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コンプレックス 24


■コンプレックス24

金沢から広島へ転勤になった。

新広島空港の敷地内にオープンする広島エアポートホテルの料飲支配人としての異動で、
これは大きな栄転であった。

ボクは、かつての自分の部下を呼び寄せスタッフを固めた。

この時代、とても良い仕事をしたと、今でもとても懐かしく思う。

広島のオープンで、TV取材で何日もベッタリ追われたこともある。

常にカメラと音声の人が待機していて、私がどこかへ行く度に付いてくる。

何かスタッフに指示などをしようとするとカメラを廻す・・・
そんな感じで、とても落ち着かなかった。

そのビデオは編集されて後に放映された。
自分で言うのもなんだが、感動した。とてもうまくまとめてあったのだ。

今では、懐かしい思い出であり、宝物である。
若く、そして華々しい時代でもあった。

しかし、突然不幸が訪れた・・・

インターコンチネンタルホテル買収で資金繰りが苦しくなった西洋環境開発は
大胆なリストラを発表したのだ。

夏のことだったと思う・・・

・来年の春までに、現在2200名位いる社員を1000名にまで減らす。

・早期退職希望者には、退職金の上乗せをする。

との事で、いずれにしても広島にいられなくなったのだ。

どうするべきか随分悩んだ。

以前のエドモント時代の上司が、かなり強引なやり方で私を横浜グランドインターコンチネンタルホテルに捩込んでくれるという・・・

これは異例中の異例であり、大変ラッキーな話であった。

この時に、こんな話はどこにもころがっていなかったのである。

こんな風に面倒をみてもらえるというのは
光栄であったが、どこへも行く当てが無くなった皆の手前軽々しく喋ることも出来なかった。

横浜では宴会サービスのマネージャーを命じられた。

また、給料は以前と同額を保障してもらった。

当時、横浜の料飲部門は、部長はフランス人で、次長のK子氏は私と同年齢であった。

K子氏も、私と同様に西洋環境開発に籍を置き、横浜に出向していた形だった。

しかし、彼の場合は簡単に横浜に転籍出来たわけである。

私も転籍だが、他のホテルから来た形なので立場が弱い。

タイトルも部門のマネージャーにしかさせてもらえなかった訳である。

西洋環境開発では、K子氏も私も 7等級で同じ等級だったのである。

等級は 8等級まであり、 7等級は本社では課長職の等級であった。

そういう事情もあり、彼は私に付け込まれたく無かったのか、執拗に「いじわる」をしてきた。

それは、あまりにも子供じみた内容であり、なんでそこまで・・・と思ったりもした。

彼はレストラン出身で、ソムリエの資格も持っていた。

しかし宴会サービスについては全くの門外漢であった。

そんなわけで、ボクの持ち場である宴会場に彼が姿を見せることは先ず無かった。

ところが、ある時から執拗なイジメが始まったのだ。

当時、マネジメントは皆ビーパー(ポケベル)を持たされていた。

それが鳴った場合、たしか30秒以内にコールバックするルールだったような・・・

ビーパーには相手の内線番号が表示されるようになっていた。

ボクは宴会サービスの責任者であり、オペレーションのチェックをする為に色々と歩き回る。

ある時から、急にそのビーパーが頻繁に鳴るようになったのである。

ビーパーが鳴ったので連絡すると
「笹川さん、連絡が遅いですね・・・
1階のシルク&パールのホワイエの照明ですが、
今日は会場を使用していないのは分かります。
しかし、真っ暗は不味いでしょ!
コンセプトと違っていますが、どうなっているんですか?」

シルク&パールというのは、1階ロビー階にあるファンクション(宴会場)で、
ロビーから会場の中が見えるようなシースルーになった会場であった。

その会場のホワイエ(全室:受付や待合の場所)の照明について因縁をつけてきたようである。

「コンセプトでは、どのようになっているのですか?」
と、聞いたところ

「知らないのですか!それは大問題ですね!至急確認いただいて、今後このようなことの無いようにお願いします!」

なんだよ~!因縁つけておいて、答えも教えないわけか・・・
ムカムカした。

オープンからいるスタッフに片っ端からそのことについて聞いてまわった。

その「コンセプト」やらを知っていたのは、極わずかではあったがいるにはいた。

宴会が入っていない場合であっても、
全ての照明を落としておくと暗くてイメージが良くないのでホワイエの指定されたダウンライトだけを、あるレベルで〇時から
〇時迄点けておくというものであった。

当時オープンから6年経過していた。
そのことを知っている人間がほとんどいない世界だったこともあり、
そんなことは随分前から実行されてはいなかったのだ。

つまり、彼が言っていることは正しいことではあるが、
今まできちんと実行されてもいなかったことに対して、
「どうなっているんだい!?」と因縁をつけてきたわけである。

これはほんの一例であり、
手の込んだ嫌がらせを色々とする奴だった。

外資でポジションを獲得しているわけで、英語は完璧、頭もいいし、仕事も出来たんだと思う。
でも、人間的にこれ以上嫌な奴はいない!というくらいに嫌な奴だった。

彼からイエローレターを叩きつけられ、自殺したスタッフもいたらしい・・・

私は、こんな馬鹿な奴に対してイエスマンになることは、どうしても出来なかった。
そして、それが出来ないのであればここにいても仕方無いとも思った。

転職するしか無い・・・

厳しい状況の中でインターコンチに紹介してくれたエドモントの上司には
申し訳無いが、ここにいたのでは頭がおかしくなると思った。


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