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オタクのはなし

ちなみに同胞・日番谷に謀反がバレて「殺す」と言われた際の一言である。面の皮が厚い。

…と、冒頭「強い言葉」を使ってしまいました。
よもやネットに生きる人々で知らない人はいないと思いますが、漫画『BLEACH』の登場人物・藍染惣右介の台詞です。
その汎用性の高さから、この画像がそのまま使われたり、はたまたコラージュの素材になったりと比較的ネタ寄りの扱いを受けているこの画像ですが…
皆さんも、たまにこれに近しい感情を抱くことありませんか?

わたしはあります。
好きなものを眺めるために作ったアカウントで、ツイッターのタイムラインを見ていると、たまに見てるこちらがドン引きするほど強烈なツイートに出くわすことがあります。
その度にある一つのことが頭に浮かぶのです。
「全員とは言わない。だけれども一部のオタクに足りないのは中庸の概念ではなかろうか」
もちろん自戒も込みでです。わたしも未熟ゆえについ熱くなって、心のバランスを失ってしまうことはあります。
ただ、それにしたって、あまりにも客観的な視点やロジカルな思考回路を失い、負の感情剥き出しにした「オタクの言動」はちょくちょく見かけるのです。
自分にも他人にも警鐘を鳴らす、そんな意味で今回は文章を書こうと思います。

わたしはモノノフでありながら、麻雀打ちでありKONAMI麻雀格闘倶楽部のファンでもあります。
「ももクロ」と「Mリーグ」、この2つのコンテンツからそれぞれ1個ずつテーマを出してお話をしていきます。
モノノフの皆さんにも、そしてMリーグ視聴者の皆さんにも是非読んでほしいです。
お互い、片方の話は対岸の火事に過ぎないでしょうが、「対岸の火事にしっかり目を向ける」こともまた心の中庸を取り戻すために役に立つと信じています。

【追記】
本稿の大半は2022年初夏に書かれたものです。
臨床医学の試験とCBT, OSCEが迫るストレスでゴリゴリに先鋭化した思想剥き出しの文章で、お蔵入りも正直考えました。
しかし、わたしの主張の核心は今もさほど変わりはしないですし、フォロワーの皆さんにはぜひ問題提起したいこともありましたので、修正や加筆を加えて公開に至りました。
どうぞお手柔らかに…。

中庸とは

・どちらにも片寄らないで常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。中正。中道。
・ アリストテレスの徳論の中心概念。理性によって欲望と行動を統制し、過大と過小との両極端の正しい中間に身をおくこと。たとえば、勇気は、理性によって明らかにされた具体的な事情を考えた上で、卑怯と粗暴との中間であるとすること。

コトバンクより

【ももクロ】禁じられた色

さて、まずは「ももクロ」の話をしましょうか。

具体的にどんな話をするか、タイトルで分かる方は分かるでしょう。
そうです、「緑色」の話です。
これももはや言うに及ばぬことと思いますが、一応ももクロに何があったのかサクッと説明しておきましょう。
今ももクロのメンバーは4人います。ところが怪盗少女でバズった時、ももクロのメンバーは現行の4人以外にあと2人メンバーがいました。
青色担当の早見あかりさん(以下、あかりん)と、緑色担当の有安杏果さん(以下、杏果)です。
ここから2011年4月にあかりんが脱退(時を同じくして「ももいろクローバー」から「ももいろクローバーZ」に改名)し、そこから5人のメンバーで紅白歌合戦への出場や、女性アイドル史上初の国立競技場でのライブなど成し遂げていき、国民的アイドルとしての地位を確かなものにしていきました。
そうして迎えた2018年の初春、モノノフに激震が走ります。
10周年を目前に、杏果がももクロからの脱退を発表したです。
そこからあれよあれよという間に5人で行う最後のライブが終わり、ももクロは10周年を迎えるより4ヶ月前に4人のグループになってしまいました。

