見出し画像

村上春樹と村上龍の一番好きな小説


昨日まで大部いろいろな事を詰めて書いて来たので、今日は少し息抜きで、一転小説の話です。

私は若い時は、小説は余り読みませんでした。特に日本の私小説は駄目で、本は沢山読んでいたのに小説は殆ど読みませんでした。その頃、よく読んでいたのは日本の現代詩でした。鮎川信夫、黒田三郎、吉本隆明、という荒地の人達の詩と当然ながら、そのあたりの詩論も良く読みました。詩論では<原野の渇き>北川透さんなどの詩論は貪る様に読んだ覚えがあります。

結局、その後、学生演劇をやり始め、無駄な8年間を過ごすことになるのですが、(笑い)その頃も演劇関係の本はよく読みましたが、小説は殆ど読みませんでした。その中で私小説は全く読んでいません。だから太宰治等とは全く無縁だし、今も殆ど関係ありません。時々、太宰治様という太宰フアンの声をきいたりするとそんなものかと思い過ごしてきました。

所が、大ニュースが入ります。ある日新聞の朝刊に<風の歌を聴け>の宣伝が一面に近い大きさで載っていました。それは朝だったので、その日の帰りに<風の歌を聴け>を買い、続けて3回読んだ事を覚えています。

そこには日本の私小説と全く違う世界がありました。多分自分達の小説だと思えたのだと思います。それから春樹さんは<1973年のピンビール>・<羊を廻る冒険>等を立て続けに発表します。

どれも日本の私小説とは全く違う小説でした。ここまでの春樹さんの小説を初期の3部作と言っていますが、間違いないと思います。春樹さんはここで自分の小説のスタイルを作り出したのです。

そして私の大好きな<ダンス・ダンス・ダンス 上・下>が出版されます。私はこれを今でも、何処へ行くのにも良くもっていきます。初期の3部作のイメージを残しながら、春樹さんは自分自身の青春の光と影を書ききります。

それはとても素敵な世界です。その後の小説も面白いのですが、それは小説家としての春樹さんの構想や技術の産物であり、春樹さんの青春の光と影とは、又、違う物の様に私には思えます。

その頃、もう一人の若い小説家が現れます。現れたのも有名になったのもこちらの小説家の方が先ですが、私には後から現れました。村上龍さんです。

長くなってしまうので、先へ行きますが、私は龍さんの最高傑作は<テニスボーイの憂鬱>だと思っています。龍さんも又、日本の私小説とは全く違う小説を書き始め、それはこの<テニスボーイの憂鬱>に良く表れているのでは無いかと思います。

私はこの2人の影響で日本の小説を読み始めたと言っても良いと思います。今は、私小説以外は何でも読むようになり、読書傾向としては無茶苦茶ですが、この2人が私に与えた影響は、考えられない位、大きいのだと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?