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米原へ木製の皿作り

以前一緒に祭りの出店をやったSubako候補生のひなちゃんが、木工にも興味があるということで、今日はまなみさんと二人で生木での皿作りのワークショップへ参加した。
自分たちが体験してよかったものはすべてSubakoのカリキュラムにへと取り込まれる。

岐阜は木工が盛んな土地であるが、Subakoに取り入れるという事情を鑑みると、前時代的な古臭さを漂わせているものやインスタントな大量生産系の作業場は向かない。今の十代の子供たちが気に入ってプライベートでも木工に取り組みたくなるような、そんな新鮮でまざまざとした魅力が必要になる。

まずは「ESPRIT」長良店でのミーティングに向かう。
ここではまなみさんが作ったにんじんジュースをパンとセットで販売する打合せである。クロワッサンが常温だと割れるとかこうすれば割れないとか、そういった話が上がる。
仮名ではあるが「ハッピー朝食セット」という名前に無農薬の人参ジュースとおいしいパンを合わせて売るのに、クロワッサンが割れていては悲しい。
生産者や提供者は、自分のように「まあ食えるからいいか」とはならないのだ。

やわらかくやさしく、そしてどのパンもかわいい

一、二時間を想定していたミーティングはさっと十五分ほどで済んだ。無駄な話はなく必要最低限で決まり事を作って即退散。
お互い行動力があって仕事ができる人のようだ。無駄のない会議は見ていてどこか胸が空くような爽快感がある。

そのあと米原の「スーパー生木ラボ」へ移動する。
岐阜から一時間半ほど、集合時間は一時だったが十二時前に到着してしまったため、近くの水場で暇をつぶす。

十分ほどで泉神社湧水へ。

普段の飲んでいる水が超軟水なせいかちょっと硬く感じた

鳥居の横に無人販売があったので、のぞいてみる。

そう思って歩き出したら木からすごい勢いで落下した枝が前方に着地した。まるで誰かが投げつけたような速度とタイミングだった。
どうにもわかりやすいサインだったが、当時の自分にはわからなかった。

色見のきれいなお野菜を買った。おいしそう

結論から言えば、落下した枝の意味合いは、泉神社ではなく醒ヶ井で水を汲めだったと思われる。
飲み込んだ水や食べ物が食道を通ってそのまま腸へ落下する経験を何度かした。そしてそのどれもが自分の体に合わない食べ物だった。体はすぐに体外へ排出する準備に入っているのだ。
しかし自分の体に必要なものは体全体に巡るような感覚が訪れるのだ。

面倒を嫌って水に妥協したせいでその日一日は随分腹痛に悩まされた。
という経緯の中、腹痛で頬を引きつらせてお皿作りへと向かった。
三分前に到着というぴったりの時間調整。

今日は「スーパー生木ラボ」さんのワークショップへお邪魔する。
使うのは桜の木。手触りがすべすべしてやさしい。

黒いのはお皿の揺れを止める緩衝材
左手は彫刻刀の前に出さない


自分のは細く浅い


まなみさんのは深く太い

自分のお皿は常に「木」側にフォーカスがあったと思われる。
対してまなみさんのお皿には「掘ること」にフォーカスがあったと思う。皿を掘って作りにきたと、自分の皿を作りにきた。
意識の違いが彫刻刀の動きを変えていると思われる。

通常木工に使う木は乾燥させるらしいのだが、ここでは生木を使う。生木は割れやすい。
加工して完成した後は、紙袋などに入れて一週間ほど乾燥させ、そのあとにオリーブオイルなどで馴染ませる工程が必要らしい。
そういえばまなみさんが持っているオリーブの木でできたまな板もそうやって手入れしていた。

ワークショップをご一緒させていただいた女性二人も黙々と彫刻刀を動かしていた。

だいたい作業の四割くらいが終わった

そもそもだいたいの成形が終わっていて、そのままでも皿では?くらいの状態のものを削っているため自分はあまり深くえぐる気にならなかった。凹凸があるほうが手作り感があっていいというくらいの動機で削っていた。

一方まなみさんのお皿は均等な掘方で、太く掘るため凹凸が減り触りがなめらかだ。自分もこんな掘方をすればよかったか。

ほぼ完成された自分のお皿

真ん中にくぼみを作ることがこだわり。奥の木くずは、まなみさんの燻製チップに利用される。

上が自分左がまなみさん。

完成品はだいだいどれも似通ったものになるだろうと思っていたが、こんなにも個性が出るとは思わなかった。素敵な雰囲気だ。

天然酵母のパンを置いて先生の皿を撮影。インスタ行きだなこれは。
全員の皿を撮ってみる

掘ったところもまた掘るので、終わりがない。もう完成でいいか、とお茶を飲んでいると気が付けば席で彫刻刀を持っている。
「終わりがないわ」などと談笑していると、二時間半ほどかけてついに皿は完成した。
自分の皿は素材の良さを邪魔しないことよりももっとかわいくしてやるくらいの気持ちで削ればよかったかな、などと反省した。
削り取った部分は死んだわけではなく、またチップとして最後まで活躍するのだから。

そのあとご一緒した女性二人は帰宅し、自分たちは先生の作業場を見学させていただく。近くのチップ工場から買わせてもらっているらしい。

すごい量の木だ
次々と出てくる作品。
樹齢八十年のさるすべり。なにに利用されるのだろう。

チェーンソーと彫刻刀、あと今回使わなかったがサンドペーパーさえあれば、Subakoの子供たちにも実益を兼ねた趣味としての木工は実現可能な項目であるといえる。何より自分ももっとお皿やコップを作ってみたい。



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