ではそこから青と緑はどんな扱いをうけたのか。
最初は確かに青も緑も、そこにはありました。「Z伝説〜ファンファーレは止まらない〜」ではどちらの存在も示唆するような節がありました。
でも、いつの頃からかオフィシャルな動画や配信では、まるで「緑だけが抹消されたかのような」雰囲気ができていました。
理由は割とハッキリしていると思います。杏果の色恋沙汰があったからでしょう。
杏果は脱退から1年ほど経ってから芸能界に復帰し、まもなく2回りほど年上の精神科医との結婚が報じられました。
まあ運営の立場に立ってみれば、10周年という最大のイベントを目前に肩透かしを喰らい、今までクリーンな雰囲気を作っていたのに、超年上の男性で、しかも医者と患者の関係からの結婚なので、ある意味顔に泥を塗られたという見方をされても全然おかしくはないと思います。
それでも、さも有安杏果なんてメンバーは初めからももクロにいなかったかのような扱いにはさすがに違和感を覚えざるをえません。
そのスタンスでいて、いわゆる「ももクロ界隈」はあかりんのことは結婚・出産含め全肯定ですから、諸々大人の事情があると頭では分かっていながらも、今もどこかモヤモヤを抱えています。

こんな私の感情なんかどうでもいいんですよ。
問題は、その一騒ぎから3年経とうとしてる今、事実とどう向き合うか、どう解釈するかです。
ももクロは今、新アルバム『祝典』を引っ提げて全国ツアー真っ最中です。
そんな中で浮き彫りになってきて、ツイッターでも話題になっているのが「今も尚、緑のペンライトをライブ中に灯すのはアリ?ナシ?」問題です。
私見なんかどうでもいいと言いつつ、わたしがこれをどう思っているかを申し上げますと、ナシ一択です。
今を肯定できないほど悲しいことってないじゃないですか。
もちろん、杏果がいた時代のももクロだって好きだし、それを否定することはわたしの中では絶対にないでしょう。
それでもわたしは、いつだって「今のももクロが1番いいんだ」と胸を張って言いたい。
槇原敬之も歌っていたように「“昔はよかったね”といつも口にしながら生きて行くのは本当に嫌」なんですよ。
究極的には「遠い過去なんてどうでもいい」と言えることが、モノノフとしてpoliteな在り方なんじゃないかなと思います。

ただ、今を肯定する≠過去を否定する、ということだけは強く言っておきたい。
これが、わたしの考える中庸の一側面です。
というのもわたしが見かけたものにこんな趣旨のツイートがあったからです。
(※ツイートそのものは掲載しません。許可を取るのも面倒くさいですし、誰かを名指しでdisることが本文章のねらいではありませんから)
「緑はわたしたちモノノフをあからさまに裏切った」

…は?ってなりますよね。
ある意味、この世で同じものを見ていてもここまで理解の範疇を超えた解釈をする人がいるんだなあ、と勉強になりました。
確かにももクロからの脱退や、現メンバーのことではないとはいえ週刊誌の餌食になったことで、ももクロ側が不利益を被ったことは否定できません。
でも、自分の進退の決定や婚姻といった基本的人権の行使すら「裏切った」扱いになるのなら、それはもはやアイドルではなく、奴隷に向けた態度ですよね。

最近のももクロは、これまで以上にメンバーの恋愛・結婚を肯定する空気感になりつつあります。当然のことですよね。
だって、晩婚化著しいこの日本ですら女性の初婚年齢は平均でおよそ29歳ですよ。
つまり、単純計算でれにちゃんの世代の女性のおよそ半分はこのタイミングで結婚しているということです。
結婚するなという方が遥かに不自然です。
そんな中で、杏果がしたことだけは許されないみたいな考え方自体がそもそもダブルスタンダード猛々しく、筋の通っていない考え方だと思います。

みなさんは、もし自分が杏果の立場に立ったらどうですか。
経緯はどうあれ、あくまで1人の人間としてごく自然のことをしただけなのに、それまで応援してくれていた人たちが「あいつはわたしを裏切った」と強い言葉で後ろ指を指され、過去まで否定されたらどうですか。

アイドルはあくまで虚構です。それはどれだけこちら側に思い入れがあろうが変わらない事実です。
虚構を自分の思う通りに、自分の人生とうまく交わるように捻じ曲げようとする行為そのものが自然の摂理に反しています。

