだ。
 これは人間の尊厳が、理性によって維持されていると考えているからである。
 加えて、本当の性行為は作中で「古風なセックス」と表現され、廃れた印象も受ける。これは、人間が子孫を残すことに消極的になり、生物的な進化をやめつつあることの現れだと思う。作中では様々なキャラクターが「進化」という言葉を使っていたが、彼らは人工的で不自然な進化を進化と呼んでいる気がしてならない。

 私の中ではcrimeではなく、sin(宗教・道徳上の罪)という言葉が似合う作品だったと思う。それは、未来で起きるかも知れない犯罪(罪)という意味でもあり、「未来」に対して人間が起こす犯罪(罪)とも考えられる、この映画内容を踏まえてのことである。











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