奢る奢らないをめぐる論争
こんにちは、シンヤナオです。
話題の旬は過ぎているし、真っ黒になるほどに手垢がついた話題であることを許して欲しい。
この記事を書く理由は私の脳の最適化だ。整理が進まないまま断片化してストレージを圧迫している事柄に、自分なりのアウトプットをすることで使用可能容量を増やそうという狙いだ。
それに、ある程度整理して文章にまとめて書き出してしまえば、ふと思い出した時に頭の中でいちいち道理を導き出す必要が無いからだ。
【発端】
さて、まずはことの起こりからだ。
以上がTwitterやYouTubeで様々な反響を呼んだ女性達の発言である。
もうここで私見を述べてしまってもよいのだが、所詮それは“1億人の中の1人がこう思っている”ということが明らかになるだけで大して面白くもないので、もっと根元の部分から紐解いていくことにしよう。
【奢られないと女性は何故不満に思うのか】
まずはここだ。
引用した2人の女性が代弁したことを全ての女性の総意だと勘違いするのは危険なことだが、心の奥底ではみなそれを望んでいるものだと仮定して話を進めよう。
これは私の中で既に結論づけられたものを材料に考えることによって、すっと腑に落ちた。
『女性は自分自身の価値を算定する基準が自分自身の外側にある』
まさしくこれである。
男性から金を払ってもらうことは、女性自身が認識している自分の価値と、周囲の評価が食い違っていないかどうかを再確認する行為だ。それは『男性は奢るべきだ』と主張する女性の主語の大きさにも現れている。
『男性は───』
これは言わずもがな、男性全てという意味である。
『私に気のある男性は』ということならわかる。私の事が好きなら私にお金を使うことくらい出来るでしょ?という主張はごもっともだ。
この主語の大きさを見るに彼女らは
自分が女性である以上、一緒に食事をしたならば好意があるかどうかは関係なく全ての男性に奢ってもらわねば不満である
ということを示唆している。
彼女らがそれだけ大きなことをメディアで口に出してしまうほどに不満に思うのは、そうでなくては“自己評価の減衰”が起こるからだと私は考えた。
喩えば、自己評価が80点の女性がいたとしよう。彼女が今連絡をとっている男性は3人いて、その3人の男性とそれぞれ食事に行った。ところが3人のうち2人は食事代を割り勘で支払ったとする。
この時に何が起こるのか─────
当然ながら食事をご馳走した1人の男と彼女が上手くいく可能性は残ったが、焦点はそこではなく、彼女はこれから“自己評価78点の女”として生きていくことになってしまうのではないかと私は予想した。
この減点が、奢って貰えなかった回数1回につき1点なのか、2点なのかは個人によるところだろうが、価値を算定する材料を自分の外に置くというのはこういうことなのではなかろうか。
一部の女性がSNSに自撮りをアップロードしたりするのは、無意識のうちに自己評価点の回復を図っているのかもしれない。
誰も彼も男性である限りは奢ってくれなければ、食事を重ねるたびにどんどん自分の価値が下がっていってしまうと思い込むことにより、前述した主語が強い主張が生まれていると予想される。
『可愛いと言われれば言われるほど女は可愛くなる』のネガティブバージョンである。
【男性が奢らないのは何故か】
これは簡単だ、金が惜しいからである。もちろん男性側も好意を寄せている女性が相手なら確実に奢るだろうが、出来ることならば興味のない女性に対して金を払うのは避けたいはずだ。
つまり男性が女性に奢らない場合
『貴方に好意を寄せているわけではありません』
ということでしかないのである。これは非常に分かり易く、女性も理解しているはずだ。
【ジレンマ】
ここでひとつジレンマがある。
当然ながら女性にも『好意を寄せてもらいたくはない男性』が存在するはずである。私のような中年で、顔が良い訳でも無くて、毛深くて、酒臭くて、理屈っぽくて、金も持っていない男性のことだ。ここでいう好意とは女性として好きということだ。
私のような酷い条件の男性だけでなく、女性は割合で言えばごく一部を除いた殆ど大半の男性には好意を寄せてもらいたくはないはずなのだ。
男性が女性に奢らない時『貴方に対して好意を寄せているわけではありません』という確実な意思表示になるわけだが、逆に男性が奢った場合に女性が受け取る情報は『貴方に好意を寄せている可能性があります』ということだ。
自分に好意を寄せて欲しくない男性と食事に行くことで女性はジレンマを抱えることになる
自分自身が気に入らない男性にすら奢ってもらえなければ女性自身の価値が強く目減りしたと感じることになり、奢ってもらえた場合は気に入らない男性から好意を寄せられている可能性が残ることになる。
いずれの場合も女性にとって好ましい状態ではないだろう。
この2つのケースを比べた時、前者は自分自身の金が減ること、後者は確実に被害者でいられることを鑑みて、それならば後者を選択するという現実的な聡明さを持っているとも言える。
50代の上司に誘われて会食に応じた20代の女性が、会計で割り勘だったことに腹を立ててSNSで不満を撒き散らしているのを見たことがないだろうか。あれこそが自分自身の価値が大きく目減りしたと勘違いした女性であると私は考える。
【主張の陳腐化】
私の悪い癖で、少しばかり話が本筋から逸れてしまったみたいなので、もとのレールへ戻していこう。
『男性は女性に奢るべきだ』
意外かもしれないが私はこれに賛同する。ここまで強い表現はしないと思うが、なんだかんだ言っても男性は女性の前で格好付けたい生き物であるし、美しい光景であるとも思う。
ただし、この主張をするのが男性でない場合は一気に陳腐化する。
これはさんざん誤用されてきた言葉だ。本来、客側が店側に対して言う言葉ではなく、もともと店側が抱える従業員に対して教育する為の言葉だ。
これと同じで『男性は女性に奢るべきだ』とは男性が男性に対して言う時だけ、真に素晴らしい価値を持つ言葉なのだ。
これを女性側が主張してしまうのは、自称神様のお客様と同じである。
【よく挙げられる理由】
根拠としてよく女性が挙げる理由に対して、ひとつずつそれが正当性を帯びているか確認していこうかと思う。
格好つけて欲しかった
女性はデートのためにお金をかけているから
男性の方が年収が高い
以上がよく見られる理由だ。
・『格好つけて欲しかった』
これはいいと思うのだが、同時に『かわいこぶって欲しかった』つまり、愛想良くして貰えなかったから金は払えないという男性の意見にも耳を傾ける必要があると思う。
・『女性はデートのためにお金をかけているから』
これも別にいいと思う。ただし『君に格好いい男だと思われる為に、私は高級外車を購入して1000万の借金がある』という男や『整形をして顔面に800万円かけた』という男には奢る覚悟は当然ながら必要になる。
・『男性の方が年収が高い』
これは日本の恥ずべき点であり、賛同せざるを得ない。私が女性に対して盲目的に奢っても良いかと考えている大きな要因でもある。それくらい女性の賃金は不自然なほど安い。
【総括】
私は男性が女性に奢ることには賛成である
ただし『男性は女性に奢るべきだ』という主張は女性が行うと、たちまち陳腐化する
以上は私の考えであり、真理として語るものでは無い。