どれだけ自分の好きなアイドルだろうが、必ず自分の思い通りにはいきません。
その「上手くいかなさ」を背信と見做すのは、全くもって正しくない考えだとわたしは思います。
YouTubeのとある動画のコメントにこんな言葉がありました。
「杏果を変に持ち上げるのは違う。だからといって、杏果を腐すのも違う」
これが、モノノフとしてのベストバランスだと思います。

え、まだ納得いかないって?
そんなあなたにピッタリの動画を以下に貼り付けておきますね。

【Mリーグ】残酷物語とどう向き合うか

お次はMリーグについてです。
ここで、ももクロの話よりも一層我々の議論を拗れさせる要素が1個あります。
それは、「明確に勝敗が分かれる」コンテンツだということです。
つまり、麻雀プロは人となりのみならず実力に対する評価も加わるということです。
これを念頭にお話をしていこうと思います。

Mリーグでは一昨年のレギュレーション改訂により、「同じチーム編成で2シーズン連続でファイナルに出場できなかった場合、メンバー入れ替えを要する」という制限が新たに課されました。
このレギュレーションにより、窮地に陥ったのがU-NEXT Piratesです。
(2020シーズンで同様にファイナル進出を果たせなかったセガサミーフェニックス、TEAM雷電、KONAMI麻雀格闘倶楽部はメンバー入れ替えを実施したので適用外)
背水の陣で挑んだ2021シーズン、パイレーツはレギュラーシーズンを1位で通過することに成功しますが、続くセミファイナルシリーズで大きく失速し敗退寸前まで追い込まれていました。

残り2試合となった、セミファイナル15試合目、登板を任されたのは、「黒いデジタル」石橋伸洋プロでした。
石橋プロは2019シーズンのセミファイナル・ファイナルで大活躍し、パイレーツを優勝シャーレに導かれた2番目のチームへと仕立て上げた立役者です。
4着を引くことが絶対許されない中、石橋プロはどうなったかと言いますと…
終盤・南3局(親番)までは微差ながらもトップでゲームを運んでいましたが、トップを確定させるために落とせない親番で
同じくセミファイナル敗退がかなり濃厚なライバル・EX風林火山の松ヶ瀨プロの跳満(12000点)の手に振り込み、一気に「絶対取ってはいけない」4着へと転落してしまいます。
麻雀は4人全員が25000点を持ってスタートするので、ライバルと24000点差をつけられ、残り一局でそれを捲ることは至難の業です。
結局、石橋プロは4位からは浮上することはできず、最後の1試合でもファイナル進出への条件を満たすことなく、海賊船は沈没していきました。
そして先日、2021シーズン限りでの石橋プロ、そして同チームの朝倉康心プロの契約満了が報じられました。

とここまで話を読んで、非Mリーグ視聴者はこう思ったはずです。
「問題点が見えない」と。
実は石橋プロはMリーグ創設以来4シーズン連続で、レギュラーシーズンは派手に成績ではマイナスを叩いており、パイレーツの他メンバー3人に大きく後れを取り、2020シーズンで敗退が決まった際には「クビ筆頭候補」とまで揶揄されるようになりました。
つまり、石橋プロはまさに自分の進退を決するため、絶対に負けられない闘いに挑み、最悪の結果を残してしまったことになります。
わたしはこの試合をリアルタイムで見ていましたが、そういう事情を分かっているがゆえにさすがに見ていることが居た堪れなくなりました。

Mリーグでは、試合終了後、1着と4着にインタビューするコーナーがあるのですが、
4着を引いてしまった石橋プロは、インタビュアーの松本圭世さんに話しかけられた途端、涙が止まらなくなってしまい、震える声で無念を語り、そして最終戦に微かに残った希望をチームのリーダーたる小林剛プロに託すという一幕がありました。

あまりにも試合自体が見ていて辛いものだったので、わたしはインタビューを生で見ることはできず、あとでツイッターに出回っていた動画で見ることになりました。
第一感としては、「その感情、その無念よくここまで抑えれたな。やっぱりプロなんだ」でした。
全く同じ立場になったなら、わたしは跳満振った時点で既に泣きながら麻雀をしていると思います。
というか頭の中真っ白になって麻雀どころじゃないですね。
プロだからある意味当然なのかもしれないですが、残された最後の1局で感情に揺さぶられずに、僅かに残った可能性の実現に奔走することができるメンタリティを人として見習いたいものです。

