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正しさに価値なんてあるのか【月の書斎】


はじめに

どうも月と夢です。いやぁ、見終えましたよ、氷菓。感想を話したい欲もあるんですけど、感想を言おうとかそういう意識をしながら見ていなかったので、印象ばかりが残って良い感じに言える気がしません。多分べた褒めすることになるとは思うんですけど批評をするのもあまり好きではないのでnoteの記事には多分しないと思います。さてさて、余談はこれぐらいにしておくと言うと思いましたか? もう少しだけ続けさせてください。今回の僕の夏休みの目標として本を十冊読みたいと思っています。実は僕あんまり読書家じゃなくてここで本を読む習慣でもつけようかなと思います。自分語りはこのぐらいにして本題に行きましょうか。

正しさの先

最初に、ここで言う正しさについて話しておきます。僕がここで使う、正しさというのは論理的だったり理屈的に正しいこと、いわゆる正論って奴です。もう少し意味を拡張することも出来るとは思うんですけどそう思ってもらっておいた方が誤解がなく伝わるのかなぁ? って思います。
さて、正しさに価値なんてあるのか。それが今回の記事のテーマでしたね。
価値も何を価値とするかとか無限に話せるとは思うんですけど、そこは一旦置いといて本題に入りましょう。
正しさに価値なんてあるのか。と書きましたが正確には正しいだけのことに価値はないのではないか。ですね。
例えば、会社の生産効率をあげるために機械つかうとかそういう効率化みたいなのは一種の正しさとされていると思います。でも、大事なのはその先に何があるかですよね。効率化することで誰が利益を得るのか、あるいは幸福になるのか。
他にも、法なんかも正義、って感じがします。でも、正義を守ること、それはどれだけ大事なんでしょうか。守った正義が守ってくれることが本来は大事なはずなんです。法は手段にすぎません。権利を幸福を守るための。

うーん、なかなか上手く話せませんね。
論理的な説明ができないのは話がまとまっていない証拠です。
一旦落ち着きますか。別に僕は正しさに価値なんてないという主張がしたいわけじゃないんです。むしろ、正しいってことは凄く重要だと思うし、僕は正しさをカッコよくて強いヒーローのように思っています。
でも、だからこそ盲目に正しさを信仰するのは良くないんじゃないか? そう思ってしまうんです。
ちゃんと、正しさの先が想定されているものは良いと思うんですよ。正しさを使って何がしたいのかそれがちゃんと見据えられているなら良いと思います。
でも、無機質な、効率化するだけだったり、何かを切り捨てるような正しさは、それで良いんでしょうか。
ごめんなさい、見切り発車で出発したせいで結論が出ません。少し日を置きましょう。考えておきます。

最後に

いやぁ、ちょっと、難しかった。それとも僕の頭が回ってないんですかね?
なんというか、正しさって何なんだろうって思っちゃいまして。正しさの定義って、正しいことじゃないですか。だから、本質的に正しさが間違ってることはありえないんですよね。間違っていたならそれは正しくないってことですから。みなさんも是非正しさについて考えてみてください。正しさは僕たちに寄り添ってくれるのでしょうか。正しくなくても僕たちに寄り添ってくれるものはやっぱりダメなんでしょうか。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
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あと、折角だから他の記事もぜひ読んでみてください!!




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