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ある嘘つきの反省

「はい、間違いありません。私がやりました。はじめは金目のものだけ盗むつもりだったのですが、気付かれてしまったので、パニックになって刺しました。父親の声で家族の人も起きてきたので、しょうがなく殺していったって感じですね。申し訳ないと思っています。」
薄暗い取調室の中、青年は明瞭な声で自らの罪を告白した。

お茶の間を騒がせた「一家殺人強盗事件」。予想外の捜査の難航に警察への非難の声も大きくなってきた頃、四か月にわたる捜査の末、事件に幕が降ろされた。


男には少年の頃から、窃盗癖があった。
彼の初犯は九歳の時である。半年以上に渡り、祖父母の家から百万円近くの金を盗み続け、ゲーム機や漫画、お菓子といった自身の娯楽のためにその金を使い込んだ。
住宅裏の雑木林に大量のごみが捨てられていることに違和感を持った母親が、少年と兄の共用の子ども部屋を捜索したところ、兄の机の裏から、隠しこんでいた大金と多くのゲーム機が見つかった。
その日の夜、リビングに呼び出された兄弟の前には、発見された証拠の数々が並べられ、ただそれらを見つめる両親がいた。
いくつもの物証を挟み、両親の向かいに正座した兄弟に対して父は言った。「何をしたのか全て話してくれ。」
長い沈黙の末、口を開いたのは少年の兄だった。
「ごめんなさい。早く言わなきゃと思っていたけど、今までずっと言えませんでした。1か月くらい前に、机の裏にそれがあったことには気づいて、弟がおじいちゃんのお金を盗んでいることも知っていました。だけど怖くて何も言えませんでした。弟も自分もどうなるんだろうと思うと怖くて仕方がありませんでした。本当にごめんなさい。」

涙ながらの兄の告白によって、事件の真相が明かされると、その場にすぐに祖父母が駆け付けた。
出来事の顛末を聞き、激高して少年を叱責する祖父。
ただひたすらに祖父母に謝り続ける両親。
少年の横に座り、体を震わせ涙を流す兄。
その傍らで当の少年は、依然として沈黙を続けるだけであった。

「お前は、こんなに悲しんでいる父さんと母さんを見て、こんなに苦しんでいるお兄ちゃんを見て、何も思わんのか。おまえのせいで、何も悪くない周囲の人間がこんなに悲しんでいるんだぞ。」
少年の改心を願う祖父からの問いかけに対し、少年は小さくつぶやいた。
「ごめんなさい。反省しています。」

その後、少年の月々の小遣いの中から、祖父母への返済の約束を交わし、事件はひとまずの収束を迎えた。


しかしその二か月後、父の給料袋から、一か月分の生活費が失くなった。
母はすぐに少年に問いただした。
「お前が盗んだんだろ。使っていないなら、どこに隠しているか言いなさい。」
以前とは違い、少年は大声で、嗚咽交じりに泣きながら答えた。
「違うんだ。僕じゃない。僕は何も知らない。信じてください。」
どれだけ説得をしようとも白状しない少年にしびれを切らした母は、兄とともに少年の隠した現金を探し、それは間もなくして発見された。物置の洋服の隙間に挟み込まれていた裸の二十万円を兄が見つけ、それを少年に突きつけることで、ようやく少年は自らの罪を白状するに至った。

その夜、両親は少年を連れ、警察署を訪れた。
駐車場に止めた車の中で、少年は必死に体をこわばらせ、
「もうしないから、許してください。もう絶対しないから。」
と涙ながらの反省を見せた。

両親は苦心した。ここで少年の悪癖を何とかしなければ、犯罪者を将来世に送り出してしまうことになる。親の責任にかけて、懸命に少年に関わった。

父の給料明細を見せ、生活費を稼ぐことの大変さを、お金の貴重さを少年に説いた。
少年が金を盗んだその月には、家族そろって質素な夕食を食べた。
年の瀬のクリスマスに、サンタクロースからのプレゼントが届かなかった少年に対しては、「サンタさんは、いつもあなたのことを見ているから、悪い子にはプレゼントはくれないんだよ。」と説明した。
遠方に住む親戚の家へ宿泊する際にも、欠かさず少年に確認をした。
「気の迷いで、取ってしまったものはないかい?今なら間に合うから、もし失敗をしたのなら正直に話してちょうだい。」

とにかく、少年にこれ以上の罪を重ねさせない為、罪の意識を持たせるように、そして新たな罪を生み出さないように、両親はあらゆる手を尽くした。

その後、金は盗まずとも、嘘によって自身の罪を隠すため、毎度のように大きく泣きさけぶ少年に、ある時母は言った。
「もうやめなさい。おまえが嘘をつくときに大きな声で泣くことは分かっているの。」
そして少年は、自身の演技が何の意味もなしていないことを理解した。


二度目の犯行から半年が経った。
兄とともに祖父母の家へ宿泊し、そのまま登校した少年は、学校を終え自宅へと戻った。
普段の笑顔は無く、険しい表情で座して少年を待っていた祖母は、帰宅した少年に告げた。
「私の目の前でずっと座っていて頂戴。」
その後、中学から帰宅した兄と仕事を終え帰宅した両親が揃うと、少年の目を見つめたまま祖母が口を開いた。
「私の財布から、お金がなくっていた。あなたたちのどちらかが盗ったんでしょう。」

