合わない人と合わせる必要は無い
こんにちは
ワイマニです。
やはり今年も波乱の年になりそうです。
この2〜3年は、自分が小さい頃思い描いていた人生と真逆の人生を歩んでいて、まぁ面白いですね。
さて、今日も自分の考えをブログに書いてみたいと思います。
異論・反論共にwellcomeなので、何かあれば何でもご意見下さい。
誰にでも「違和感のある人」の一人や二人、いますよね。
職場で「ああ、この人とはなんとなく合わないな」という、あの感覚を感じる人です。
そして、違和感のある人と同じ職場で働くのは本当にストレスですよね。
「会社はお金を稼ぐ場」と割り切っている人と「会社は夢をかなえる場」と考えている人が共存するのは無理なわけで。
例えるなら少年野球チームで「勝ちたい」と考えている人と「楽しくやりたい」と考える人が上手くいかずに対立するのと一緒ですね。
会社もまぁ全く同じだと思います。
さて、そんな時どうすれば良いかって話なんですが、そこで私は二つの考え方があると思っています。
一つは、合わない人でも、自分の成長のために頑張って付き合ってみよう、という考え方。
そしてもう一つは、合わない人とは、そもそも付き合う必要が無い、という考え方です。
そして私自身は間違いなく後者だと思っています。
なぜ後者を支持するのかと言うとですね。
「合わない人と無理して付き合う」ということが、本質的に無駄であり、かつ、そこから得られるものがあまりにも少ないからだと思っているからです。
それに対して、そんなことはないだろう、嫌なことから逃げているだけではないのか、というご意見も勿論あるかもしれません。
でも、私はそう思わないんですよね。
複数の会社を転職して感じたことは
「合わない人」と仕事をするのは、お互いに成長どころか時間の無駄でしかない、という事実です。
えっと、勘違いしやすいのですが「合わない」と「嫌なことを言う」とはイコールではないと思っています。
厳しく、嫌なことをいう人でも、合う人はいます。
その場合は「あの人、嫌なことを言ってくれるけど、まっとうだな」と感じるんですよね。
でも、合わない人には、何を言われてもそもそも響かないんですよ。
言っていることも、ひたすら空虚に聞こえるんですよね。
そして最終的に「この人は結局信用できないな」になるんですよ。
付き合いが長くなると
本能的に「この人は、信用できそうだな」という判断が誰でもできるようになります。
子供ですらできると思っています。
合わない、というのは本質的に「この人物は、用出来ない」というシグナルを感じ取っていると考えていて、無理して付き合ってもそれが解消されることは稀だと思っています。
自分が相手に対して、まっとうではないな、信用出来ないな、と感じた人と無理して共存する必要はないと思っています。
それは努力の問題ではないと思っています。
思想の問題、考え方の違いに起因するものであり、解決不能だと思っています。
さて、今日は何でこんな話をしているかと言うと、まぁ最近よくこんな人に出会うことが多いからでしょうね。
自分と合う人と楽しく暮らしていきたいもんです。
それでは今日はこの辺で。
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