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日本の黒い霧③

■征服者とダイヤモンド
※本文より抜粋
日銀地下金庫には、現在(昭和35年)十六万一千二百八十三カラットのダイヤがある。問題は、以前から実際その量だけあったものか、あるいは残された部分がそれだけなのかという疑問である。このダイヤの主体は戦時中に国民の供出した物が中心で(それにはダイヤだけでなくほかの貴金属も含まれた)正式には「接収貴金属」と呼ばれている。
「接収貴金属処理法」が成立して、昭和三十五年五月現在、接収貴金属処理審議会(会長長谷伝次郎前会計検査院長)が大蔵省を主管庁として開かれ、間もなく日銀ダイヤも日の目を見ることになり、これをめぐって世界のダイヤ商人の暗躍がはじまっているということは、週刊誌などに書かれていることである。
そもそも、戦時中、国民からダイヤを買い上げるという狙いは、終戦前、戦争が苛烈になって、軍需用から工業用ダイヤの必要を迫られたからである。政府は昭和十九年七月二十二日、十九機第二三五一号という軍需次官名による通達でこれを立法化した。別名「ダイヤモンド買い上げ実施に関する件」ともいう。(但書にはダイヤモンド以外のものも希望があれば一緒に買い取ることが明示されている)
あとの問題に引っかかるので、一応、十九機第二三五一号の要旨なるものをざっと記すと、次の通りとなる。
①軍需省でも、昭和十九年八月十五から十一月十四日までの三カ月間に、ダイヤモンドを買い上げることになった。これは、全国的に一般家庭、業者から即金で買い上げるもので、その業務は、交易財団が政府の命を受けてこれをお行う。このダイヤは航空機や電波兵器の生産に必要なものである。
②買い上げは、東京、大阪、京都、神奈川、愛知、兵庫、福岡の七大都府県庁指定の百貨店を買い上げ代行店として指名する。このほかの道府県では、中央物資活用協会が巡回して買い上げる。東京では日本橋三越、銀座松屋、上野松坂屋、神奈川県では伊勢佐木町松屋で、それぞれ即時鑑定即時払いとする。
③指輪、帯留め、髪飾り品等のダイヤ入り装飾品、ダイヤ以外でも、希望があれば一緒に買い取る。
④買い上げ価格、三カラット、三千三百円、二カラット、二千七百円、一カラット二千円。
⑤三十分の一、五十分の一の小カラット物も買い上げ、粉末にしてレンズ磨きやダイスの穴削りに使用するから、極小ダイヤでもかまわないから供出のこと。(朝日新聞)
~~略~~
しかし、すぐに日本が敗戦したため、接収ダイヤはそのまま各所に眠った。

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【ササピー】

いったい当時、どのくらいのダイヤが集められたのか?その証拠となる資料は一切残っていない(抹消した?)そうである。

ある信憑性の高い想定では六十万カラット以上であった!ということである。しかし、日銀の金庫には十六万カラットしか無い。残りはどうなったのかが問題である。

帰還するアメリカ軍幹部が持ち帰り、それがばれて裁判になった例もある。

また、戦後急に財を成した日本人もあやしい。

とにかく、めちゃくちゃだったのは、間違い無さそうである。


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