問題はここからです。
この石橋プロの涙を見て、「感動した」という表現をする人々が一定数いたこと、
その一方で「過去の石橋プロの成績を鑑みてある意味自業自得と言わざるを得ない」と状況を冷ややかに見つめる人々もまた一定数いたこと、
後者に対して前者が激しい非難を加えていたことがありました。

わたしはどちらとも言い難いですが、強いて言うなら後者派です。
そもそもあの場面に出くわして「感動」とはなんぞや、と思っちゃうわけですよ。
こういうことを言うと、ご丁寧に「感動」の辞書的定義を持ち出して反駁を試みる方がいらっしゃるかもしれませんが、わたしはあくまで一般的な文脈の中で話しています。
障害を克服した人々の軌跡や、悲願の成就などといった場面で多くの人は感動しますよね。
少なくとも感動という言葉は、正の感情の表出に対して使われるものでしょう。
それと同じ言葉を人の無念に向けて憚らないこと自体が、わたしにとってはてなマークです。
ましてや、わたしと同じように「感動」を解さない人間を激しくこき下ろすような感覚は本当に理解に苦しみます。
「感動ポルノ」という言葉がこれほど似つかわしい場面もそうそうないでしょう。

無念は無念のまま、深い悲しみとして受け取りませんか。
「感動」という言葉で、そこにぶっきらぼうに光を照らすことをわたしは認められません。
闘いには勝者と敗者が存在し、敗者は涙と深い悲しみとともにその場を去るものなんです。これが自然にあるべき形です。
ここにシニカルな目線を送るのはまだ、「自然の形」の見方とできますが、「感動」と無理に銘打って、それを他者に押しつけるのは本当に自分の世界の外側がまるで見えていないんだなあと思います。

大切なのは、界隈を「俯瞰する」こと

最近もう1個話題になっていることが、「女流麻雀プロの追っかけ・写真撮影」についてです。
この世の中には麻雀プロ生業とする女性に粘着し、あわよくば卑猥な写真を撮ってやろうと考えているモンスター共が残念なことに跋扈しているのです。
まず、わたしのスタンスをハッキリさせておきましょう。

気持ち悪いの一言に尽きます。そんな体たらくだから、いつまで経っても麻雀打ちもオタクも白い目を向けられ続けるのです。
全くもって人間としてのバランスを欠いた、唾棄すべき行為と言えるでしょう。

わたし以上に遥かに弁の立つ方々が、この件についてはド正論をかましてくれているので、これ以上、件そのものについて言い及ぶのはやめておきましょう。
最後に一つ言うとすれば、わたしはこの出来事を知り「わたしの嫌いなオタクはまだ絶滅していなかったのか」と呆れかえる思いになりました。


わたしは、ももクロにハマる前、オタクのことが嫌いでした。
偏見も偏見ですが、汚い顔面を臆面もなく晒し、チェックの襟付きシャツをインしてジーンズを履き、一方通行の愛を見境なく自分の「推し」にぶつける姿が想起され、心の底から嫌悪していました。
そして実際にわたしがオタクになった時は、そう思われないかという怖れを胸に抱えてたし、周りの人間にも「とうとうこいつもそういう人種になったか」という目で見られていたと思います。

でも今はどうでしょうか。モノノフの皆さんも、Mリーグをこよなく愛する麻雀オタクの皆さんも、自分がオタクであるということに恥じらいを感じることは滅多にないでしょうし、矜持すら感じていると思います。
それは、そういうファンがつく人々が自ら、そしてただそのコンテンツの発展を願う善良なオタクが長い時間をかけて、ダーティーな印象を払拭する努力を積み重ねてきたからです。
一般の感覚から乖離せず、人間としてバランスの取れた人たちによってそういったものが作り上げられてきたことを証明しているからこそ認められているのです。

ももクロであれば、田中将大投手をはじめ、著名人がファンであることを公言することでや、黎明期にモノノフの「他のアイドルオタクとの相違」を強調することが大きな効果を持っていたと思います。
「会う」ことに媚びない姿勢を貫き実力で存在感を示すももクロと、彼女たちの誠意に応えるモノノフの両方が認められて、あえて強い言葉を使うとすると、わたしたちは「市民権」を得られていると思います。

