前回エントリーの反響への御礼と蛇足的説明

芝浦工業大学の小山です。
初めて書いた前のエントリーのスキが200を超え、Twitterやはてブでも多くのコメントをいただき、たいへん驚いております。ありがとうございました。

(言い訳でなく)誤解を招きかねない表現がありましたので、補足です

前のエントリーで「もし著者(小山注:『ゲームの歴史』の著者)が人格的にアレだったら指摘した自分の人格もアレのように見えますし」と書きましたが、「これ、下手したら『ゲームの歴史』へ丁寧な批判を続けられている岩崎啓眞さんをディスったように読めるなぁ」と思ったので、その訂正と、それだけで終わると短いので、蛇足な議論を少し書いておこう、と思った次第です。

余談ですが、中学生の頃の私は岩崎啓眞さんゲーム雑誌Beepのライター(ドクトルだみお)だった頃に書かれた記事を読んでファミコンのRPG(ミネルバトンサーガ)を買ったことがあります。また、生涯で一番遊んだゲーム機はPCエンジンで、岩崎啓眞さんがプログラムを担当されたYs I・IIも遊んでいます。自分史的にはヒーローなお方なので、こういうエントリーを書かせていただきました。

影響力が大きいが無意味な主張への反論は、純粋かつ重要な社会貢献

『ゲームの歴史』の誤り箇所に関して、最も丁寧な指摘を続けられているのは、岩崎啓眞さんで間違いないかと思います。ご自身のWebページに記事投稿する形式で続けられている「書籍「ゲームの歴史」について」のシリーズは10を数えます。ご自身の仕事もある中で、大変な手間をかけていることがわかります。

本当に頭の下がる思いです。

別に『ゲームの歴史』の中の誤りを指摘したところで、大きな名誉が手に入るわけではありません。お金も入りません。批判記事は後に同人誌にまとめられるそうなので、少額は入るかと思いますが、かけた時間を時給換算して報われるほどになるとはとても思えない。すでに社会的な地位もお持ちの方が、膨大なエネルギーをかけてまで行うにしては、割に合わない。

それでも、『ゲームの歴史』の批判を続けられているのは、様々な考えや思いがあるからなのでしょう。「将来、ゲームやゲーム産業の歴史を学ぶ人が最初に取る本が『ゲームの歴史』になってはならない」というお考えかもしれませんし、「ゲームデザインやゲームの技術的記述に誤りが散見していることが、エンジニアとしての美学からみて許せない」からかもしれない。「自分が好きで、長年の仕事の対象としてきたゲームに対して、いい加減なものを書かれて汚された、と感じた」からかもしれない。もっと単純に、ムカついたから、かもしれない。

いずれにせよ、意見・活動で、事実上の絶版とまでなったことは大きいです。あえて大げさな言い方をするなら、「日本の知的営みの積み上げに、誤った石を積まずに済んだ」ということになるかと思います。非常に大きな社会貢献活動だと思います。

・・・本当は専門家として、面倒に思わずに自分が行わなければ行けなかったことだ、と反省した次第です。

分野を絞ってのゲームデザインの変遷史なら、書ける人も居るはず

コレだけで終わるとナンですので、一つだけ蛇足的な議論をしておきます。
前のエントリーで「現状、ゲームデザイン史(影響史)をちゃんと書ける人は居ません」と書きましたが、これは間違いではないですが、説明が不十分でした。

システム変遷史

前のエントリーで書いたのは、「ある作品Xに対して作品Yの影響があるか」といった非常にゲームデザイナー史・ゲーム作品史に近い形でのゲームデザイン史でした。それこそ、「堀井雄二氏がドラゴンクエストを生み出すにあたって、Wizardryの影響を受けたか、夢幻の心臓の影響はどうか」といった議論です。

それ以外にも、ゲームデザイン史の編み方はあります。前のエントリーでこのことに意識が及ばなかったのは、『ゲームの歴史』を英雄史観的だと批判していたからでしょうか。お恥ずかしい限りです。

