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『女王の教室』(平成時代)vs『最高の教師』(令和時代)


('優しい'だけでは人は救えない!?)


両者ともそれこそ「鬼教師」と言わんばかりの厳しい女性教師があえて自ら「」となり、それを乗り越えることで問題解決を図ろうとする日本テレビ系の学園ドラマです。

 不思議なことに、両者とも「土曜日のプライムタイム(夜9時以降~10時台)」の放送です。

 また両者とも、物語の始まりが「学級崩壊」という現代っ子あるあるの問題となっております。

 形は多少違えど、両者の主人公の女性教師は'初めから'「鬼教師」だったわけではありません。

 過去に「優しく」接した影響で、失敗経験(『最高の教師』の場合は何者かに突き落とされた)が発生。その「反省」から「児童(生徒)を一番に気にかけている」からこその威厳と冷酷が漂う「鬼教師」と化したのです。

 似たような作品に『3年A組-今日から皆さんは、人質です』もあります。

 こうして見てみると、「人間の本質(心理など)は実はあまり変わっていない」のではと思います。

 特に、「学校」という「閉鎖的な環境下からの'代理強化'(ある行動を観察して積極的に真似をすること)や'グループダイナミックス'(集団心理)」は特に日本ではあまり変わっていないことが伺えます。

 そして、「女性の教師」ということで子ども(児童・生徒)から「軽く扱われた」経験を生かす形で自ら「」となり、それを乗り越えることで問題解決を図ろうと奮闘していきます。

 『最高の教師』の場合結末はまだ不明ですが、少なくとも『女王の教室』の阿久津真矢先生のように生徒のいない裏では「生徒を一番に気にかけている」はずです。

 奇しくも、両者とも「クラス担任」という大勢の子どもたちとの距離が最も近い存在だからこその責任と覚悟、慈悲をひしひしと感じます。

 『最高の教師』の最終回で九条先生には最後の最後だからこその'笑顔'を見せてほしいものです。

 私の教師は特に高校教師は大した人ではありませんでした。また、田舎で貧乏のため選択肢も少なく、苦労も絶えませんでした。

 『最高の教師』は令和時代のドラマですので、ワンチャン'発達障がい生'や'HSCスペクトラム(繊細っ子)'について扱ってほしいという悲願があります。

 インターネット、SNSの普及により研究が進まないままこれらの当事者の声が'一人歩き'した以上、扱うべきかと思います。

 というよりも、やはり昭和時代に発達障がいないしHSPスペクトラム(繊細さん)の概念がすでに存在したら、もしかすると両者のドラマはまた違った内容になったかもしれません。そして、世間の環境もまた違ったものになったかもしれません。

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