Mリーグ、ひいては麻雀業界だってそうです。
不健康で退廃的な、麻雀のイメージを覆すためにMリーガーや、彼らを支える大和証券、朝日新聞、サイバーエージェントといった大企業が奔走することで、今ここまでの地位を築き上げていると思います。

女流麻雀プロの尻を追いかけ、他を顧みない迷惑行為に走る下品なやつらは、
そういった麻雀業界の、ひいてはオタクの努力を私欲のために平気で踏み躙る「文明の破壊者」と言えるでしょう。
あえて炎上しそうなことを言うとすれば、そうやって人の感情や努力を蹂躙する人間に与えられる市民権などない。

そもそも論ですが、相手の立場になってみれば、
望まれない出待ちをされたり、
自分の職業を盾にセクハラ紛いの言動の餌食になったり、
はたまた自分に何にも悪意がないにも関わらず完全にあっち側の都合で貶められることなんか嫌に決まってるんです。
「自分の嫌なことは相手にしちゃいけない」という大原則は幼稚園児でも理解していることですから、もはや中庸とかそういうこと以前の問題なのかもしれません。
そんなことすら分からない人間の存在は、集団全体の価値を貶めかねません。

どんな人間であれ、他者の視線を少なからず背負って生きているし、その視線はわたしたちをすり抜けて所属する集団に向かっているものなんだ、ということを肝に銘じて生きていきたいものです。

最後に

ここまで、2つのジャンルのオタクを掛け持ちするわたしの思うことを話してきました。
執筆してて少し熱くなってしまったところもあると思いますが、ご愛敬ということで。
特に最後の追っかけの話なんかは、麻雀プロに限らず、いわゆるアイドル性を孕んだコンテンツが永遠に向き合っていく問題だろうなと思います。
たまーにモノノフでも「それよくツイートしようと思ったな」と引いてしまう、常識外れな発言をされる方もいらっしゃいますし。

我々が忘れてはならないのは、自分たちは、その分野のオタクじゃない大勢の人たちと社会で共存していること、そのマジョリティに認めてもらえてこそオタクであると言うことです。
そして、社会から爪弾きに遭わない為には、「この発言がもし関心のない人の目に触れて、コンテンツの社会的価値に傷をつけることはないか」と常にアンテナを張って、中庸を保つことがとても重要だと思います。

この文章は全て未来の自分への戒めも強く含みます。
ももクロのメンバーの結婚・出産KONAMI麻雀格闘倶楽部の没落、といったような、わたしの心を揺さぶるようなイベントはいつ起きてもおかしくないのです。
その時に、わたしが今回批判した人々と同じ振る舞いをしないか、そこにらっくすとーんの人間力が試されると思います。

【追記】

文章ってのはサッと書くもんですね。
ダラダラと書いていると、いつまで経っても書き足したいことばかりが膨らんでついつい文章量が延々と多くなり続けてしまいます。
この文章ももはや10000字超えるんじゃないかって勢いです。
というわけで、追記です。

このセクションを書いているのは8月末。
この時期、「櫻坂46のファンがライブ会場付近のガストに無断駐車を行い、それで地域住民にブチギレられる」という事件が起こりました。

煽り成分マシマシでお届けしてます。

まず、大前提として、無断駐車は良くないです。
だって、本来の目的で使いたい人が使えなくなるんですから。
その点、櫻坂46のファンに限らず、ライブに車で行く人たちは重々弁えておくべきだと思います。
そして、かなり煽りを含んだ文章とはいえ、オタクという名のカラーギャング相手に、ここまでハッキリと、かつなるべく情に流されない冷静な警告を行なっている書き手も、勇気ある大人なんだなと思いました。
問題はここからです。
よせばいいのに、この事件に一部のモノノフが便乗して、これよりももっと大人気ない方法で櫻坂ファンを煽り散らかすという珍事を目撃しました。
本当にやめてほしいです。
この件についてポロッとツイートをしたところ、煽っていたご本人様から盛大なお気持ち表明をいただきました。
わたしの心の中の粗品が「お前のこと誰が(ry」と喚き散らしていましたが、そこをグッと堪えていました。その鬱憤をここで浄化していきたいと思います。

