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準備調査ってどうすればいいの?!

 「お前、ここから休み取ったらどうだ?」

 Fさんからお盆休みを取るように言われました。
 「いや、僕は来れますよ。家に一人でいてもやることないし」
 「そんこといったっておめえ、一人で来て何すんだ?俺も統括もいねぞ」
 「あ、そうなんですか。みなさんお休みもらうんですか、それじゃしょうがいないですよね、やる事ないんじゃ来てもしょうがないですよね」
 「んだ」
 「でも、配属されてまだ3週間くらいしか経ってないのに、そんな何日もお休みもらっていいんですか?」
 「いいんだ、いいんだ、会社だって税理士だってこの時期は仕事してないんだから」

 税務調査は会社と税理士の協力によって成立するので、お盆の時期は調査部門はやることがない。
 申告書の収受などをする第1部門の職員は出社するのですが、調査部門の第2第3部門の職員は休暇を取るようでした。
 さすが公務員、休みが取りやすい。バイトみたいな仕事を3週間したら、もう1週間近くの休みをもらえる。なんて楽な会社なんだ。

 そんなウハウハした気持ちで仕事をしていた、お盆休み明けの8月下旬のある日。統括に呼ばれました。
「明日、調査行くから」
 調査?そういえば僕は調査部門でした。
「あ、明日?明日ですか」
「うん。準備調査しておいて」と言って法人ファイルを渡されました。
 席に戻ってFさんに文句を言います。
「Fさん、明日調査なんですね。いきなりですよね」
「そうだな」とFさんは軽く流します。
 ちょっと不満ですが、やるしかない。
「準備調査ってどうやるんですか」
「とりあえず書庫から申告書持ってきな」
「はい」

申告書は極秘資料だし火災になっても絶対に燃やせないので、税務署の一番奥の核シェルターのような分厚い扉の耐火書庫に入っています。僕はその中から、調査する会社の過去7年分の申告書を取ってきました。
「で、この表に売上から経費までざざ〜と並べて書いてみな」
 準備調査の用紙には表があって、数年来の各勘定科目毎の増減を見るようになっています。
「経費はどれを選んだら良いのでしょうか」
「それは自分で考えて、これは『怪しいかもしれない』ってのを書き出すんだ」
「はあ」
 怪しいって言われても、どれが怪しいかなんてわかりません。
 僕はとりあえず用紙の様式に合わせて、過去数年分の売上、仕入、その他経費を書き出しました。
「できました」
「うん。そしたらその数字の横に赤いボールペンで売上との割合とか、仕入との割合とか書いてみ」
「え〜っと、売上で割るんですか?仕入で割るんですか?」
「それは、お前がこれで割ったら怪しいのがわかるのではないかっていうので割るんだ」
「じゃあ、経費だったら売上で割るんですかね〜」
「いや、なんでも良いんだぞ、現金との割合を見いても良いし、借入金との割合を見ても良い」
「はぁ」
 そう言われると、どれで割ったら良いかわからなくなってきました。

 経営分析の教科書を見たりするといろんな割合の出し方にいちいち名前がついて、このナントカ率だと何々が分かる!とか大層なことが書いてありますが、税務署では常に「自分で考えて割合をだせ」と実地で鍛えられます。この時もさらっと言われながらも、実はかなりレベルの高いことを要求されていました。
 でも、新人の僕にそんなことができるわけがない。いろんな割合を出してみましたが、よく分かりません。なんか雲をつかむようなぼやっとした感じです。こんなので何がわかるのかな。

それでまたFさんに質問します。
「準備調査ってもっとはっきり怪しいものが出てきて『これが怪しい』ってやるものではないですか?例えば、この最終期の雑損失とか怪しいですよね」
「その雑損失とかも確かに怪しい。でも、突出した数字を見つけるのはいいけどな、向こうもそんなにバカじゃないんだよ。申告書を作っている税理士だって数字を見ている。怪しいのがあれば真っ先に税理士が社長に質問してるぞ」
「はあ」
「だから『これが怪しい』って決め打ちして行っても、税理士がちゃんと資料用意して待ってて説明がついたりするんだ。そうなるとその後は何もできなくなってしまう」
「なるほど」 
「だから雑損失もたくさんある怪しいものの一つ。でもそれだけではだめだ。もっといろんなことを考えなきゃいけないんだ。広〜く網をはって待ち構える」
「はい」
「大体、準備調査で『これが怪しい』って言ってそれがそのまま当たったら、こんな楽な仕事ないだろう?」
「それは確かに、そうですね」
「実際に社長に会って話を聞いていると、『やっぱりこっちの方が怪しいんではないか』ってのが出てくる」
「出てくるんですか?」
「出てくるんだよ。じわ〜っと」
「はあ」
「だから、調査は決めうちはしないの」


 準備調査に限らず、その後調査においていろいろ質問しても、「いろんな会社がある」「いろ~んな社長がいる」「いろ〜んな不正のやり方がある」といったようにFさんの答えの最後にはいつも決まって「いろんな」というフレーズがつきました。柔軟にいろんなことを考えて試してみろ、常にそう言っていました。
 その後、僕自身が調査の経験を積んでいくと、確かにいろいろなケースがあるなと思ったものでした。そしてFさんの口癖を思い出して、その「いろ〜んな」と伸びたところに、この道30年の経験がこもっていた事に気がつきました。

 Fさんの指導のもと準備調査が終わりました。これまで単なる数字としてコンピューターに入力していた申告書の数字が、準備調査においては売上の増減など各項目の変動から業績変化の背景を想像し、その中でどんな項目が怪しいか、というように数字の意味を考える必要がありました。でも、そんな芸当は調査のしたことのない新人の僕には無理で、とりあえず体裁だけは整えましたがほとんど何も分析できていません。分析ができていないので焦点が絞れず、調査で何を見たら良いか分かりません。不安が募ります。「調査ってなにやるの?何をすれば良いの?何を見れば良いの?」とぐるぐる考えてしまいます。
 それからずっと上の空でソワソワしながら仕事をしていました。家に帰っても明日は何すれば良いんだろうと調査のことばかり考えています。その日は緊張で夜寝られず、朝になってしまいました。

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