さようなら。最愛の自分

大切な他者の存在に気付いた時、私は同時に気付く。最も近くにいた人間の喪失に。
幸せをつかむということは、苦悩の日々と決別であり、つまりそれは、苦悩の中を生き抜いてきた自分自身との別れを意味する。

そしてその喪失の認識は、清福の中で突然やって来る。
知覚を強制することはなく、しかし意識の外で、はっきりと薄れていくのだ。

日々の葛藤の記憶も。
孤独の中でひたすら繰り返された思考も。
自身の存在を定義する、周囲との違和感の認識も。

現在へと繋がる細く険しい道のりを、たった一人で耐え抜き、渡り歩いてきてくれた過去の私は、一切の別れもなく、突然に姿を消したのだ。
捨てることすら能わず、両手いっぱいに抱えてきた醜くも愛おしい思い出たちも、気付けば手の内からこぼれ落ちていた。

私は一緒に生きていきたかったのだ。
傷だらけの小さな自分と、ただ苦いだけの思い出と。
幸せに溢れた毎日を、ともに歩いていきたかったのだ。
しかし、どれほど必死に探そうとも、心の河岸に落ちていたのは「つらかった思い出」と書かれたパッケージだけであった。

きっとそれで良いのだろう。
私は生きていくしかないのだ。
幸福の土台となってくれた彼の為にも、笑って前を向くしかないのだ。
遠い未来で待つかつての私に、笑顔で想い出を届けるために。

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