例えば、「JRPGにおける戦闘システムの変遷」といったテーマを挙げ、単純なコマンド式戦闘から(FFに出てくるような)アクティブタイムバトル、(女神転生シリーズのような)プレスターンバトル、(軌跡シリーズのような)素早さ順に行動するアクションタイムバトル、(今はほとんど消えてしまった)戦闘時のみ別フィールドでキャラクターを移動させて戦うシステム、などがどの時期に誕生し、どういった亜種を生み出しながら現在に至るのかを、ゲームタイトルやゲームデザイナー間の影響関係を捨象して(重要でない要素として無視して)歴史としてまとめることは可能です。

こういった個別史は、それぞれのゲームデザイナーが独自に学んでまとめられた私家版(もしくは、ゲーム会社内の勉強会用資料)はありそうですよね。それが、公の場で発表され、数々の人のコメントと議論(=学術的なプロセスを経る)によって洗練されたものが出来上がり、未来のゲームデザイナーの手に届くようになる、と素晴らしいと思います。

また、システム変遷史も、視点によって何が書かれるべきなのかが大きく変わります。

拙著(日本デジタルゲーム産業史)では、第10章(アーケードゲーム(3))の箇所で、補論としてアーケードゲームのシステム推移を書いています(すごく荒いですが)。これは、アーケードゲームではゲームのシステムとビジネスモデルが直結しているからです。

このようなシステム変遷史は、もっと議論されてしかるべきなんだと思います。

分類して系統樹を描く作業・研究も歴史の一つ

もう一つ、生物学で描かれる進化の系統樹のように、ゲームジャンルやゲームデザインの発展系統樹を描く、という作業・研究も歴史として行えるものの一つです。

過去行った私の研究から例をあげます。過去に、私は国際学会でこういった趣旨の発表をしたことがあります。

・ドラゴンクエストのロト3部作はJRPGと言うよりは、米国のRPGを日本化した到達点で、その後のドラクエとの差異化の試みがJRPGを作った
・JRPGは、1980年代のかなり早い段階で欧米のRPGと発展経路が別れ、独自の進化をした。早い段階でパンゲア大陸から離れて独自の進化を遂げたコアラやカンガルーのようなものだ

※ちなみに、この研究は後に米国で出されたJRPGに関する研究書に採択されることになりました。ただ、その際には編集者の方から「今の時代だとJRPGはニッチとして欧米にも定着したから、コアラやカンガルーという議論は変えてください」と言われて変更しています。

こういった、植物学者のカール・フォン・リンネが分類学として行ったような形式で、ジャンルの変遷や分化を追いかける、という研究は可能です。

もっとも、西洋のRPGからJRPGが分化する部分だけで1論文ですから、膨大な量の研究蓄積が必要で、大きな全体の歴史が編まれるのはもう少し先のことになるでしょう。

最後に、再びお礼とお知らせ

このような蛇足エントリーまで読んでいただき、ありがとうございました。

最後にお知らせですが、出版社(人文書院)の方で、拙著(日本デジタルゲーム産業史)の重版が決定したようです

過去にTwitterで拙著にプレミアがついている、手に入らない、という書き込みを何度かみてまして、そのたびに申し訳なく思っていたのですが、再び入手可能となるようです。

※一応お断りしておきますが、Kindle版が存在しているため、電子書籍としてはずっと購入可能ではありました。

ただ、学術出版社から出る学術書ですから、拙著は既刊と重版を合わせても、講談社から出た『ゲームの歴史』の初版発行数以下ではないかと思います。下手したら2016年に刊行した最初の版を合わせても下回ってるのではないでしょうか。

ゲームという、比較的多くの人に読んでもらえるジャンルでこういった状況ですから、学術的な出版活動がいかに地味でお金にならないか(大学教員として、別に給料を頂いていないと続けられない)を理解していただくと幸いです。

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