ご本人様は「ひらがなとカタカナを作った文章で注意しただけで何が悪い」と清々しいまでに開き直っていましたが、そんな甘えた考えに一言。
これが煽りかどうかを評価するのは作った当の本人ではなく、それを見た人たちです。
「煽ったつもりじゃなかった」なんて言い訳や開き直りは一切通用しません。

閉じた界隈の中にいると、この世界はモノノフだけで構成されておらず、むしろそうでない人間が大多数であることをつい忘れがちです。
そのマジョリティの視線には敵意はあまりないですが、特別な好意や忖度もないです。
そのような人たちが見たらどう思うでしょうか。
彼らは、こちらの振る舞い次第でわたしたちに好意を向けることもあれば、敵意を剥き出しにすることもあるでしょう。
「数多くの『じゃないほう』の人々の中にいるオタクであるわたしたち」ということを時折思い出すことも大切だと思います。

【追記2】2023年8月

以上の文章を書き終えてから、およそ1年以上の時が経ち、その間に状況は目まぐるしく変化しました。

まずももクロ界隈。
現役メンバーが結婚し、それにまつわることでモノノフの中でも議論が交わされました。
そのことに関するわたしの言い分は、別のnoteに詳細に書きましたので是非ご覧ください(唐突な宣伝)。

そしてさらに時は経ち、ももクロは結成15周年を迎えました。
まさに15周年当日の2023年5月17日、このようなツイートがTLに舞い込みました。

…泣かせるやん???????
もうお互い交わることはないのか、という絶望感にも似た感情を5年間抱え続けた我々にとってまさに僥倖。今まで心の中に巣食っていた冷たいものが一気に解けていく感覚を覚えました。
それに呼応するかの如く、ももクロ側も徐々に「杏果のいた歴史」を見せるようになってきました。
「いちごいちえ」のMVでは4色のサイリウムの中に青色と一緒に、確かに緑色はそこにありました。
さらに15周年ツアー「QUEEN OF STAGE」の演出として用いられた過去の映像には杏果もガッツリ映っていました。
今の4人が主役ではあるので、青も緑も今ほど主張が激しくなることは正直もうないと思います。それでいいとも思います。
しかし、昔ほど不自然に「緑を排除する」ことがなくなり、そこに雪解けを感じてわたしは一モノノフとして嬉しく思うばかりです。

麻雀界隈は…そうですね…色んなしょーもないことで常に騒いでますね。
あれから1年。正直わたしはKONAMI麻雀格闘倶楽部への熱はかなり冷めてしまいました。
後になって気づきましたが、わたしは正直「強いコナミ」が好きだったんです。
でもそれって多分健全な形の愛じゃないんですよね。
どれだけ落ち目でも、どんなに苦しくもがいていても応援できる、というか逆境に立たされるほど、推す気持ちが燃え上がるのが本当の「推し」なんだと思います。ももクロはそうです。
ことMリーグに関して言うと、KONAMIにそんな感情はわかず、むしろ
箱下40000点の地獄を見ても折れずに戦い続けた渋川難波選手(KADOKAWAサクラナイツ)や、
沈むチームを救うため、マイナスを叩く他の3選手を1人で支え、最後まで「できることは全部やる」の精神を貫いた園田賢選手(赤坂ドリブンズ)
に対して、応援する気持ちが高まるばかりです。
あとはまあ、言葉を選ばずに言うと「ファミリー」の空気感もあんまりわたしの肌には合いませんでした。
勝てば実力のおかげ、負けば相手の豪運ないし自陣の不運のせい、こんなスタンスにどうしても違和感を覚えずにはいられません。
…本筋から脱線しましたね。
なんか麻雀界隈って、どっちの派閥とかいう話じゃなくて全体的に、日に日に先鋭化していってますよね。
界隈の外の人間には甚だわからない思想を尖らせて、永遠にXに投稿し続けて…
正直これでは、「熱狂を外へ」のスローガンが成し遂げられる日は永遠に来ないんじゃないかという気がしてます。
まあ、ニッチな世界も悪くはないものですけどもね。

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