メガネって非常食なのですか?(読書感想文)
意味不明なタイトルにも関わらず、遊びに来てくださってありがとうございます。(口調は迷ったのですが、いろんな方を想定して敬語に落ちつきました。)
本当は「よろしかったでしょうか」について語るつもりだったのですが、急遽メガネの可食性について語らねばならなくなったので、今回は意味不明なnoteになることをここに誓います。
事の発端は、元大学生同士で「絵本」について議論していたときでした。え、なんで大学生が絵本について語るか?トレンドなんです。今の大学生の。(大嘘)どんな会話だったかというと、fはfriendのf、mはmeのmを現します。
f: 「そういえば、小さい頃メガネ天ぷらにしてしまうウサギの絵本あったな」
m: 「どういう事やねん」
f:「てことでメガネは食べれます笑」
m: 「どういう事やねん」
という感じでした。
本当にどういうことなのでしょうか。わかる人がいたら教えていただきたい。
でも、分からないこと、気になることをそのままにしないことが、学びの基礎的な姿勢です。(しまった!こっちをテーマにすれば格好良かった・・・🤦♀️)ということでリサーチしたところ、とある絵本に行きつきました。「おばけのてんぷら」というタイトルの絵本です。あまりネタバレにならぬよう詳細は避けますが、どんな話かというと、「メガネを天ぷらにする物語」です。(絶対作者様にとって不本意な紹介💦申し訳ありません。)
私はこの絵本の存在を知った時、とても衝撃を受けました。
「え。メガネって非常食なんか!」
と。もう私は、メガネをはめている人を見かけたら、非常食を顔にかけている人という目でしか見れません。
まあ、それは大半の人にとってどうでもいい事だと思うんですが、大事なことは「メガネを天ぷらにする」ということに対して疑問を抱いたかどうかだと思うんです。私は最初、上記の事象に対して違和感を抱いてしまって、ついツッコんでしまいました。「どういう事やねん」と。ツッコミとは、おかしなことを指摘する役割。つまり、私は「メガネが食べられる」という事に非常に違和感を感じていたのです。だって、衛生面めちゃくちゃ気になる・・・
ですが、子供たちはどうでしょう。この絵本を読んでもらった子供たちはー。きっと、私みたいに深く考えこまずに、純粋に絵本を楽しむのでしょう。メガネが実際食べられるかどうかなんて、大半の子供たちにとってはどうでもいいことなのかもしれません。
これが私と子供たちの違いか、と私は俄然恥ずかしくなりました。随分と思考が固くなったものだと、そう思いました。
ですが、実際のところは、そう悲観的にならなくてもいいのかもしれません。
知り合いの子供に「おばけのてんぷら」について紹介してみたところ、「え、作ってみてよ!」と純粋なそれはもう純粋な瞳で言われました。
いや、もう、恐ろしい・・・
なんでも好奇心のまま行動に移そうとする子供もいるのに対して、私たち大人は自制心を既に習得しています。したがって、実際にメガネの天ぷらをあげようとする人はいないはずです。そう考えると、メガネが食べられるかに疑問を抱いたことは正しいんだな、て思ました。また、自制心を育むことは、「していいこと、ダメな事」を理解するということでー。やはり、教育って不可欠だなあと思います。
でもまあ、子供の頃と比べていろいろ柔軟性を失いつつあるのは事実なので、そこは頭の体操が必要かなと、個人的に思いました。でも、子供と大人は全く違うので、きっと子供と同じ思考を持つのは無理だし危ない。だから、子供とは違った形式で柔軟性を持てるようになりたい、と思いました。
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言語学的な発言もしなくっちゃ!(既に思考が固い)
友達との会話の時、友達は変なことをいうやつにカテゴライズされてはいたものの、会話はスムーズに流れていました。それは、私が「変なことをいう友達」と「ボケ」に類似点を見つけたからです。だから、私がツッコむことで、会話はごく自然な流れになりました。つまり、フレームに「ボケとツッコミ」を喚起して会話していたんですね。フレームに関しては前に触れましたが、超大雑把に言うと「会話理解のための背景知識」です(言語学専攻の方に怒られそう)
いかに、フレームが会話に必要か、もっと言えば、認知言語学の用語がフレームなので、いかに認知言語学の考え方が私たちの言語に必要かがよく現れていると思います。
ということで、珍しくおあとがよろしいようで!
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