春ですね。いろんな人がいますね。

今年も春が近づいてきた。春と言えば別れと出会いの季節。

出会いの季節にあやかってなのか、進級進学や新社会人なることの環境の変化をきっかけにしたいのか、SNSを見ているとこの時期には彼女という存在を欲する者が活発になるような気がする。よく見るのは「男子校出身で女子とまともに話せないから彼女できない」。最近見たのは「いや、共学出身でもまともに話せない俺らって…」。前者は本人の生い立ちと育ってきた環境によるもの。後者は本人の性格によるもの。どちらも考えうるシチュエーションではある。ふと自分の経験から第三のパターンがあることに気づいた。「共学出身で、女子ともまともに話せるけど、彼女はいない」である。これは環境によるものでも性格によるものでもない。ちなみにジェンダーの話をしたり、パートナーの有無で優劣をつけたりするつもりはないのであしからず。

中学校から大学まで吹奏楽部、吹奏楽サークルで活動してきた。男性の吹奏楽経験者にはわかると思うが、吹奏楽部というのは、とりわけ中高では、女性社会である。圧倒的多数。小~中規模校だと一学年15人程度の部員の中に男子2~3人といったところ。大規模校だもその割合は同じかもっと低いことも。つまり、まわりに女子がいる環境が全然珍しくない。よほど変なことをしなければ、別に仲も悪くならない。一緒にごはんを食べたり、出かけたりもする。中には恋仲になる者もいるが、多くはそういう感情を持たずにいたって平然とこういう行動ができる。もちろん、好意を抱いているわけではないから、苦を感じたり、恥ずかしく思ったりすることもない。普通に仲良し。ただただ楽しい。

はじめの2つのシチュエーションを考える。漫画にもよくあるように運動部(もちろん運動部に限った話ではないが、分かりやすい例として。)が女性という存在を特別視するのは日常生活において女性との接点が一切ない、つまり、女性の存在に「免疫がない」からだろう。だから、端から眺めては誰それがかわいいとか誰それが好きだとかそういう話題で盛り上がり、照れながらも女性との接点を求める。

一方、3つめのシチュエーション。日常的にまわりに女性がいることが普通で、仲が悪いわけでもない。それに関して疑問を抱かず、その環境にも慣れていて、もはやなんとも思わない。ある意味「免疫ができすぎている」のである。さらに何かを発展させようという意思もない。前二者が環境と性格によるものであるならば、三者目にも環境による部分はあるものの、本人の意思による部分が大きいのではないだろうか。

年齢的に同世代の友人から結婚や出産の幸せな知らせが届く時期に来ている。高校まではやれ勉強に部活、大学に入ればやれ研究、社会人になれば早く一人前に!と仕事まっしぐらで生きてきた。ここに来て社会人4年目ともなるとこなさねばならない仕事(の量)にも落ち着きがでてくる。ふとした時に友人の知らせを羨ましく思う自分がいる。

自分の恋愛遍歴を明かすつもりはないが、経験を踏まえるならば、3つ目のように女性と関わることができながら、恋愛をせずいると、将来的に拗らせ、ズルズルとおひとりさままっしぐらになる可能性を秘めている。

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