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おかあさん(義母)ってさぁ

ちょっと だけ
いや もしかしたら だいぶ?

私の ぶっちゃけたいこと 
ここに つぶやきますね

同居してもう32年です
実の母よりも 長く一緒にいますから
実母よりも 義母のほうが ほんとうにおかあさんかもしれない


おかあさんは
家庭菜園を40年近く継続しています

植物を育てるには
栄養のある土壌
水やり
などなど

本当に大変です
年間で 植物カレンダ-も必要

夏は暑いから 日があまり出ていない朝5時前には 畑に行って
水やりをします 雑草をぬきます
肥料も追加したり 

家庭菜園は 家から自転車で15分ほどのところにありますが
平坦な道じゃなく 上り下り坂が 続きます

若いうちは たいした事なかったけれど
80を過ぎたら 足腰に響きます
一緒にやっていた 家庭菜園仲間も
さすがに体力に自信がなくなって
おやめになる方もちらほらいる中でも

わたしのおかあさんは まだ現役です

同居したころは おとうさんがいたから夫婦でやっていました
私たち若夫婦は 手伝うのは 水運び程度で
何もしません

なぜかって?
とてもこだわりがすばらしいんです
おとうさんが やったことにも
いちいち難癖をつける
自分がやったことなのに
おとうさんが こうやっちゃったからとか

まぁ自分がやったことにもとても完ぺき主義なので
必ずできた作物にも
「まがりきゅうりになっちゃって  なんだかお粗末
おいしくないかもしれない」

ケチをつける

家庭菜園の方からおすそわけで もらったものにも
「あのひと 肥料をやればいいものだと思って
たくさんすればいいわけじゃないのに だから 土が焼けちゃってうまくいかないのよ」「わたしのは かならずこうやってやるから ちゃんと行くけれど」という


いいじゃない 一生懸命作ったのだから

まぁ
向上心があるというか
そうとらえたなら素晴らしいけど

どうして
もっと みとめないのかなぁ

わたしなら
ちょっと
まがっていて形が不ゾロだけど よかったらたべてください
というけどなぁ

おかあさんは
孫の 図工の作品ひとつとっても
まず「じょうずにできたねぇ」って一言ほめてもらいたかった

それもみんな ここがこうだったら よかったねと言っちゃう人

負のオーラがバチバチしている

何が たのしいのかなぁ
相手を喜ばすことって ないよなぁ

おかあさん
例えば 台所で 煮物を作ったとしよう
作っている間も
味が変だ といいながら 調味料を手当たり次第鍋に入れていく
味はもちろん濃くなる

そうすると
必ず言うのは
この調味料がいつもと違うからだ

確かに調味料もメーカ-によっては ちがうかもしれない
でもそんなに 変わらないよね

ぶつぶつ言いながら作るものは
おいしくならないような気もするんだよね

出来上がった時に
ちょっとうまくできなかったけれど
お口に合うかわからないけれど
よかったら
食べてって
言ってくれないかな

先ほどの畑の仲間のひとのはなしに戻るけれど
人よりも 自分がうまくいくことが
命なのだ

完璧主義で

それはわたしにはないから
見習わなければならない部分だけれど

自分が一番でなければならないこの人は
幸せなのだろうか

きっと幸せはないと思う

おかあさんが 会社で事務員として働いていた時に
少しお母さんより若いかたと一緒に仕事をしていてね
その方にも 私の夫より少し若い息子さんがいて

よく行き来していたような気がしたの
私たちの結婚お祝いにと プレゼントをいただいたりしていたの

その方が 仕事の途中で体調を崩し
実は脳梗塞になっちゃって

会社の方がそれぞれお見舞いに
行って おかあさんもいこうとおもったら
おかあさんだけは来ないでくれと言われたと
そしてそのあと
その方が亡くなっちゃったんだけれど
もちろんお葬式も おかあさんだけは行かれなかったの

憶測でしかないけれど
完璧主義な おかあさんは きっと
同僚のその方にも 同じように接したのではないかな
わたしが 時折感じていた
おかあさんの ちょっと した所作言動


周りの人を幸せにしたいという気持ちがなくて
自分を幸せにすることができるのだろうか

いつも
おかあさんの 言動で
こころが揺れる私は 
おかあさん 気が付かないことは 不幸だね

自分本位で いられることは幸せですか?