親ガチャに外れたと感じたら
世の中には、子供の真の自立を考え、子供自身に考えさせたり意見を持たせたりといったような教育をする、素晴らしい親がいることは事実である。
・褒めたり、叱ったりしない
・感情的にならない
・世界最高峰の教育を与える
・まず子供になんでもやらせてみる
などなど、方法はいろいろあるのだが
子どもがいかに自分の力で考え、行動できるようになるかを重視したものが多い。
「モンテッソーリ教育」とかいうのも、その類かもしれない
(あまりよく理解していないが)
そして僕は、自分の親がこのような「すばらしい親」であることを期待していたのだ。
自分の幼少期に、自分の親が僕に対して「すばらしい教育」を施し、
・気づいたらとても自己肯定感の高い人間に育っていた
・気づいたら英語が普通にしゃべれる人間に育っていた
・気づいたらめちゃめちゃ頭がいい人間に育っていた
といったような状態に自分がいることを期待したのだ。
親の素質によって、子供の育ちが変わることは考えらえる。
育っていく環境が異なるからである。
例えば、親が海外に住んでいたり、教育に精通していたり、学者だったりした場合、
それらの子供が
・(子供目線から見て)勝手に英語が話せるようになっていく
・(子供目線から見て)勝手に自己肯定感が高まっていく
・(子供目線から見て)本を読みまくって、勝手に頭がよくなっていく
となっていくことは十分考えらえる。
なので、これの逆もしかりである。
だんだんと大人になり、親の素質によって育つ結果が違うということが分かるようになると、
ついつい
・「なんで、~なふうに育ててくれなかったんだよ」
・「お前らの教育のせいで、俺は自己肯定感が低くなったじゃねーか」
というようなことを思ってしまう。
気持ちはとてもよく分かるし、僕もその一人だった。
ただし、その考えに固執すると
「自分の人生は、親の育て方で決まってしまう」
といっていることになってしまう。
つまり、自分の人生のコントロール権が100%親にあり、自分にはないという考えになってしまう。
そして、期待した分裏切られると、怒りの感情が沸き、心を前向きに持っていきにくくなる。
子どものころから
「自分に対しては、こんな風に育ててくれ」
なんてことを親に言う子供はまずいないだろうし、そもそも言葉を話せない。
だから、まずこのことは受け入れよう。
そして、そのような期待を捨てよう。
失望感があるかもしれないけど。
親ガチャという言葉があるが、僕はその言葉自身には何も悪いことはないと思う。
親を選べないのは事実だし、親の子育て方法も選べない。
ただ、それに気づいた以降の、自分の生き方は100%自分で選ぶことができる!
親ガチャに外れたと感じたら、まず親への期待をゼロにしよう。
「あんな親に、そんなすばらしい教育など無理だろう」といった感じで。
そして、自分がどのような人間になりたいのかを明確にし、自分の行動によって手に入れていこう!
そうすると、勝手に身についた人には分からない、
能力の手に入れ方だったりを知ることができ、それは確実にあなたの価値になる。
親への期待を捨て、自分の行動によって本当の自分の人生を生きよう!