少年は、動揺する素振りも見せず、淡々と返事をした。
「僕じゃありません。僕はずっとおばあちゃんの前にいたでしょう。ランドセルの中も全て見てくれれば良い。」
以前の過ちを反省した少年は、一切の涙も動揺も見せず、堂々と振舞った。しかし、トイレに盗んだ金が隠されていたことを兄が発見すると、一転して少年は罪を自白した。

少年は、地域の児童相談所で行われているカウンセリングへ通うようになった。数か月をかけ、自身の罪を見つめなおした少年は、カウンセラーからの提案を受け、両親への手紙を書くに至った。
盗みを働いた際の心情。そしてその背後にあった、両親に自分を見てほしいという欲望。迷惑をかけてきた事への謝罪。そして二度と罪を犯さないという自分への誓い。
そして、その手紙を両親に対して読み上げ、自身への戒めとして持ち続けた。


青年の逮捕から数日後、拘留場へ面会に訪れた初老の担当弁護士は、簡単な挨拶を済ませた後、青年に尋ねた。
「ところで、今回の事件なんだけど…本当に、君がやったんですか?」
うつむいたまま沈黙を保つ青年に向かって、弁護士の男は続けた。
「今回の事件、おかしいんですよね。逮捕の決め手になった目撃証言だって、はっきりとあなただと断定できるものではなかった。それ以外での物的証拠も揃っていない。私は、警察がメンツを保つために、強引にあなたを逮捕したようにしか思えないんですよ。それであなたがすんなりと罪の供述をしたもんだから、一件落着ってわけだ。私はどちらの線で弁護すればいいのか分かりかねている訳です。減刑?それとも無実?本当のこと、話してもらえませんかね?」

青年は、まっすぐに自分を見つめる弁護士の瞳に映る、過去の自分を見た。


九歳だった当時、私はまだ言葉も知らぬ冤罪というものに初めて巻き込まれた。
母に呼び出され、旅行の行き先でも聞かされるのかと心躍らせ向かったリビングには、見たこともないような現金と、羨ましいほどの数の最新ゲーム機、そして今まで見たこともないような険相で私たちを見つめる両親があった。
事態を呑み込めず呆然としている私の横で、突如泣き出した兄の口から語られる架空のストーリー。その中では、私は大金を盗みだした大泥棒であり、気付けば、私の存在する現実の世界でも、家族を悲しませる大悪党になっていた。

その後起こった、父親の給料盗難事件では、私は初めから容疑者として存在していた。以前の反省から、自身の無実を伝える必要性を理解した私は、涙ながらの本心で己の潔白を訴えた。しかし、全身を使った必死の主張もとうとう実を結ぶことはなかった。

深夜に起こされ、行き先も告げられぬまま連れられた警察署では、私は逮捕され二度と今の生活に戻ることができないのだと恐怖した。今後の私の人生には犯罪者というレッテルが貼られ、社会から隔絶されて生きていかねばならぬということが恐ろしかった。私は兄の罪を進んで自らの中に取り入れ、その上で、犯罪者としての反省を必死に表現した。
何よりも、自分が社会の中に存在し続けることを優先せねばならなかったのだ。

父の給料明細を見せられ、母から必死に伝えられるお金の話は、難しくて私にはよくわからなかった。
次はいつ新しい事件の犯人になるのかという不安な日々の中で、数少ない私の希望であったサンタクロースはやってこなかった。私は悪い子だから。
外出先で母から行われる、私の罪への確認の際には、兄が罪を犯していないことをひたすらに願った。
どんな時であろうとも、私が母へ返す言葉は決まっていた。
「ごめんなさい。自分がどんなに悪いことをしたかは分かってる。もうしないから。」

私は理解していた。
真実を伝えるためには、己の感情を殺し、信頼を得るための嘘の自分を演じる必要があることを。
平穏な日常を守るためには、他人の罪を自身の中に受け入れ、反省している嘘の自分を作り上げる必要があることを。

そして迎えた三度目の盗難事件。
今までの反省を生かし、今度こそ身の潔白を晴らすのだと私は懸命に戦った。
毅然とした態度で、自身の無罪の証拠を淡々と示した。
再度、犯罪者に仕立てあげられることへの恐怖も、泣き叫んで伝えたい両親からの理解への欲求も、全てを押し殺して戦った。ただ、真実を伝えるために。
しかし、意味はなかった。
私はすでに犯罪者なのだ。社会は私が罪を犯したという事実を求めているのだ。
そして、私はすべてを諦めた。
私自身の潔白で誇り高き人生も、本当の自分を理解してほしいという願望も、すべてを手放すことを決めた。

その後通ったカウンセリングは非常に有用な訓練であった。
心の中に湧き上がってくる希望の種をすべて殺していくことを覚えた。
大人が求める私を瞬時に理解し、架空の自分を演じることを覚えた。
数か月間に渡るカウンセラーとの対話を終えた頃には、全ての希望も、そして自分自身の尊厳も、私の中から完全に消滅していた。


幼き頃の記憶が一瞬にして脳内を駆け抜けた後、弁護士と、その瞳の中の過去の自分から目を離さずに伝えた。

「私がやりました。」

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