ピンピンころりん子ちゃん 4

 夕食を作ろうとキッチンに行くと、テーブルの上に請求書の束が置かれていた。請求書というのは滞ったりしない。通信会社、カード会社、固定資産税、住民税、ガス、電気、水道……。

 不確かな世のなかにあって、それは必ずやってくるものだった。当然のこととしてひとは明日を勘定に入れているが、もしかしたら、明日などやってこないかもしれない。明日というのはあまりにも当たり前でありふれている。しかし、ある日突然、なんの予告もなく明日は消えてしまうのかもしれない。それでも、請求書はやってくるのだろう。そう感じさせるところがあるのだ。ただの紙切れのくせに。

 ぱらぱらとめくりながら、ぼくはあることに気づいた。請求書のなかには、自分名義のものがひとつもないことに。

 請求書をテーブルの上に置いて、ぼくはイスにへたりこんだ。からだをがっちりとおさえられているような気がした。それは両親であり、ちっぽけな紙きれの向こう側にいる、輪郭のぼやけたひとたちだった。
 
 お金が必要だ、とぼくはあらためて考えた。この紙きれを処理するために、からだを酷使する道を選択したのだから。だが、それでも足りない。もっとお金が必要だ。

 もちろん、両親はこの家の経済状態を理解してはいるのだろう。ふたりが仕事をしていない以上、自分が支払うのは当然だということもぼくは理解していた。ただ義務感を失っただけで、ひとはあれほどまで軽薄になれるのかと、ぼくは驚かされているだけなのだ。
 ふたりを叱責して、状況を説明することはやさしい。だが、わざわざ回りくどいウソをついてまで、お金を引き出そうとする両親に、ぼくは強い態度に出ることができなかった。
 
 考えてもしかたがないことだった。内臓はごろごろと寂しい音を立てていたが、食欲は自分のことではなく、ひとごとのように感じられた。ぼくはご飯を食べないことにした。残された自分の時間は、何より大切な睡眠に当てなくてはならない。

 部屋に入ると、目覚ましをセットして横になった。この時間だけが、一日のなかではっきり自分のものだと自信を持っていうことのできる、貴重な時間だった。ベッドに横になって目を閉じると、自分の存在は徐々に消えていく。からだから切り離された感情が、暗い部屋のなかをふわふわと漂いはじめるのがわかる。喜びも悲しも、それはもはや自分の感情と呼べるものではなくなっていく。一日に区切りがあることが、どれほど、いまの生活で救いになっていることか。蓄積した疲労が、じっとりとベッドのなかに広がり、そのぐるりへとこぼれていく。

 このまま、どこか別の場所で目覚めたい、ぼくはそう考える。だれとも話をしない、責任感も義務感も、連帯もない世界で。そんなところにいたいと願う。それでも、この時間が長くつづくことはなかった。睡眠に抗うことなどできはしなかった。
                       つづく

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